2023年05月24日
ほぼ全員がツボったとある学生の質問
N4の文法の授業の中で、先日「自動詞&他動詞」と「〜ている」、「〜てある」の授業を行った時のこと。
このクラスは、自動詞&他動詞の概念はおろか、ペアの自他動詞の語彙自体が入っていない学生たちのクラスということで、こちらの教材
を使って、1つ1つの動詞が日本語で何か、また自動詞がどっちで他動詞がどっちなのかということを確認しました。
彼らは辞書を引きつつ調べていたので、この作業でさえめっちゃ時間がかかりました。
で、その時使ったページがこちら。
これを読んでいる方は、①〜⑨まで何の動詞だか分かりますか?
この教材ってめっちゃ重宝する反面、一瞬何の動詞だろうとか、どういう状況だろうっていう絵もありますよね。
今回もそういう疑問を持った学生がいました。
ペアで1枚の紙を見て相談しながらその絵が表している動詞は何かを考えさせていたのですが、とあるペアがどうしても分からない絵があったらしく、「先生!」と私を呼びました。
で、彼らの席まで行ったところ、④の絵を指して、「これは、諦める・・・・・ですか?」と聞いてきたんです。
これにはまず私がツボりました。
確かに、絵面的にも半ば諦めかけつつ行動しているように見えなくもありません。
そして、彼らの近くにいた学生がその発言を聞いてツボり、それが次々に時間差を持って伝わっていき、連鎖的に笑いが伝播していくという不思議な現象を生み出しました。
すると、「それを言うなら、⑨の右の男の子もそうじゃない?」とか、「⑥の魚も諦めてますよね?」などとの声があがってました。
魚に関しては、「もう死んでるんだから、諦めるもなにもなくない?」などといったツッコミも。
それがさらに笑いを誘い、まさにカオス。
こういう状況を見るのは、私も初めて。
普通であればその質問をした学生も、私の説明を聞いたら異なる2つの動詞があり、加えて①〜③までやってきた段階で、その2つの似ている言葉が存在するって分かるはず。
ところが、彼にとっては④の絵を見た時点でおそらく自他動詞よりももっと重要で大きな素朴な疑問が出てきたっていうことではないかなと。
そのため、異なる2つの動詞が何かという思考が飛んでしまい、2つの絵の共通項を探してしまったんじゃないのかな、と私は推察します。
あ、因みに④の動詞は、「落ちる」と「落とす」です。
このことから私が改めて理解したのは、
大きな素朴な疑問が浮かぶと人は思考停止してしまい、そこから先に進めなくなる
ってこと。
私は個人的に、スペイン語のレッスンを受けていたときに、時々同じような状況に陥ったことがあるので、よくわかります。
今回の笑いの連鎖によってクラスも和んだし、私の意図とは異なりますが奇しくも「諦める」って日本語は覚えてくれたのかな、とは思います。
ちょっとした副産物ってとこですかね。
ほな、さいなら!
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このクラスは、自動詞&他動詞の概念はおろか、ペアの自他動詞の語彙自体が入っていない学生たちのクラスということで、こちらの教材
を使って、1つ1つの動詞が日本語で何か、また自動詞がどっちで他動詞がどっちなのかということを確認しました。
彼らは辞書を引きつつ調べていたので、この作業でさえめっちゃ時間がかかりました。
で、その時使ったページがこちら。
これを読んでいる方は、①〜⑨まで何の動詞だか分かりますか?
この教材ってめっちゃ重宝する反面、一瞬何の動詞だろうとか、どういう状況だろうっていう絵もありますよね。
今回もそういう疑問を持った学生がいました。
ペアで1枚の紙を見て相談しながらその絵が表している動詞は何かを考えさせていたのですが、とあるペアがどうしても分からない絵があったらしく、「先生!」と私を呼びました。
で、彼らの席まで行ったところ、④の絵を指して、「これは、諦める・・・・・ですか?」と聞いてきたんです。
これにはまず私がツボりました。
確かに、絵面的にも半ば諦めかけつつ行動しているように見えなくもありません。
そして、彼らの近くにいた学生がその発言を聞いてツボり、それが次々に時間差を持って伝わっていき、連鎖的に笑いが伝播していくという不思議な現象を生み出しました。
すると、「それを言うなら、⑨の右の男の子もそうじゃない?」とか、「⑥の魚も諦めてますよね?」などとの声があがってました。
魚に関しては、「もう死んでるんだから、諦めるもなにもなくない?」などといったツッコミも。
それがさらに笑いを誘い、まさにカオス。
こういう状況を見るのは、私も初めて。
普通であればその質問をした学生も、私の説明を聞いたら異なる2つの動詞があり、加えて①〜③までやってきた段階で、その2つの似ている言葉が存在するって分かるはず。
ところが、彼にとっては④の絵を見た時点でおそらく自他動詞よりももっと重要で大きな素朴な疑問が出てきたっていうことではないかなと。
そのため、異なる2つの動詞が何かという思考が飛んでしまい、2つの絵の共通項を探してしまったんじゃないのかな、と私は推察します。
あ、因みに④の動詞は、「落ちる」と「落とす」です。
このことから私が改めて理解したのは、
大きな素朴な疑問が浮かぶと人は思考停止してしまい、そこから先に進めなくなる
ってこと。
私は個人的に、スペイン語のレッスンを受けていたときに、時々同じような状況に陥ったことがあるので、よくわかります。
今回の笑いの連鎖によってクラスも和んだし、私の意図とは異なりますが奇しくも「諦める」って日本語は覚えてくれたのかな、とは思います。
ちょっとした副産物ってとこですかね。
ほな、さいなら!
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2023年05月21日
「〜という(名称)」っていう文型の授業の反省点
4月からN4文法の授業を担当しています。
ただ、初級を6ヶ月終えたクラスであるにも関わらずN4の文法を教えないといけないのはなんだかなぁ〜とは思います。
あまりにもタイパが悪いなと。
まあでも現状を見る限りにおいては仕方がないので、やらざるを得ないのかな、とも思っています。
さて、これを読んでいる日本語教師の方は、「〜という(名称)」っていう文型を教えるとしたら、どんな準備をしますか?
私は、学生がその名前を知らないモノのレアリアを準備しておきます。
名前を知らないモノも分類すると、
1 見たことはあるけど名前を知らないモノ
2 見たこともなく、名前も知らないモノ
です。
できれば、1を準備したかったのですが、家の中を色々探してみても見つからなかったので、2のパターンにしようかなと。
ただ、自宅に唯一あった2のパターンのものが「茶線」だったんですよね。
もしこれをレアリアとして持っていくとすると、抹茶茶碗、抹茶の粉末なども持っていかなければならず、えらい嵩張ってしまいます。
加えて、おそらくこのクラスの学生たちはあまり日本文化の興味がなく、もし茶線を持っていったら「茶道」の説明からしないといけなくなり、時間がめっちゃかかってしまうことが容易に想像できます。
なので、レアリアを提示して「これは〜というモノです。」とするのではなく、私が「それは何というものですか?」と質問する側に廻ることにしました。
そこで、授業内でスマホで、
自分の国にはあるけど、日本にはないフルーツ/花
をGoogle検索してもらうことに。
そして、それを私に見せて、私が「それは、何というフルーツ/花ですか?」と質問し、「これは〜というフルーツ/花です。」と答えてもらおうと思ったんです。
が、彼らは、
・検索に夢中になる
・「これは〜というフルーツ/花です。」ではなく、「〜です。」と答えることが多かった
という傾向がありました。
なので、反省点としては
1 彼らの特徴や傾向を考慮に入れていなかった
ということがあります。
ただ、数人は私が板書したことを指差して、「今、この勉強してるから」と周りの人に注意喚起してくれたので、それは助かりました。
因みに、彼らから出てきたものは、フルーツは
・テサ
・リチ
・ランブタン
・ハヤバス
・ドーハット
・ゴスペリ
・ゴイヤバーノ
で、花の名前は、
・ダンスレディ
・タピプタ
・サンパギータ
・サンタン
・イランイラン
です。
私は「イランイラン」はアロマで言葉としては知ってはいたのですが、花の名前ってことは初耳でした。
へぇ〜!って思いました。
それから、日本の料理の画像などを見せながら、「それは何という料理ですか?」などと質問させながら色々と練習。
その際に、一目瞭然の料理、例えばピザの画像などを見せて、
T:これは何ですか?
S:それはピザです。
T:これは何というピザですか?
S:わかりません。
T:これはマルゲリータというピザです。
という流れの練習もしました。
で、今日歩いていて説明し忘れていたことっがあったと気づいたんです。
それは、
Q これはどういう意味ですか?
A これは〜という意味です。
です。
厳密に書くと「名称」ではないのですが、おそらくこのタイミングで言わないと、彼らがこの「〜という」に触れる機会はないのかな、と思ったんですよね。
というわけで、次回の文法の授業でこの説明も補足しようと思っています。
これを読んでいる日本語教師の方も、授業の反省点をメモるなどして保存しておくと、PDCAを回して自分の授業を効率的に向上させることができると思いますよ。
ほな、さいなら!
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ただ、初級を6ヶ月終えたクラスであるにも関わらずN4の文法を教えないといけないのはなんだかなぁ〜とは思います。
あまりにもタイパが悪いなと。
まあでも現状を見る限りにおいては仕方がないので、やらざるを得ないのかな、とも思っています。
さて、これを読んでいる日本語教師の方は、「〜という(名称)」っていう文型を教えるとしたら、どんな準備をしますか?
私は、学生がその名前を知らないモノのレアリアを準備しておきます。
名前を知らないモノも分類すると、
1 見たことはあるけど名前を知らないモノ
2 見たこともなく、名前も知らないモノ
です。
できれば、1を準備したかったのですが、家の中を色々探してみても見つからなかったので、2のパターンにしようかなと。
ただ、自宅に唯一あった2のパターンのものが「茶線」だったんですよね。
もしこれをレアリアとして持っていくとすると、抹茶茶碗、抹茶の粉末なども持っていかなければならず、えらい嵩張ってしまいます。
加えて、おそらくこのクラスの学生たちはあまり日本文化の興味がなく、もし茶線を持っていったら「茶道」の説明からしないといけなくなり、時間がめっちゃかかってしまうことが容易に想像できます。
なので、レアリアを提示して「これは〜というモノです。」とするのではなく、私が「それは何というものですか?」と質問する側に廻ることにしました。
そこで、授業内でスマホで、
自分の国にはあるけど、日本にはないフルーツ/花
をGoogle検索してもらうことに。
そして、それを私に見せて、私が「それは、何というフルーツ/花ですか?」と質問し、「これは〜というフルーツ/花です。」と答えてもらおうと思ったんです。
が、彼らは、
・検索に夢中になる
・「これは〜というフルーツ/花です。」ではなく、「〜です。」と答えることが多かった
という傾向がありました。
なので、反省点としては
1 彼らの特徴や傾向を考慮に入れていなかった
ということがあります。
ただ、数人は私が板書したことを指差して、「今、この勉強してるから」と周りの人に注意喚起してくれたので、それは助かりました。
因みに、彼らから出てきたものは、フルーツは
・テサ
・リチ
・ランブタン
・ハヤバス
・ドーハット
・ゴスペリ
・ゴイヤバーノ
で、花の名前は、
・ダンスレディ
・タピプタ
・サンパギータ
・サンタン
・イランイラン
です。
私は「イランイラン」はアロマで言葉としては知ってはいたのですが、花の名前ってことは初耳でした。
へぇ〜!って思いました。
それから、日本の料理の画像などを見せながら、「それは何という料理ですか?」などと質問させながら色々と練習。
その際に、一目瞭然の料理、例えばピザの画像などを見せて、
T:これは何ですか?
S:それはピザです。
T:これは何というピザですか?
S:わかりません。
T:これはマルゲリータというピザです。
という流れの練習もしました。
で、今日歩いていて説明し忘れていたことっがあったと気づいたんです。
それは、
Q これはどういう意味ですか?
A これは〜という意味です。
です。
厳密に書くと「名称」ではないのですが、おそらくこのタイミングで言わないと、彼らがこの「〜という」に触れる機会はないのかな、と思ったんですよね。
というわけで、次回の文法の授業でこの説明も補足しようと思っています。
これを読んでいる日本語教師の方も、授業の反省点をメモるなどして保存しておくと、PDCAを回して自分の授業を効率的に向上させることができると思いますよ。
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2023年05月04日
どんな人になってもらいたいのか
今日心斎橋に行ったら、外国人旅行客だらけでした。
かなりコロナ前に近い水準にまで戻ってきているようです。
それと共に、外国人留学生もコロナ禍真っ最中の時と比べれば増えてきてます。
なので、それにともなって日本語学校の新規校もボツボツ出てきているようです。
新規校の立ち上げって、私は関わったことがないのですが、携わった先生から話を聞くと本当に大変そう。
多大なエネルギーが必要とされるんですね。
本当に立ち上げに関わった先生には頭が下がります。
さて、今日は新規校立ち上げの際に最も重要だと私が考えることについて書いてみたいと思います。
まず、よくあるのがどの教科書を使うのか、と考え始めること。
これ、順序が逆です。
本当に最初に考えないといけないのは、
どんな人になってもらいたいのか
です。
学習者の目指すべき姿
と言い換えることもできます。
最終的(日本語学校だと卒業時)に、どんな日本語のスキルを備えていてもらいたいのか、あるいは日本語のどのレベルに到達していてほしいのか、ってこと。
まず決めるべきはこういうこと。
教科書はそれを決めてから。
なぜなら、教科書はあくまで「手段」に過ぎないから。
順序が逆と書いたのは、そういうことです。
今書いていて思ったのは、この思考のベクトルも私の好きなバックキャスティング思考ってこと。
因みに、4年前のエントリです。
で、この「どんな人になってもらいたいのか」は、具体的であることに越したことはありませんが、あんまり具体的すぎるとその枠からはみ出す人が多くなってしまうので、バランスが必要。
それよりも明確であることのほうが大切。
ここの内容は、学習者の学習目的も踏まえて、できれば授業を担当するすべての先生が話し合って決めたほうがいい。
そのほうが学校の心理的安全性が高まります。
それで、例えば、進学目的の学習者が多い学校だと、大学と名のつくところならどこでも良しとするのか、あくまで国公立大学や南関市立大学を目指すよう促すのか?(あくまで学習者自身の希望が優先されるべきではあります)
また、就職だと、世界シェアトップの企業、日本の老舗総合商社、外資コンサルティング企業などを目指すのか、ホテルの清掃&ベッドメイキングなどで満足するのかといったところですかね。
まずここを明確に決めないと、教材選びはできないんじゃないかと私は考えます。
ゴールをはっきりさせない限り、どの手段が最も適切なのかは分りませんからね。
もし、これを読んでいるあなたが学校の立ち上げに関わっているなら、このエントリが役立てばいいなと思っています。
ほな、さいなら!
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かなりコロナ前に近い水準にまで戻ってきているようです。
それと共に、外国人留学生もコロナ禍真っ最中の時と比べれば増えてきてます。
なので、それにともなって日本語学校の新規校もボツボツ出てきているようです。
新規校の立ち上げって、私は関わったことがないのですが、携わった先生から話を聞くと本当に大変そう。
多大なエネルギーが必要とされるんですね。
本当に立ち上げに関わった先生には頭が下がります。
さて、今日は新規校立ち上げの際に最も重要だと私が考えることについて書いてみたいと思います。
まず、よくあるのがどの教科書を使うのか、と考え始めること。
これ、順序が逆です。
本当に最初に考えないといけないのは、
どんな人になってもらいたいのか
です。
学習者の目指すべき姿
と言い換えることもできます。
最終的(日本語学校だと卒業時)に、どんな日本語のスキルを備えていてもらいたいのか、あるいは日本語のどのレベルに到達していてほしいのか、ってこと。
まず決めるべきはこういうこと。
教科書はそれを決めてから。
なぜなら、教科書はあくまで「手段」に過ぎないから。
順序が逆と書いたのは、そういうことです。
今書いていて思ったのは、この思考のベクトルも私の好きなバックキャスティング思考ってこと。
因みに、4年前のエントリです。
で、この「どんな人になってもらいたいのか」は、具体的であることに越したことはありませんが、あんまり具体的すぎるとその枠からはみ出す人が多くなってしまうので、バランスが必要。
それよりも明確であることのほうが大切。
ここの内容は、学習者の学習目的も踏まえて、できれば授業を担当するすべての先生が話し合って決めたほうがいい。
そのほうが学校の心理的安全性が高まります。
それで、例えば、進学目的の学習者が多い学校だと、大学と名のつくところならどこでも良しとするのか、あくまで国公立大学や南関市立大学を目指すよう促すのか?(あくまで学習者自身の希望が優先されるべきではあります)
また、就職だと、世界シェアトップの企業、日本の老舗総合商社、外資コンサルティング企業などを目指すのか、ホテルの清掃&ベッドメイキングなどで満足するのかといったところですかね。
まずここを明確に決めないと、教材選びはできないんじゃないかと私は考えます。
ゴールをはっきりさせない限り、どの手段が最も適切なのかは分りませんからね。
もし、これを読んでいるあなたが学校の立ち上げに関わっているなら、このエントリが役立てばいいなと思っています。
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