2020年05月25日

今までakkyが日本語教師を続けてくることができた2つの理由

関西でも非常事態宣言が解除されましたが、まだまだ海外からの渡航は制限されており、今年度入学予定者が入国できておらず授業をスタートできていない日本語学校もあったりするんじゃないでしょうか?

そうなると、そこで働く日本語教師の方も収入がストップしたり減ったりすることが考えられるため、日本語教師をやめようかと悩んだり他の職業に転職しようかと考えている方も多そう。

というわけで、今回はそういう人をメインに、でも同時に

・これから日本語教師をしようと考えている人

・現在日本語教師として働いている人

・今は他の仕事をしているがゆくゆくは日本語教師として復帰したいと考えている人

も含めて、このエントリがなにがしかの行動の判断材料になればと思って書きます。


☆☆☆☆☆☆☆


まず、私は2000年代に日本語教師を始めて20年近く続けてきたのですが、最も大きいのは

入った学校が良い学校だったこと

です。

今思えば学生のレベルも相当高かったし、 1年にわたって超ベテラン教師の方が研修を行ってくだ猿など学校サイドのサポートも充実していたし、先輩教師や同僚にも恵まれましたし。

ただ、このことはこれを読んでくださっている読者の方にとっては再現性が無い外的要因なので、私個人の内的要因について書いていきます。


1 考えるのが好きだったから

新人時代は無我夢中だったし、ストックもないので次の回の授業で提示する例文などは切羽詰まって考えていたため、考えるのは苦痛でした。

ところが、余裕が出てくると同じ文法でも「もっとバシッとくる 例文はないだろうか?」とか、「なんでこの母語を話す人は同じような間違いをするんだろうか?」などと考えられるようになってきたんですよね。

それと、AとBの違い(例えば「気分」と「気持ち」の違いなど)を考えるのも最初はどこから思考をスタートさせていいのかもわからない状態でしたが、徐々に「違いの種類」みたいなものが分かってきてその種類の蓄積が増えれば増えるほど考えるのが楽しくなってきたり。

因みに、「気分」と「気持ち」の違いについては2年以上考えました。


また授業でいうと、考えるのが好きなことは「総合」や「小論文」の授業を行う上でも幸いしました。

ある程度の裁量権が与えられて、その枠組みの中でどうやって授業を展開させていくか考えるのは、私にとって超楽しいことです。 


それから、進学指導を行うのも思考好きでよかったなと。

その学生のやりたいこととその学生が志望している大学(学部)の強みをどう組み合わせ、それをどのように志望理由書で文章として構成していくかなんてことを考えるのも、難しいことではありましたが同時に楽しいことでもあったんです。


さらに専任講師としても、そのレベルのクラスの目標設定をした上で決して長くはない期限内に全ての教科の教科書を選定し、その教科書をどんなペースで使い、担当の先生方には学生にどんなことを身につけどの程度のレベルに到達させて欲しいか伝えるにはどうしたらいいか、などといったことを考えるのも楽しかった。

1週間単位のカリキュラムを考えるのも、パズルを組み立てるみたいで楽しかったですしね。


私は今まで色んな日本語の先生とお話をしてきたり、採用に関わらせてもらったりしてきて、本当に自分のアタマで考えている人は限られていると感じることが多いです。

まあこれは私のリアル対面でコミュニケーションしてきた範囲なので、非常に狭いんですけど。

印象としては、考えるのがあまり好きじゃないって人と、自分では自分のアタマで考えていると思い込んでいるけど誰かの意見の受け売りをしてるだけなど思考停止している人が一定数いるというもの。

私の周りだけでいうと、逆に自分のアタマで考えているのは私からすると年配の60代以上のベテラン教師、特に女性が多い気がします。

もちろん若い方や男性の中にもしっかり考えている人はいますけど。


一方で、TwitterなどのSNSでもその人なりに自分でアタマで考えたオリジナル意見を発している日本語教師も少ないと思っていて、ご本人は「発信」していると思っていても他者の意見に反応しているだけっていうケースも多いですね。

まあSNSという場であればどういう使い方をしてもいいんですが。 


教師って極端に自分が間違えることを嫌う人達で、例えば文法分析の際など「自分のアタマで考える」より「調べる」ほうが効率的だし間違えるリスクも低くなるから考えずに調べるようになり、その結果自分で考えなくなるといったメカニズムが働いているように、私には思えます。

私が主催していた日本語教師勉強会で模擬授業をしてくださった先生で、何も調べずに自分のアタマだけで考えて授業を考えてくれた人っているのかな?

何がしか調べた上で授業してくださってるような気がします。

でも本当は私は密かに「自分のアタマだけで考えて組み立てました!」って気概で望んで欲しいな、とも思ってました。

もし今後私が勉強会で先生方に模擬授業をしてもらうとしたら、私がその場で初めて模擬授業で扱う文法なり文型なりを発表し、3人1グループくらいのグループワークで授業を構築して模擬授業まで持っていってもらう、ってことをやってみたいかも。これ、オンラインでは難しいのかな?どうなんだろ?


2 努力をそれほど必要としない仕事だから

こういうことを書くと、反発を感じる人もいるでしょうね。

1の考えるのが好きとも深く関係するのですが、私にとっては日本語教師の仕事ってさほど努力を必要としない仕事なんですよね。 

先ほども書きましたが、新人時代は授業準備も大変でしたが、それもぶっちゃけ1年半くらい。

それ以降は考えるのが好きだっため、苦痛ではなくなりやがて楽しい行為に。


学生指導や進学指導についても、腹が立ったり落ち込んだりすることもありますし、そういうのは絶対しないって日本語教師の方もいますが、人と接するのが好きな私にはそこまで気合い入れてやらないといけないほど努力が必要ではない業務です。

逆に、それを行わないと手に入らない新しい情報が手に入ったりなど、私自身の勉強になることも多いのでリターンが良いとも言えます。

あまり努力を必要とせずにリターンがゲットできるので、私にとってはかなりコストパフォーマンスが良い業務なんです。

 
私の中の「努力する」って言葉の定義は、「より高いパフォーマンスをするために、普段よりも投入するエネルギーを増やす」ってことなので、疲れちゃうし第一続きません。

だから私は、「努力し続ける」って語義矛盾を孕んでいるとさえ考えています。

このブログに関しても、もし私が努力してブログを書くってことをやっていたら、ここまで続いてないでしょうね。

日本語教師の仕事もブログも、努力せずにゆるゆるできるから続いてるわけです。


なので、日本語教師として働き始めて5年以上経っているのに授業準備に4時間も5時間もかかるっていう人は、もしかしたら日本語教師以外の職業のフィールドに移動したほうが仕事の満足度が高まるかもしれません。

 
ここで間違えてはいけないのが、「努力を必要とする仕事」と「手間がかかる仕事」は同じではないってこと。

例えば、私は作文の添削は努力しなくてもできることですが、手間はめっちゃかかります。

当時は紙に手書きで書いてもらっていたので、なおさら手間がかかりました。


☆☆☆☆☆☆☆


ここまで、私が日本語教師を続けられてきた理由を書いてきました。

これが、日本語教育に関する仕事を始めようとかやめようとか考えている人の何かの参考になればいいな、って思っています。


ほな、さいなら!


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2020年05月22日

文科省の出した学生支援給付金の、特に留学生に関する部分について思うところ

文科省が先日、学生の皆様向けページで学生支援緊急給付金についてのお知らせを出しました。




このページの「申請の手引き」には留学生への支援金給付の条件が掲載されています。 

その条件がこちら。

スクリーンショット 2020-05-21 18.54.45



留学生に関しては⑦の部分ですね。 

で、今侃侃諤諤の議論を引き起こしているのが1)の項目。

1)学業成績が優秀な者であること。具体的には、前年度の成績評価係数が2.30以上であること。

です。 

成績評価係数の計算のやり方はこちら。

スクリーンショット 2020-05-22 15.10.34


(文部科学省のページより) 


私は支援金給付の条件に成績を持ってくることには否定的で賛成できませんが、そういうことを声高に表明するより先に「不可解さ」を感じちゃったんですよね。

その不可解さの正体を突き止めるために、今回も「分けて」考えてみました。


1 支援金給付の条件に「成績」を盛り込んだ意図が不明

今回のようなパンデミックの影響でアルバイトなどができなくなった留学生に支援金を配ろう、って話でしたよね?

ということは、支援金の目的はセーフティネットのような「救済」であるはず。


ところが一方、学生の「成績」を何がしかの目的で条件にするのはどういう時でしょう?

そうです!「選別」する時です。

スクリーニングとも言い換えられます。

私が不可解さを感じた1つの理由は、「救済」と「選別」が全く無関係というか別ジャンルだからなんです。

私は純粋に、こういうことを決めた文化庁の人の思考回路がどうなっていて、どういう意思決定プロセスを経てこういう結論に至ったのかを知りたいです。

それと、2.30という数字がどういう根拠で出て来たのかも。


2 「成績優秀者 = 将来日本に残ってくれる人」なの?

こういう報道がありました。




この記事によると、

文科省は「母国に帰る留学生が多い中、日本に将来貢献するような有為な人材に限る要件を定めた」と説明。

だそうです。

この記事の文脈を考慮に入れてこの部分を読むと、「留学生には将来も母国に帰国しないで日本のために活躍してもらいたい」と解釈できます。

日本の人口がこんなに減っていっていては気持ちも分からないではないんですが、私には「成績優秀者」と「日本に残って活躍してくれる人材」がイコールだとはどうしても思えません。

これも分けて考える必要があるんじゃないかと。

そもそも成績が良い人材は将来も日本に残ってくれるだろうって発想って、そういうことを考えた人のただの希望なのでは?


というより、そこは考えてもしょうがないと思うんですよね。

成績が優秀だろうがなかろうが、日本に残る人は残るし帰国する人は帰国するんですから。


私の元学生で現在日本でエリート職で働いている男子がいて昨年一緒にご飯を食べたんですが、その時に「本当は今年(つまり2019年)帰国しようと思ってたんですが、akky先生が当時授業で使ったエヴァにその後ハマり、来年(2020年)に新劇場版が公開されるって聞いたから、帰国するのを延期したんですよね。」って言っててビビりました。

これは、そういう超個人的な趣味嗜好レベルで、外国人が帰国する時期を選ぶ時代に来てるってことを意味します。

まあ彼のケースは極端だとしても、母国の家族の体調が悪くなったり、あるいは女性であれば自身の結婚やら出産やらで帰国することもあるだろうし、仕事関係などの不確実性が高い外的要因によって本人がいくら残りたいと思っても日本を去ることを余儀なくされることもあるでしょうし。


そもそも、「支援金を成績で制限しちゃう国」は留学先に選ばれなくなる可能性が高いので、長い目で見ると逆効果です。


☆☆☆☆☆☆☆


ここまでが、私が感じた不可解さについての内容。

成績を支援金給付の条件にするのは問題ですが、現状はそれでいいとしても今後考えていかないと思うのが「出席率」です。

リアルハコモノの学校のリアル対面のみの授業を想定すると、出席率8割以上は妥当な数字でしょう。

私が以前勤めていた全クラス25以上あった日本語学校では、全校の留学生の中で最も出席率が悪かった学生でも87%でした。

もちろん数字の操作もしていませんし、高額の報奨金を頻繁に与えるなど露骨なインセンティブなどは存在してません。

なので私の肌感覚としては、8割以上っていうのはまあ妥当だろうと。


ただ、今後オンライン授業が一般化した時に、今まで同様に出席率を評価基準にしておいていいのか、と私は考えています。

夜遅くまでバイトをし大阪メトロとかだと5駅ぶんくらい自転車を漕いで授業開始時間までに到着して授業に出席することと、自宅のPCやスマホの前に(同期系の授業だと)時間までに待機して参加することと価値は等価でしょうか?

行動ハードルの高さが全然違うと思いませんか?

まあ今すぐ考える必要はないかもしれませんが、避けて通れない課題だとは思います。


以上書いて来た私が不可解に感じたことに関しては、文科省に是非とも説明してもらいたいと考えています。

とはいえ、説明されても納得できるとは考えにくいし、仮に納得できたとしてもそれを支持することはしないでしょう。

でも、そのあたりの経緯を知りたいっていう気持ちは変わりません。


というのが私が自分のアタマで「分けて」考えた内容です。


あなたはどう考えますか?


ほな、さいなら!


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akky_san at 20:00|PermalinkComments(0)留学生 

2020年05月18日

このコロナ禍でいよいよトドメを刺されそうなタスク的会話

私はもともとタスクシラバスそのものについてもあまり肯定的な見方は持っていません。




特に、タスク的会話に対してもこんな考えです。



ちょうど5年くらい前のエントリですね。


その上、このコロナ禍で外出自体を避けるようになり、人と接触することも憚られるようになって来ました。 

さて、今日どうしても飲みたくなったので、ミルメークのメロン味を買い求めに梅田のダイソーに行った時のこと。

今回の新型コロナに関するアナウンスが放送されていました。

そのアナウンスは、

今回の新型コロナウイルスにより、お客様からの商品の在庫のお問い合わせなど、従業員へのお声掛けはご遠慮いただきますようお願いいたします。

っていう旨のもの。 

このアナウンスを聞いて私が理解したのは、

リアル店舗で従業員に直接口頭で何かを問い合わせるっていう行為自体が終焉を迎えているんだ

ってこと。 

日本は今後どんどん人口が減少していくのでレジの無人化なども進んでいくと考えると、この流れはたとえ新型コロナが終息しても不可逆のように思えます。

また、口頭での問い合わせに加えて電話による問い合わせも今後消えていきそう。

こんなニュースがありました。




これサイアクですよね。 

ここまでくると、昨今の社会の様相を鑑みても、こういう行為って「社会悪」と判断されそう。


それから、人との直接の接触が避けられるのが普通みたいな社会になると、飲食店で注文を口頭で行うって行為も消えていきそう。

既に大阪市内の居酒屋などではタッチパネルでオーダーする所も増えていますが、コロナ禍の影響で地方のお店でも普及していくかもしれません。

っていうか、現在こんなタッチパネルもあるんですよね。




非接触!それをタッチパネルと言っていいのか、と思わないでもないですけど。そこはかとなく語義矛盾をはらんでるような気が・・・

タッチパネルが普及するのを待たずとも、現在でもファーストフード店ではアプリでオーダーしてオンライン決済を行えば、リアル店舗では商品を受け取るだけなので、既にオーダーっていうタスクもスキップできます。


さらにリモートワークが一般化されると、名刺交換や面会のアポイントメントを取る、受付で面会相手に来社を伝えてもらうなどといったタスク的会話も消滅します。


☆☆☆☆☆☆☆


半年ほど前までは「店員が客の前でマスクをして接客するなど失礼極まりない」っていう主張が存在していたのが信じられないくらい、既に新型コロナは日本の社会システムを変えました。

なので、私たち日本語教師も「今までこうだったから」という従来の延長線上の発想はもう通用しないことを再認識した上で、今後のことを考えていく必要があるんじゃないかと思います。


ほな、さいなら!


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