2015年05月

2015年05月25日

上級の漢字指導 導入する漢字の数を少なくすれば定着するの?

先日の勉強会で、私が何気なく言ったことに、ご参加の先生方がかなりビックリされてたことがあります。

それは、「一日に教える漢字の数」です。

確か、非漢字圏の学生が多くなったっていう流れでこの話になったんだと思うんですが、私が「今行ってる学校では、漢字は1日20個くらい教えてます」って言ったところ、非常に驚かれたっていうわけです。

やっぱ多いですかね?

漢字の授業といっても、その漢字1文字だけではなく、その漢字が含まれる熟語なども教えることになりますし。

で、今日授業だったのでちゃんと数えたら24個でした(笑)(1ページ12個で1日2ページ)

まぁ、今の日本語学校の趨勢としては、非漢字圏の学生には1日にあまりたくさんの漢字を教えるってことは少ないと思います。

っていうか、漢字の導入自体やってない日本語学校は結構ありそう。


だから、確かに学期が始まったばっかりの頃は、今までそういう授業を受けてきた学生にとっては数が多かったみたいで、毎日の漢字小テスト(前の日に教えた漢字の中から、読み6問・書き6問の、毎日行われるテスト)では、3~4割くらいしかできていない学生が多かったです。

でも、授業が始まって1ヶ月くらい経った今では、個人差はありますが、平均すると7割以上取ってる学生が多くなってきました。

ただ、抜き打ちテストや、範囲のかなり広いテストになると、また結果は違ってくると思いますが、これは漢字圏の学生もおなじようなモンかも。


でもね~1日24個なんて、私にとってはかなり少ない数なんですよねぇ~

なぜかというと、昔上級のクラスで使っていた漢字の教科書、「日本語能力試験 漢字ハンドブック(旧版)」(アルク日本語出版 既に廃刊?)は、1日2ページで44個教えてたからです。

こんなカンジ ↓ 。


SCN_0006


これで、45分~60分で教えてました。

ただ、学生からの質問が多かったら、それ以上かかってました。

日本語教師として初めてのクラスでこれだったんで、なんかもうこれが普通って思ってました・・・

当時のもう一つの上級のクラスでは、上級クラスとしての期間が他のクラスより短かったため、この教科書で1日3ページで進んでましたし。

当時も中国人は多く、非漢字圏のタイやベトナムの学生はほとんどいませんでしたが、クラスの半分か3分の1は韓国人で彼らも非漢字圏。

でも、彼らにとっても漢字は難しいものではありますが、必死に食らいついてきてて、毎日の漢字小テストでは平均8割以上、人によってはほぼ毎日満点という学生もいました。


だから、私は漢字について言えば「非漢字圏」っていう言葉で十把一絡げで判断するのにとっても違和感を感じます。

「非漢字圏だから漢字は苦手だろう」っていうのはステレオタイプ以外の何物でも無いのでは?


だから、こういう考え方に基づいて非漢字圏の学生が多いクラスの漢字指導は、1日に教える漢字の数を減らしていってるというパターンが多くなってきてるんでしょう。

でもね、それってイイの?

教える漢字の数を減らすっていうことは、それが定着するかどうかは別にしても、学生の「触れられる漢字の数」を減らすことになります。

今はPCやスマホが普及しているから、漢字は正確に書けないまでも「発音を聞いて意味が分かる」とか「見て意味が分かる」能力は必要です。

でも、学生が少ししか漢字に触れられないと、その能力は育ちません。

非漢字圏だとなおさら、漢字の形や発音で意味が推測できないので、その漢字を知らないと手も足も出ません。

にもかかわらず、学生が「漢字が多くて大変」みたいな発言をすると、教師側も「そうだよね~大変だよね~じゃあ数を減らそうか」って対応する。

あるいはカリキュラムを作っている立場の教師が、学生の能力の上限を特に根拠も無く「こんなもんだろう」などと判断して決めているケース。

そこには理念もそう考えた根拠も存在しません。

でも、そういう決め方をして漢字の数を制限すると、本来はもっとできるかもしれない学生の芽を摘んでるってことにもなりかねません。

教える数を減らすっていうのはそういうことです。

きちんと、学生の傾向や点数、点数と1日に教えた漢字の数との因果関係(1日~個の時の平均点は〇点で、…個の時の平均点は△点など)の客観的なデータに基づいてそう決めたんなら問題ないんですが、なんか安易に判断して決めてるケースが多いような気がします。


「非漢字圏だから~なはず」っていうように一括りに考えるのってホンマにどうなんでしょうかね?

やっぱり語学習得、特に漢字に関しては国籍よりも個人の語学適性によるところが多いです。

例えば、同じタイ人でもかなり差があるし、私の個人的な知り合いのオーストラリア人は、一緒に歩いていた時に、目に入ってくる漢字(町の看板などに書かれているもの)はほぼ100%読めてましたし。

日本語学校も日本語教師ももうちょっと学生個々に目を向ける必要があると思います。


ほな、さいなら!


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akky_san at 20:18|PermalinkComments(0)授業内容 | 漢字

2015年05月21日

留学生にとって価値が下がった国立大への進学

また、財務省がやってくれちゃいました

詳しくは、こちら ↓ 。

国立大学の授業料に引き上げ案…財務省の提案にネットで反発の声


ツッコみどころ満載過ぎて、どっからツッコんでいいんか分からんくらいなんですけど、まずは「国立大の学生の家庭は富裕層が多いから」ってのが分かりません。

多いって、何%?

で、富裕層の定義は?年収いくら以上だったら富裕層なん?

もし、その数字を把握していたとして、私立大の学生の家庭とは比較したん?


そういうのが全然出てきてなく、「富裕層が多い」っていうめっちゃ抽象的な理由で授業料上げるとか、あり得ないんですけど。

因みに、↓ が日本の国立大の授業料の推移です。

  • 昭和50年 3万6000円
  • 平成元年 33万9600円
  • 平成10年 46万9200円
  • 平成15年 52万800円
  • 平成17年 53万5800円


  • 正確なデータが無いんで、なんともいえませんけど、私の皮膚感覚ではやっぱり私立大学の学生の家庭のほうが裕福なような気がします。

    っていうより、私立大の学費の高さで、国立を選んだっていう人は多そう。

    実際に、私が教えてきた留学生の中には、そういう人がとても多いです。

    極端な例かもしれませんが、以前、関西の有名私立大学に合格しながらも、入学金+授業料が工面できなくて、入学辞退せざるをえなかった学生もいました。


    特に、現在私はベトナム人学生が多いクラスを担当していて、彼らのほとんどは国公立大学を志望してます。

    なぜかというと、私立大は学費が高いから

    ベトナムの平均年収は大体20~30万なので、これは当然の流れです。


    現在、進学を主な目標としている日本語学校の状況を鑑みた場合、依然として中国人留学生が多いものの、以前と比べると相対的に減ってきており、学校としては学生数の確保のため、ベトナム人留学生を増やしているという状況が多いようです。

    でも、もしこの提案が現実になった場合、どういうことが起きるかというと、


    ・国立大の授業料が上がる
              ↓
    ・国立大に進学するインセンティブが無くなる
              ↓
    ・かといって、もっと学費が高い私立大に行くインセンティブも働かない
              ↓
    ・じゃー、日本で進学しなくてもいいや!(他の国行くし!)
              ↓
    ・ベトナム人留学生が激減
              ↓
    ・ベトナム人留学生に依存していた学校(大学も日本語学校も)が次々と淘汰される



    ってことが無きにしもあらずでは?


    まぁ、日本の大学は色々変革しないといけない時期に来てるんでしょうね~

    できれば良い方に変わってほしいもんですが・・・

    で、ここまでは大学そのものよりも「お上」の話。


    大学自体も考えないといけないと思うのが ↓ 。

    CCJBPMEVIAAHPiz

    グローバル化がどんどん進んでおり、大学も国際競争力が求められる時代です。

    この番組を見ていないので正確なところは分かりませんが、この学生が想定してる就職先は、日本の大手企業ではなくて、Google、Apple、P&G、Mckinsey&Companyなどの世界的な企業ではないのかな?って思います。

    果たして、日本の大学を卒業して、そのあたりの企業に就職できるのか?ってことかな、と。

    うかうかしていると、日本国内では難関大学でも世界的に見てその評価が低ければ、外国人留学生は呼び込めなくなってきてるって話。


    こんな感じで、国立大の学費が高くなった場合も、大学側の国際競争力が獲得できなかった場合も留学生にとって日本は魅力的な国ではなくなります(今もあんまり・・・か)。


    あんま明るい話ではなかったんですけど、今まではあまり競争原理が働かなかった「教育業界」にもその影響が
    出始めてるってこと。

    で、関係者はそれをきちんと分かっておいたほうがいいんじゃないかってお話でした。


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    akky_san at 20:24|PermalinkComments(0)進学 

    2015年05月18日

    全部の問題を一緒くたに考える人が意外と多そうな件

    大阪都構想、消滅してしまいました・・・

    で、今回の都構想に関して色々な人と話してて、ずっと気になってたことがあります。

    それは、反対派の人の「Aだから都構想に反対」っていうAの部分が都構想の中の非常に部分的、或いは都構想とは直接的には関係ない問題っていう場合が多かったことです。

    例えば、


    1 橋下さんの教育政策はダメだから都構想にも反対

    2 住所変更が面倒だから反対

    3 住民サービスのレベルが低下しそうだから反対


    twitterで流れてきた情報によると、都構想では湾岸区になる可能性があった、此花区、港区などの一部の人は

    4 「湾岸区」という名称が嫌だから反対

    って言ってる人もいたようです。

    民主主義国家だから、賛否両論あるのが健全な状態だとは思うんですが、そんな感じで結論出してエエの?

    全部否定と部分否定、上位概念と下位概念とか無視してない?

    「都構想」っていう大きいテーマの一部分に反対だから、都構想そのものを否定してるって人が少なからずいてはるように感じました。

    1に関しては、都構想そのものというより


    橋下さんの出した意見を否定
            ↓
    橋下さんを否定
            ↓
    橋下さんの出すあらゆる意見を否定


    って流れになってます。


    こういう流れの思考回路って、日本語業界でもよくみられます。


    学生の例でいいます。

    例えば、「少子化」ってテーマで、これを解決するにはどうすればいいかって投げかけた時に、

    ・保育所を増やす

    ・企業が社員の育休を取りやすくする制度を整備する

    ・国が何らかの法律を作る

    ・国が国民を啓蒙する


    などの意見が出てきます。

    でも、これもごっちゃに考えてるんですよね~

    例えば、少子化の原因の「未婚化」や「晩婚化」などは、それぞれの対策っていうのは自ずと異なってくるはずなのに、それを全部一緒くたに考えてしまってるので、有効な対策が打ち出せないっていう結果になってしまうことが多いです。

    つまり、未婚化対策にはこれ、晩婚化対策にはこれっていうような視点がなく、グチャグチャに考えたまま、対策を言ってる感じです。



    で、日本語教師同士のお互いの評価に関しても同じパターンが見られます。

    例えば、A先生がB先生に対して評価を下す場合です。


    A先生は、B先生の主張①を見るか聞くかして、その主張がA先生にとって常識外れであったりした場合に、B先生の主張②や主張③も、的外れであると簡単に判断してしまうことが往々にしてあります。

    これは、B先生の主張②や主張③が、客観的に見て妥当である場合も、A先生は主張①があるってだけの理由で、②や③も一蹴することがあります。

    つまり、

    A先生:B先生って前にこんなん(主張①)言ってたから、今回の②や③もおかしいに決まってるよね~

    っていう感じ。


    特に顕著なのが、B先生がA先生の考え方や知識などを結果的に否定、或いは批判した場合。


    こうなってくると、論理的というよりは感情的な思考になってきますが。

    あ、ここで言ってる主張というのは、文法的な知識、文型の解釈、授業のやり方、教科書の分析、学生指導の手法、などなどです。


    こういう考え方って、建設的な方向にはほぼ向かわないですよね。


    やっぱり、それはそれ・これはこれ、っていうように1つのテーマでも分解して考える必要があるように思うんですけど・・・


    じゃないと、いつまでたっても建設的な議論にならないし、何かを改善しようと思っても、お互いの揚げ足取りに終始してしまうおそれが出てきてしまいます。

    1つの大きいテーマなんだったら、それを分解してその項目を1つ1つ考える習慣をつけましょう!


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    akky_san at 22:18|PermalinkComments(0)思考、考え方 

    2015年05月15日

    大阪都構想と、論じる意味の無いテーマの小論文テスト

    明後日、大阪市の住民投票を控えて、大阪では都構想の是非を巡って、侃々諤々の議論で盛り上がってます。

    先日、家で本を読んでたら、うちのマンションの前に都構想に反対の立場をとっている政党の方が街頭演説に来ていて、ボーッと聞いてました。

    ボーッと聞いてたんで、あまり詳細な内容は聞いてなかったんですが、その構成を要約すると、↓ のような感じ。


    1 都構想のどこがダメか

    2 都構想が実現すると、どんな不都合が起こるか

    3 皆さん、反対しましょう

    4 迷ってる人も反対しましょう


    という流れ。


    対案どこ?


    この論理を、私が教えている学生が小論文で書いてきたら、めちゃくちゃツッコんでまいます。

    例えば、「日本の少子化を食い止めるにはどうすべきか?」という設問があったとして、上記の政党の方の主張は、


    1 日本ではこんな原因で少子化が進んでいる!この原因は無くさなければならない!

    2 少子化が進むと、こんな色んなデメリットが出てくる!そしてそれがさらに深刻化すると、大変なことになる

    3 したがって、少子化は良くない


    って述べてるのと同じことのような気がします。

    だから、結局どうしたら解決するねん!ってところが一切述べられてないっていう・・・

    あ、私はここで都構想の是非を論じたいわけではなく、この方が私の学生でこんな内容の小論文を書いてきたら、低い点数しかあげられないってことが言いたいわけです。

    まぁ、論理の問題ですね。


    まぁ、実際の留学生の小論文の論理もひどいものがあって、これからどんどん論理的じゃない小論文を読まされると思うので、それについてはおいおい書いていく予定です(笑)


    で、ここまでは回答者側の論理の問題。


    ☆☆☆☆☆☆☆


    ここからは、出題者側の問題。


    私が前にいた学校の、中級の小論文テストで、

    「最近、自宅で仕事をする人が増えていますが、家で仕事をするのがいいか、会社に出勤して仕事をするのがいいのか、あなたの意見を述べなさい」

    みたいな問題が出題されてました。

    これ、論じる必要ある?

    こういう問題は、2つのメリットとデメリットを考えてから答えると思うんですが、「会社に出勤するメリット」ってなんかあります?

    私、全く思いつかないんですけど・・・

    一方、自宅で仕事をするメリットはかなり多く存在すると思われます。

    例えば、被雇用者の立場では、

    ・通勤時間がなくなり、その時間を自分の時間に充てられる

    ・ラッシュを避けられる

    ・組織独特の人間関係によるストレスがなくせる

    ・高齢者や主婦も働きやすくなり、雇用が増える可能性がある

    ・柔軟な働き方ができる

    ・交通量が削減でき、結果的に環境保護に貢献できる

    ・無駄な会議やミーティングに時間をとられない

    ・家族の変化、配偶者の転勤や親や子供が病気になる、などがあってもあまり仕事への影響を受けない

    また、会社側も、

    ・出勤手当が削減できる

    ・出張のコストもかからない

    っていうメリットがでてくると思います。

    そもそも、出勤して仕事をさせるっていうシステムが日本ではまだメインストリームな理由は、日本の中間管理職が、仕事を定義できておらずマネジメント能力も低いため、部下を本当の意味で信用できない結果、わざわざ会社に来させ、縛り付けて目の前で仕事をさせてるんじゃないですかね?

    かのピーター・ドラッカーも言ってます。

    「本当に必要なのは重さ1キロちょっとの脳みそだけなのに、どうして企業は80キロもの身体を都心のオフィスまで30キロも運ぶために金を払うのか」と。

    反対に、デメリットなんですけど、時々言われてるのが、「同僚達とのコミュニケーションが減ってしまう」ってことです。

    でも、スカイプとかで代替できるじゃん!

    それに、ある試算によると、現在の平均的なオフィスは8割が個人用スペースで、残りの2割が会議などの共同作業用スペースになってるそうです。

    さらに、個人用スペースのウィークデイの使用率は3割で、あとの7割の時間は空席になってます。

    以上のことは、必ずしも会社に行けばコミュニケーションが増えるわけでもなく、他の場所でもできる仕事をするために出勤を余儀なくされ、大勢が同じ場所に集まって働く目的のはずの共同作業用のスペースはあまり取れていないってことを示してます。

    あと、「時間管理ができる人じゃないと、自宅での仕事は難しい」っていう意見もありますが、そもそもそんな人は会社に行っても時間管理ができていない場合が多く、しかもそれは個人の資質の問題であって、働き方のシステムの問題ではありません。

    以上のような理由から、私は「出勤する」メリットが考えられないので、わざわざ小論文として論じる理由が分かりません。

    だから、出題者がこのテーマで学習者の何を計ろうと思ったのか謎です。

    まぁ、出題する側もある程度は論理的思考ができないとマズいだろうってことですかね~

    もし小論文のテストを出題する立場になったら、この点も考えて問題を作成しましょう。


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    2015年05月12日

    市場でのアニメの存在感と、私が総合でアニメを使うとこうなる その1

    先週、ミュージックステーションを見てて、驚愕!

    理由はこれ ↓ 。

    【ランキング】Mステ、カラオケ・JOYSOUNDで20代に歌われたTOP20凄すぎwアニソンとボカロで18曲


    1431085839371


    ピンクの文字がアニソンです。

    私も知らないのがありますが、日本語教師は「残酷な天使のテーゼ」くらいしか知らないんだろ〜な・・・

    「とある科学の超電磁砲」のOPのonly my railgunが7位に入るとかマジすごすぎ!


    それにしても、現在の音楽産業に占めるアニメの存在感ってすごいです。

    国内の20代でこうなんだから、日本に興味を持ってる外国人の日本アニメに対する関心も今後も強まっていくんじゃないかなって感じます。

    今の段階でも、facebookなどでは日本語学習者の学習動機が「アニメが好きだから」っていうパターンが結構あります。

    こういう流れの中で、日本語教師も「私あんまりアニメ見ないんだよね」などとは言えなくなってくるかもしれません。

    理由は2つ。

    1つめは、アニメ独特の言い回しや語彙などが存在し、ある程度その知識がないと、内容理解が困難になるから。

    2つめは、学習者の興味を持っているものを教える側が全く知らないと、学習者のモチベーションが下がることがあるから。

    特に2つめは影響が大きいような気がします。

    皆さんも経験無いですか?

    子供の時とか、自分がすごく好きなものを親や先生に説明しようとしてるんだけど、聞く側がそれに知識も興味も無い場合に、その面白さを伝えようっていう気持ちが萎えて、「もういいや・・・」ってなった経験。


    私は、自分がアニメ好きっていうのもあるんですけど、できるだけ学生にそういう思いをさせたくないので、今まで授業でアニメを題材として使ってきました。


    今日はその第一弾。

    「機動戦士ガンダムSEED」です。

    GundamSeed



    もう、メジャー中のメジャー。

    ガンダムを全く知らない人って、初期のガンダムから色んなシリーズが全部連続してるって思ってるんですけど、違います。

    それぞれのシリーズは独立してて、基本的に関連してません。

    私はこのアニメを総合の授業で使ったのですが、そのときのテーマは「生命倫理」

    このテーマだと、普通はiPS細胞の新聞記事などを題材にしたりするのが一般的だと思うんですが、そういう題材にはあまり興味を示さない学生もいたりします。

    生命倫理っていうと難しく感じるみたいなんですが、実は身近な問題でもあるのに、題材が「硬い」っていうだけでそのテーマの授業に取り組まなくなるのは本当にもったいないです。

    まぁ、そういう硬い文章を読む能力を育てることも必要なんですが、それは最初に持ってこなければならないってもんでもないと思います。

    そこで、私はアニメを使うことにしたんです。

    で、「機動戦士ガンダムSEED」が生命倫理とどう関わってくるかというと、このアニメはナチュラル(普通の人間)とコーディネーター(遺伝子操作によって、頭脳明晰、容姿端麗、身体能力も高くなるように作られた人間)の戦いの話だからです。

    以下は、かなりザックリのストーリー説明になるので、興味ない方は飛ばしてください。


    ・子供達の憧れの存在、ジョージ・グレン(オリンピック銀メダリストの宇宙飛行士)が自らコーディネーターであると全世界に発表
                        ↓
    ・コーディネーターに対し、一般人は嫉妬と恐怖を感じるようになり、対立
                        ↓
    ・その結果、コーディネーターは宇宙に「プラント」というスペースコロニー(居住用の人工衛星みたいなもん)を作り、移住
                        ↓
    ・地球連合軍(ナチュラル)がプラントに宣戦布告し、農業用プラントを核攻撃し、死者24万人
                        ↓
    ・ザフト(コーディネーターの軍隊)は報復として、地球にNeutron Jammer(ニュートロンジャマー 核分裂を抑止するもの)を敷設
                        ↓
    ・地球上では核兵器のみならず、原子力発電が不可能になり、数億人が死亡



    っていう流れがあって、この後の展開としてアニメが始まるって感じです。


    このアニメの場合は、一応アニメは使うものの、戦闘シーンなどが多く、生命倫理に触れているシーンは比較的少ないので、視聴時間はトータル10分くらいでした(笑)

    それよりも、視聴する前のブレインストーミングや、視聴後の話し合いに時間をかけました。

    ブレインストーミングの際に、私は事前にアンケートを準備していて、学生に答えさせました。

    例えば、「あなたがとても金持ちだった場合、自分の子供に遺伝子操作を施して、優秀な子供にしますか?」などです。

    この質問の答はクラスにもよりますが、結構半々に分かれましたね。

    で、「いいえ」って答えた学生には、「でもあなたの国って、有名大学を出ても就職できないんでしょ?でも優秀な子供だったら、就職も含めてかなり将来は明るいんじゃない?子供のために色々やるのが親の役目なんじゃない?そのへんどーなの?ねーねー!」などとイジめたりしました(笑)

    学生は考え込んでましたね~

    最近の学生は、どこかからの意見を受け売りして反射的に自分の意見として言ってる人が多く、明らかに思考停止してる場合が多いです。

    だから、突き詰めることによって、本当の意味で「自分の頭で考える」作業をさせたかったんですよね~


    ところで、ガンダムはどこに出てくるのかってことなんですが・・・


    とりあえず、主人公はこの人 ↓ キラ・ヤマトさん。


    yjimage


    本人は最初の段階では知らないんですが、史上最高のコーディネーターです。

    彼は学生として、永世中立国であるオーブ(ここではナチュラルとコーディネーターは共存共栄している)にいたが、永世中立国であるはずなのに、秘密裡に兵器(これがガンダム)を開発し、地球軍に輸出していたことがザフトにばれていて、ザフトがオーブを急襲し、キラやその仲間達が巻き込まれ、結果的に地球軍に加わることになり、親友と敵味方に分かれ戦ったりすることになる・・・という感じ。

    その後、戦闘が一段落して、戦闘に巻き込まれた一般人であるキラやその仲間を集めて、艦長が現状を説明し彼らに船を下りるかを尋ねるシーンがあります。

    因みに、艦長はこの人 ↓ マリュー・ラミアスさん。

    yjimageS6I8GKS6


    で、その台詞の中に、日本語能力試験(JLPT)のN2やN1の語彙や文型が目白押しなんです。

    それが、これ ↓ 。


    現在、このオーブへ向け、地球連合軍艦隊が進行中です。地球軍に与し共にプラントを討つというのならばザフト支援国と見なす、それが理由です。


    ええっ、なんだそりゃ


     オーブ政府はあくまで中立の立場を貫くとし、現在も外交努力を続行中ですが、残念ながら、現状の地球軍の対応を見る限りにおいて、戦闘回避の可能性は非常に低いものと言わざるをえません
     オーブは全国民

     オーブは全国民に対し、都市部および軍関係施設周辺からの退去を命じ、不測の事態に備えて防衛態勢に入るとのことです。我々もまた、道を選ばねばなりません。オーブのこの事態に際し、我々はどうすべきなのか。
     命ずる者もなく、また私もあなた方

     命ずる者もなく、また私もあなた方に対し、その権限を持ちえません。回避不能となれば、明後日0900(マルキュウマルマル)戦闘は開始されます。オーブを守るべくこれと戦うべきなのか、そうではないのか、我々は皆自身で判断せねばなりませんよって、これを機に艦を離れようと思う者は、今より速やかに退艦し、オーブ政府の指示にしたがって避難して下さい。



    下線の部分が該当部分です。

    「限りにおいて」なんて、2つの文型がくっついてます。

    実はこれが、サブテーマです。

    この授業は、日本語能力試験が終わってからかなり時間が空いたタイミングで、学生は結構忘れてます。

    だから、「試験が終わったからといってその内容を忘れてたら、アニメ見ても理解できないことがある」っていうメッセージを伝えたかったんです。


    これには、ショックを隠せないようでした(笑)


    アニメを授業で使うには、出てくる語彙をリストアップしたり、それまでのストーリーをまとめたり、スクリプトを文字起こししたりなど、その準備に手間も時間もめっちゃかかります。

    でも、そのわりに学生の食いつきが悪いこともあります(笑)

    まぁ、そうはいうものの、食いつきが悪かったときはその理由を自分なりに分析したりして、これからも私は授業でアニメを使い続けていくんだろうなぁって思ってます。


    あ、先週の金曜日?くらいにPV(ページビュー 読まれたエントリのページ数)が10000を突破しました。

    マイナーな日本語教育っていうテーマを扱っているので、アルファブロガーの方達のように1日50000PVっていうようにはいきませんが、初めて3ヶ月半でようやくこの段階まで来ることができました。

    ご覧くださっている方々のおかげです。

    この場をお借りして、感謝申し上げます。

    ありがとうございました!

    そして、今後ともよろしくお願いします!


    ほな、さいなら!


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    akky_san at 12:47|PermalinkComments(0)授業内容 | 総合