2015年09月

2015年09月30日

「進学指導はしません」って言う教師

最近、受験生がいるクラスの担任になっても、「私は進学指導はしません」とか「私は進学指導はできません」って言う教師がいます。

その学校では、暗黙の了解でクラスの中に受験生がいて、学期の中で受験がある場合は、担任がその学生の進学指導をすることになっています。

そのための手当もつきます。(これって良心的ですよね?)

もちろん、進学指導の経験が無い先生の場合は、進学指導のための研修もあり、教務の進学指導担当者がかなりフォローしたりします。

ほとんどの先生は、こういう状況だと進学指導をするのは当然であると考えているので、経験豊富な先生は教務以上に、経験のあまり無い先生も教務の先生に色々相談しながら一生懸命指導してたので、私はそういうことを言う先生がいるっていうのは、ずっと知りませんでした。

このことに気づいたのは、次のような経緯です。


学期が始まる前に、どの先生がどこのレベルの何曜日に入るのかっていう講師配置の表が作成されるのですが、その原案の段階で、レベル担当の教務にそのたたき台が提示され、意見を求められます。

で、その時に私が感じたのが、

また同じ先生が同じレベルを担当するんだ・・・

ってこと。

これって、あんま良くない状況ですよね?

なぜなら、やっぱり日本語教師は色んなレベルを担当することによって、色々な気づきが得られ、それが教師としての成長につながるからです。

一方、同じレベルをずーっと続けると、日本語に対する視点がそのレベルの中だけのものになり、さらに教え方が化石化してしまい、デメリットが大きくなります。


で、その旨を伝えたところ、「分かりました。ちょっとまた考えます」とのことでした。

で、蓋を開けてみると、最初の案とほぼ同じでした。

だから、「これ、あんま変わってないですよね?例えば、この先生とかベテランなんだから、この先生に担任お願いしたらどうですか?」(私のこの時の担当レベルは上級)って言ったら、「あ、この先生進学指導したくないんだそうです」っていう答え・・・

「え?」って思いました。

そんなんアリなん?

っていうか、そんなケース初めて聞いた


だから、その先生は、春学期は進学指導が基本的に無いから上級を担当することもあるけど、秋学期は
絶対上級以外のレベルを担当するそうです。

この先生は、経験が長い先生です。


一方、経験が浅い(って自分では言ってるけど、多分5年以上は教えてる)先生で、「私は進学指導なんてできません」って言って、頑なに拒んでいる先生もいます。

自信が無いのは分からないでもないんですけど、そんなん言うたら、誰だって最初は経験無いですよ


こういう先生って、日本語教育のいいとこ取りだけしたいんだろうなって感じます。

私は個人的には、進学指導は学ぶところが非常に多いと感じます。

でも、こういう先生は学びたいっていうような向上心が無いんちゃうの?って若干疑ってしまいます。

これらの先生の共通点は、あんまり日本語の本質的なことを追究したりとか、文法を分析したりとかっていうタイプではなく、いかに楽しく授業を進められるか、ってことだけに意識が向いてるっぽいです。


で、これには問題があります。


1 他の先生との整合性が保てず不公平

これって、言ったもん勝ちっすか?ゴネ得ですか?っていう話。

つまり、他の先生も同じようなことを言ったら、どうすんの?

認めんの?

もし担任全員が「進学指導はしません」って言ったら、誰が進学指導すんの?

小規模でクラス数が少ない学校なら教務でなんとかカバーできるかもしれませんが、大規模な学校だったらどうすんでしょう?


2 学生のとりあえずの最終的なゴールを無視

進学希望者が多い学校だと、学生の日本語学習の目的は「進学」です。

当然ですけど・・・

で、進学指導を断る教師は、その過程だけを担当し、かれらにとってとりあえずの最終的なゴールである進学に責任を持ちません。

これって、無責任ちゃいます?


3 教師の日本語授業から進学の視点が欠落する

これ、結構大きいです。

以前、上級のクラスで、同じ教科書をお二人の先生で分担して進めるっていうカリキュラムにしたことがあります。

で、そのお二人はお一人は進学指導の経験が豊富な先生で、もう一人は全く経験が無い先生。

で、その教科書の進め方をめぐって、意見が真っ向から対立しました。

その教科書は総合の教科書だったんですが、本文の内容の要約をさせるっていう設問がありました。

その設問は一から要約させるんじゃなくて、ある程度もう要約はされていて、下線があり、その下線に入る適切な言葉や内容を自分で考えて書くっていう設問でした。

進学指導の経験が無い先生は、「この問題は機械的な作業にしかならないから、不要である」っていう主張。

一方、もう一人の経験が豊富な先生は、「これは大学の小論文の要約の問題にも役に立つし、この作業をさせることによって、学生が本当に読めているかっていう把握を教師ができる。それに、『文章の整え方』っていうのをこの作業を通して学ばせることができる」っていう主張。

やっぱり後者の先生のほうが説得力がありますよね?


こういう視点を持てるかどうかっていうことは、教師にとってかなり大きいことだし、学生にとっても授業でそういう指導をされることは有益であり、実際喜びます。


私、こういう先生の存在などが、結果的に日本語教師の給料を下げてるって思ってるんですが、それはまた考えがまとまったら、エントリに書きます。


ほな、さいなら!


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akky_san at 20:43|PermalinkComments(0)日本語教師 | 専門性

歌詞分析 その1 今なら多分ストーカー扱い 竹内まりや「SEPTEMBER」・石川ひとみ「まちぶせ」

今日で9月も最後ってことで、竹内まりやさんの「SEPTEMBER」を聞いてました。

私、この歌超好きなんですけど、歌詞をよくよく聞いてたら、今なら若干ヤバい内容かもって思ってきました。


私、お店とかでも日本語の歌が聞こえてきたら、条件反射で内容を分析してしまうクセがあります。

ついつい、授業で使えないかな~って思ってしまうからです。

例えばこんなカンジで ↓ 。

私がJ-POPを読解として使うとこうなる その1 松任谷由実「destiny」

私がJ-POPを初級文法の復習に使うとこうなる 宇多田ヒカル「Automatic」


日本語教師ならではの職業病です。

あ、日本語教師の中でも私だけかも・・・


竹内まりやさんの歌ってるところはこちら




これ、最近の映像なんですけど、若いこの時多分50代です。

そして、歌声が全然衰えてないのもすごい

やっぱ名曲ですね~

因みにこの曲は1979年の曲です。


早速歌詞を見てみましょう。



「SEPTEMBER」


からし色のシャツ追いながら 飛び乗った電車のドア
いけないと知りながら 振り向けば隠れた
町は色づいたクレヨン画 涙までそめて走る
年上の人に会う 約束と知ってて
SEPTEMBER そしてあなたは
SEPTEMBER 秋に変わった
夏の日差しが弱まるように 心に影が差した
SEPTEMBER そして9月は
SEPTEMBER さよならの国
ほどけかけてる愛の結び目 涙が木の葉になる
会ってその人に頼みたい 彼のこと返してねと
でもだめね気の弱さ 唇も凍える
SEPTEMBER そしてあなたは
SEPTEMBER 秋に変わった
話すことさえ無くなるなんて 私に飽きた証拠
SEPTEMBER そして9月は
SEPTEMBER さよならの国
めぐる季節の彩りの中 一番さびしい月
借りていたディクショナリ- 明日返すわ
LOVEという言葉だけ 切り抜いた後
それがグッバイ グッバイ
SEPTEMBER そしてあなたは
SEPTEMBER 秋に変わった
私一人が傷つくことが 残された優しさね
SEPTEMBER そして9月は
SEPTEMBER さよならの国
トリコロールの海辺の服も 二度と着ることはない


こんな内容です。

この歌はサビの部分がほぼ同じ歌詞なので、私は読解や聴解などの教材としてはちょっと使いにくいです。

私としては、1番と2番の歌詞が違うほうが、読解としてはストーリー性が出てくるし、聴解としては
学生が集中して聞くので、そういうもののほうが好きです。

ただ、敢えて読解として使うなら、動作主を問うくらいですかね。

例えば、「振り向けば隠れた」の部分は、誰が振り向いて、誰が隠れたのか?とか。

あと、この歌詞はメタファーが巧みです。

直喩だと、「夏の日差しが弱まるように心に影が差した」。

暗喩だと「涙が木の葉になる」。


そして、全体を通して、この歌に出てくる女の子ってけなげな感じです。

例えば、「気の弱さ 唇も凍える」とか「私一人が傷つくことが残された優しさね」の部分。


そのため、赤い字の部分がちょっとだけストーカーチックですが、そこまでヤバさは感じません。


☆☆☆☆☆☆☆


そして、石川ひとみさんの「まちぶせ」です。

1981年の曲で、作詞・作曲は荒井由実さん、後の松任谷由実さんです。


この歌詞の内容、マジこわいです・・・


映像はこちら。




カワイイですよね~

そして、当時のアイドルは歌唱力ありましたね~


歌詞はこんなカンジ。


「まちぶせ」

夕暮れの街角 除いた喫茶店
ほほえみ見つめ合う 見覚えある二人
あのこが急になぜか きれいになったのは
あなたとこんなふうに 会ってるからなのね
好きだったのよ あなた 胸の奥でずっと
もうすぐ私きっと あなたを振り向かせる
気のないそぶりして 仲間に加わった
テーブルを挟んで あなたを熱く見た

あのこがふられたと 噂に聞いたけど
私は自分から 言い寄ったりしない
別の人がくれた ラブレター見せたり
偶然を装い 帰り道で待つわ
好きだったのよ あなた 胸の奥でずっと
もうすぐ私きっと あなたを振り向かせる
好きだったのよ あなた 胸の奥でずっと
もうすぐ私きっと あなたを振り向かせる
あなたを振り向かせる


どうでしょう?

これも赤い字の部分がストーカーチックです。

でも、この歌に出てくる女の子はけなげさは全く持ち合わせてないです。

それどころか、かなりしたたかっていうか、性格悪いんちゃう?ってほどです。

特に青い字の部分。

いい雰囲気の男女が喫茶店で話してるところに「仲間に加わって、あなたを熱く見た」って、相当図々しいです。

ほんで、「別の人がくれたラブレター見せる」ってどんな意図?

嫉妬させたいってこと?

私がラブレター見せられる立場だったら、100%引きます。

で、サビの部分で、「あなたを振り向かせる」ってどんだけ自信あんねん!って思います。



いや~昔の歌って、やっぱかなり歌詞が面白くて分析しがいがあります。

それに比べて、なんか最近の歌はワンパターンな印象です。

ホンマは面白い歌詞の歌があって、私が知らないだけかもしれないんですけど・・・


また気が向いたら、こんなカンジの歌詞分析を書いていきたいと思ってます。


ほな、さいなら!


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akky_san at 12:30|PermalinkComments(0)雑談 | 歌詞分析

2015年09月29日

勝間和代著「最後の英語やり直し!」日本語教師にも示唆に富んだ良書

勝間さんって、金融や経済について話してる時は専門用語が多くて難しかったりしますが、彼女の書いた本は、平易で分かりやすい日本語で書かれていて、内容も具体的で読みやすいので、勝間さんの本はよく読んでます。

で、今回はこの「最後の英語のやり直し!」(2014 毎日新聞社 ISBN 978-4-620-32241-4)です。





私、通訳案内士になろうと思っていた時は英語受験をする予定で、TOEICが840点以上だと、英語の試験が免除されるので、英語の勉強をしてました。

だから、通訳案内士になるのを断念してからは、英語には全く手を付けてませんでした。

ただ、何となく、やっぱりできないよりできたほうがイイよなぁ~とは思ってたんですが・・・

そんな時に手に取ったのがこの本です。


で、この本を読んで感じたのが、「日本語教師にとっても、非常に示唆に富んだ本だ」っていうこと。

内容の概略を知ってもらうために、目次の部分を紹介します。


第1章 「コツ」から「蓄積」へ
-あなたの英語学習イメージを変える

第2章 私も英語で苦労した
-外資系の「落ちこぼれ」だった私

第3章 英語であなたの世界は60倍に広がる
-「象さん(感情)」への動機付け

第4章 語彙が増えなければ意味がない
-安く、楽しく、英語をインプットする方法

第5章 「日本語なまり」で問題なし
-アウトプットのために


私のブログを読んでる人は、日本語教育関係の人やそれに興味がある人だと想定してるので、日本語教師として興味深かった部分を中心に書いていきます。

で、この本は冒頭でも書いたように非常に読みやすく、3日もあれば読めるので、英語を本気で勉強したい人は、特にご購入をお勧めします。


まず、第1章。

著者は、私達がある程度英語を使えるようになるまでに必要な時間は、1000時間が目安と書いてます。

その根拠は、本書を読んでいただきたいのですが、1000時間っていうのは1日1時間として約3年です。

これを長いと感じるか、短いと感じるか、ですね。

そして、気をつけないといけないのが、この1000時間っていうのが、「英語を習った年数」ではなく、
「英語だけに接している時間」であるということ。

これは学生を見てたら分かりますよね。

日本にいる期間がかなり長いにもかかわらず、ずっと話せない学生。

なぜいつまでたっても日本語が上達しない学生が存在するのか?

で、これは逆に言えば、「日本語だけに接する時間」が長ければ長いほど、学生の日本語が上達するっていうこと。

でも、今の日本語学校のシステムでは、数時間を日本語を教えることに使っているだけで、後は放置。

まぁ、仕方ないんでしょうけど・・・

でも、もっと包括的な環境作りができれば、もっと早い段階で学生達にこの1000時間を突破させることができそうな気がします。

それから、この章の中で特に「へぇっ!」って思った部分が、記憶に関する部分。

私、長期記憶=エピソード記憶 って思ってました。

筆者によると、長期記憶には種類があって、

・エピソード記憶
・意味記憶
・手続き記憶

に分かれるということです。

筆者は、この「手続き記憶」で覚えるのが重要だと言っています。

私も、何か手続き記憶で覚えさせる工夫を、自分の授業で取り入れられないか、考えてみようと思ってます。

あと、「閾値」という概念も初めて知りました。

閾値というのは、心理学や生理学で使われる言葉で、ある反応を引き起こすのに必要な最小限のエネルギーのことです。

もっと分かりやすく書くと、練習を続けていてもずっとできなかったことがある日突然できるようになったりしますが、これが「閾値を超えた」ということのようです。

これは、スポーツをやっていた人なら分かる感覚だと思うのですが、語学学習でもそういうことがあるのか!っていうのが、私にとっては新鮮でした。


次に、第2章。

ここの内容は結構意外でした。

勝間さんといえば、アンダーセンやマッキンゼーといった外資系の企業で働いていたことが有名なので、最初から英語が得意だったのかと思ってました。

でも、そういうわけではなかったようです。

ホンマ苦労してはります


そして、この章の後半に、勝間さんの「英語の早期教育」に対する考えが書かれています。

私と同じ意見でした。

お子さんの英語教育について悩んではる親御さんは、この部分だけでも読む価値があると思います。


次の第3章は、私が最も「やっぱ英語やり直そう!」と思わされた部分です。

冒頭は、英語ができたら、それによってどんなことが可能になるか、の具体的なイメージについて。

次は、私達の理性を「象使い」、「感情」を「象」にたとえて、最初はやる気があっても、感情のせい
で3日坊主になってしまったりするメカニズムを説明し、いかにしてこの感情を味方に付けるかっていうところを説明しています。

そして、なぜ日本人は英語ができないか、ジワジワと進んできているグローバル化、そして英語ができない人のガラパゴス化などについて説明されています。

ここのガラパゴス化についての内容っていうのは、勝間さんがよく指摘してる、機会損失のことに他ならないと感じました。

つまり、英語ができないっていうだけで、私達は知らず知らずにどんどん損をしてるっていうこと。

このあたりは、彼女らしい視点です。


第4章は、日本語教育にも当てはまってくる内容。

やっぱ、語彙って超大事

今日の聴解の授業でも痛感したんですけど、知らない言葉をいくら聞いても分からない・・・

この章の中に、「楽しいだけでは・・・」っていう部分があるんですけど、これもホンマにそう

会話練習でキャッキャキャッキャ楽しくやっても、語彙がきちんと定着してないと、無意味です。

やっぱ、アウトプットしたいならそれ相応のインプットが必要ってこと。

そして、「語彙習得はCPが高い」っていうのも、金融畑の勝間さんならではの視点です。

大人の英語学習のポイントとして、「あなた中心」の目標、電子メディアの活用、PDCAを挙げています。

以前、いつぞやのエントリで私も書きましたが、日本語教育では、PDCAがほとんど行われていないように感じます。

なんか、PとDのみ。

Cのチェックを行ってしまうと芳しい成果が出ていない場合、その現実を受け入れたくないって思う人がいるんでしょう。

特に、カリキュラムを作ったり教材を選定したりした人が責任回避したり、あるメソッドの推進者がバイアスによる選択的認知をしたりする場面をよく見かけました(笑)

まぁ、だから、今は日本語教育がなかなかうまくいってないっていう現場が多くなってるような気がしますけど。


それから、著者はリスニングの圧倒的な重要性を強調しています。

これは、読めば「ああ、なるほど!」って思う内容です。

リスニングを鍛えるための素材も色々紹介されています。


第5章に関しては、最初は?って思いました。

理由はこちら ↓ 。

「発音が悪くてもそんなの気にせずどんどん話すことが大事」ってマジですか?


でも、読んでいくうちに、「ああ、はいはい、そういうことね!」って思ってきました。



そして、最後の締めくくりで、「ただ英語ができる人」になるのではなく、話す中身が大事であるっていうようなことが書いてあります。

これにも私は激しく同意

学生の中には、熟れた日本語を流暢に喋れるんだけど、中身がスカスカな人もいます。

確かにコミュニケーションの面からみると、非常に能力が高いんですが、それだけではちょっと・・・

ただ、今、日本語業界ではとりあえずコミュニケーション力を身につけさせようみたいな流れがありますが、ホンマにそれだけで大丈夫なんですか?ってずっと疑問に思ってました。

なので、この部分を読んで、ちょっと安心しました。



ところで、日本語教師で英語が喋れない人が多いような気がするんですけど、それは私の周りだけ?

でも、英語ができないっていうことはどういうことかっていうのがこの本には分かりやすく書いてあるので、ちょっとでも英語の勉強の必要性を感じてる人は、是非読んでほしいです。

あと、英語には興味なくても、実際の授業のヒントも十分あるので、オススメです。




kindle版
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akky_san at 18:32|PermalinkComments(0)学習 | 語学学習

2015年09月28日

日本語学校も地方に移転することが留学生にとってメリットしかない件

私、ここ最近感じているのが、タイトルにも書いたように、

企業も日本語学校も地方に移転したほうがイイんじゃないの?そのほうが絶対留学生にもメリットになる!


っていうこと。

前にも書いたように、もはや都会の優位性ってなくなってきてます。

昔だったら田舎町では買えないものは例えばその都道府県の県庁所在地に行かないと買えなかったり、さらにはそこでも買えないものが欲しい場合は、もっと規模の大きい都市に行かざるをえませんでした。

でも、買い物に関しては、ネットでどこからでも購入できます。

情報なんかはもっとそうですし。

実際、企業でも去年YKKの本社が富山に移転したことが話題になりました。

なので、ある程度の設備さえあれば、別に都会で日本語教育を行わなくても、田舎で十分できると考えてます。

で、留学生も絶対そっちのほうが色んなメリットが出てきます。

以下、私が考えるメリットを挙げていきます。


1 日本語に接触する機会が増える


都会には人が集まっているので、大体どんな国籍でもコミュニティがあったりします。

地域にもよりますが、田舎だとそういうものが無いので、必然的に日本語でサバイバルしないといけなくなります。

あと、このエントリにも書きましたが ↓

タスクシラバスって、きちんと遂行するのはホンマにムズい!

最近は特に都会では、なにをするにも特にわざわざ発話をする機会は少なくなっています。

まぁ、コンビニとかなら田舎でも殆ど客は喋りませんが、個人商店とかなら発話の機会は増えそうです。

あと、駅の案内板もあんまり親切に表示されてなかったりするので、必然的に駅員さんに聞いたりしないといけなくなりそうです。

そうなると、初級の教科書で習う「〇〇はどこですか?」とか「次の電車は何時に来ますか?/どこへ行きますか?」など、都会で生活してたらあんまり実際に使わないような表現を使う機会が増えそうです。

で、住むところは、アパートなどの集合住宅で一人暮らしじゃなく、日本人のお宅へのホームステイにする

部屋数にもよりますが、一世帯に留学生が1~3人で、2人以上になると、国籍をバラバラにするって
いう条件付きで。

逆に、日本語が上手にならない理由はこのエントリに書きました。

なぜいつまでたっても日本語が上達しない学生が存在するのか?

つまり、同国人とは普段の生活ではできるだけ接触させないことによって、日本語を使わせるっていう目的です。

で、このホームステイは、次のメリットにも関係してきます。


2 日本文化に触れられる


今、都会で暮らしてる留学生は、狭いアパートに住んで、生活の場は家、バイト先、学校のみで、たまに学校で日本語学校らしいイベントはあったりするものの、基本的には伝統的な日本文化に触れたりする機会は少ないです。

で、先日、うちのクラスで、「日本の夏といえば、何?」ってきいたところ、「暑い」としか返ってきませんでした・・・

なので、改めて「日本の夏らしいものって言えば、何をイメージする?」って聞いても、「ん~」としか言ってませんでした。

蚊取り線香すら知りませんでした。

日本人だと他にも、花火、風鈴、朝顔、海水浴、ぶどうなどなど、色んなものを思い浮かべると思います。

でも、留学生が知らないのは当然ですよね~

だって、都会だとなかなか季節の風物詩っていうか、季節感をあんま感じないですからね~

特に、私がずっと日本語を教えてて留学生がかなりの期間日本にいるのに全然知らないんだって思う
ものが、「伝統的な日本家屋」です。





これ、映画「サマーウォーズ」の1シーンです。

ここまでデカい家じゃなくてもいいんですけど、大体こんなイメージ。

土間、縁側、納戸、床の間、蔵、坪庭や、障子、ふすま、敷居、鴨居などの名称はもちろん知らないし、日本家屋はなぜ基本的に木と紙でできているのか、また、どんな工夫がほどこされているのかなど、全然知りません。

せっかく日本に住んでるのに、もったいないなぁってずっと思ってました。

それと、最近海外でも人気の和食は「旬」や「季節感」を重視しますが、都会の留学生はそういうのも
知らないことが多いです。

最近は野菜などもハウス栽培で、きゅうりなども1年中目にします。

でも、これも田舎で生活すれば何が旬かとかいうことも目の当たりにできます。

で、ホームステイは次のメリットにも関係します。


3 学校側も学生側もコストが安くなる


まず、学校側は都会に比べて、場所代が安くなります。

地方には廃校になった学校も増えてきていて、そういうところを利用すれば、初期費用としてリノベーションは必要になってくるとは思いますが、かなり格安で運営できます。

日本の場合、よほど古くなければ、建築はしっかりしているので、安全性に関してもそれほど心配は無さそうです。

なので、学校の運営費が安くできるぶん、そこで働く教師や学生に還元できる余地も生まれてくるかもしれません。

特に学生は、学費が安くなる可能性が出てきます。

一方、学生にとっても田舎の家賃は都会とは全然違うので、かなり経済的に楽になります。

で、今、バルセロナなどで一戸建てに一人で住む高齢者が家賃を取らずに部屋を貸すっていう「世代
間同居」っていうものが広まっているそうです。

もしこれが日本でも広まったら、留学生はかなり生活コストが下がりそうです。

特に貨幣価値が違うベトナムからの学生にとっては魅力的ではないかと思います。

今は、学費と家賃、生活費などのために、長時間バイトをして学校ではグッタリし、集中力も無いまま授業を受けて、日本語能力が上がらないっていう悪循環に陥っている学生が多いように感じます。

でも、田舎でこういう暮らしをすれば、そういうこともなくなり、良いコンディションで授業が受けられるんじゃないかなって思います。

また、例えば、そこの家主さんが料理上手な人だったら、別料金(これも格安で)を払えば朝晩のご飯を作ってもらえたりして、健康にも良さそうです。

バイトなどに忙しい学生は食事をする暇もないのか、今の学校でも、長めの休み時間の後に教室に入ると、フライドチキンやカップラーメンの匂いが充満してます。(そろそろおでんの匂いに変わります)

最近の研究では、食事の学習効果に与える影響も指摘されているので、食生活も改善できれば、日本語の学習効果も高まります。


4 リスクヘッジ


まぁ、今年は特に日本はどこもかしこも災害が多く、田舎に行けば即リスクが下がるとは思いません。

ただ、こないだの7月の台風で、大阪ではJRが機能しなくなり、JR大阪駅では帰宅困難者が溢れかえってました。(台風が去った後ですよ!)

かなり以前のNHKスペシャルで首都直下型地震が起きたときのシミュレーション映像でも、帰宅困難者
の問題が浮き彫りになってました。

災害リスクは日本全国で大体そこまで変わんないと思いますけど、その後のことは人口が集中している
場所では、何らかの被害が出たときにそれが拡大します。


あと、学校側にとってもリスクヘッジになります。

私は、「移転」と書きましたが、田舎に行きたがらない学生もいるだろうから、厳密に書くと「一部移転」や「分校を創設する」っていうのがいいと思ってます。

で、都会にしか学校が無いと、その場所で大きい災害が起きた場合、即壊滅です。

ところで、金融業界では、「アセットアロケーション(asset allocation)」という概念があり、これは「分散投資」を意味します。

どういうことかというと、特定の銘柄のみに投資するよりも、例えば、海外株式、海外債権、国内株式、国内債券といったように、分散して投資したほうが、リスクが下がるっていう、リスクマネジメントの手法です。

これと同じ考え方で、地方にも学校を持っておけば、都会の学校が壊滅的な被害を受けても、経営基盤
は残ります。


5 日本語学校の教室不足解消


これはちょっと現実的な話。

最近、ホンマによく、「教室の数がギリギリで、これ以上学生が増えたら足りんくなるかも」みたいな
話を聞きます。

また、近い将来日本語学校がかなりたくさん新設されそうなんですが、もちろん増えた学生を新設校
だけで吸収できるわけではなく、既存校にも続々と新入生が入ってきます。

目先の利益しか考えてない学校は、「申請しても恐らく全員は許可がおりないだろうから、とりあえず
申請するだけしといて、もし全員許可されたら、後で考えよう」とか思ってます(笑)

なので、教室が足りなくなる学校が出てくるだろうと思います。

なので、田舎に学校を作っておけば、この事態は避けられるというわけです。


6 学生の進学先の選択肢が広がる


これもメインの目的ではないんですが、一応メリットになると思うので。

一度都会に住んでしまうと、そこでの生活に慣れてしまい、地方の大学を受けるのを極端に嫌がる学生がいます。

特に国公立志望の学生に多く見られる傾向です。

で、そういう学生に限って、地方国公立でギリギリっていう程度の学力だったりします。

でもね~都会の国公立って、合格難しいよ・・・

あと、例えば、大阪大学と大阪市立大学とかは受験日程もカブるっていう意味でも、都会の国公立しか受けないってことは、選択肢を狭めることになります。

でも、田舎暮らしをしておけば、地方の大学に行くっていうハードルは下がります。

その結果、柔軟に受験校を考えることができ、合格の可能性が高まります。


ここまで書いてきましたが、念頭においてる学生っていうのは、今担当してるベトナム人留学生なので、他の国籍の学生には当てはまらないかもしれません。

で、これをホンマに実現しようとしても、現実的にはかなり大変だと思います。

でも、基本的なコンセプトとしてはよくないですか?


あと、地方にとってもメリットは多いと思います。

地方では限界集落や過疎化が深刻化し、コミュニティ自体が消滅しようとしてます。

住んでいるのは高齢者ばっかりで、少子化によって子供が減り町の活性化などのぞむべくもない状況。

一方で、留学生は都会に住んで、高い授業料を学校に払い、割高な家賃を払うか、安いけど劣悪な住環境に住んでいて、バイトに齷齪してる状況。

なんか、この2つの状況をうまい具合にマッチングできないかな?って思っていて、それには日本語学校が地方に移転するのが一番イイんじゃないかなって思って書いてみました。


ほな、さいなら!


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akky_san at 17:08|PermalinkComments(0)日本語学校 

2015年09月27日

こないだやっと再開できた30秒スピーチ

今年初めて、30秒スピーチっていうのを始めてみました。


最近、毎週やっている30秒スピーチはこんなカンジ


今担当してるクラスのカリキュラムの中には、特に「会話」などを行うようなコマは無いので、ベテランの先生のアドバイスを受けて、始めることにしたわけです。

で、夏休みの前後に、志望理由書を授業内で書かせたり、

授業で志望理由書を書かせたものの・・・内容と書き上がる時間に差が出すぎな件

面接練習をやったりして、

外国人留学生の大学入試が本格的にスタート、ってことで授業内で面接練習を行った結果

ずっと中断してました・・・


志望理由書のほうは、学生が甘く見てたふしがあり、ある程度のものを完成させるのに、めっちゃ時間がかかってしまい、スピーチの時間がなかなかとれませんでした。

面接練習のほうは、一応これも口頭練習になるので、スピーチのほうはちょっとやらんくてもイイかなって判断して中断してました。


で、先日時間的に余裕が出てきたので、やっとこの30秒スピーチを再開させることができました。


今までは「事実文」だったのですが、そろそろ意見文に移行していきたかったので、その前段階として、「気持ち/感想 + その理由」みたいな感じで、「今欲しいもの」っていうテーマを設定して行いました。

で、「久しぶりに30秒スピーチをしますよ~」って言ったとたん、

「エエ~

って言われました・・・

やっぱまだ苦手意識が拭えてないってことなんでしょうかね~

でも、これも慣れればそういうのも無くなってくるとは思いますけど。

で、いつものように5分時間を与えて話す内容を考えてもらって、スタート


あ、そうそう!

このテーマでは、とりあえず、お金、志望大学合格、彼氏/彼女は禁止ってことにしました。

お金の場合は、そのお金と引き替えに欲しいものを言えばいいわけだし、志望大学合格とか彼氏/彼女とかはあんまりオリジナリティーがある内容になりそうにないからです。


まず一人目は、「料理を作るロボット」。

これは、インスタントやレトルトではなく、誰かがちゃんと作った料理が食べたいけど、疲れた時や遅く帰った時は自分でつくるのが面倒くさいからだそうです。

二人目は「悲しい記憶を忘れるための機械」。

何があったんでしょうか・・・

先生は心配です。

三人目と四人目は、「時間」。

このクラスはベトナム人学生が多く、経済的にカツカツだったりするので、バイトにもかなり時間を割かないといけないっていう事情があります。

五人目は、「足にピッタリ合う靴」。

六人目は体のゴツい男子なんですが、意外にも「大きな犬のぬいぐるみ」。

理由は、日本は寒いし、一人暮らしは寂しいので、寝るときに抱っこして寝たいそうです。

七人目は、この学生も男子なんですが、「バイク」。

今の世の中は忙しくて、移動に時間をかけるのはもったいないと思うからだそうです。

八人目も男子で、「日本人の友達」。

ベトナム人の友達はたくさんいるけど、同国人の友達ばっかりだと日本語を話すチャンスが少ないから。

できれば、カワイイ女の子が希望だそうです。

ちゃっかりしてます。

九人目は、「新しいノートパソコン」。

理由は、スマホではアクセスできないページなどがあるから。

今、実際に、新しいノートPCを買うためにバイトを頑張ってるそうです。

10人目は、「健康」。

今年は、受験をする大事な年だからだそうです。


この日は何人か欠席した学生がいたので、10人しかできませんでした。


で、スピーチが終わってから、一人一人に日本語の問題や発音/アクセントの問題などをフィードバックしました。

まぁフィードバックしたからといって、すぐそれを修正することは難しいんですが、話す時に意識だけ
でもしてくれれば、と思って行いました。


で、学生に「先生の欲しいものは何ですか?」って聞かれたので、

「5.5号炊きの炊飯器と、ハイレゾのウォークマンと、性能のいいタブレット端末」

って答えておきました。


次回は明日なんですが、「私の好きな場所」っていうテーマでやってみようと思ってます。


因みに私が好きな場所は、「産地直売所」です。


ほな、さいなら!


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akky_san at 20:06|PermalinkComments(0)授業内容 | スピーチ