2016年09月

2016年09月30日

初級文法の、「動詞可能形 + ようになる」と日本語の「可能」の概念の難しさに改めて気づいた

昨日、N2文型の「~からというもの」の自由作文を添削していたところ、次のような文が出てきました。


・日本へ来てからというもの、自分で料理が作れるようになった。


という文です。

もし皆さんなら、この文をどう判断しますか?

まず、正用か誤用か、どちらだと判断されますか?

私は、「誤用である」と判断しました。

問題なのは、後半部分の「自分で料理が作れるようになった」という部分。

皆さんは、ここがどうおかしいのか分かりますか?

まだそれほど経験が長くない先生は、「なんとなくおかしいのは分かるんだけど、どこがおかしいのか、あるいはどう直したらいいのか分からない」というふうに感じられる方もいそうです。


これは、ズバリ

「~というもの」という文型は、習慣の変化にしか使わない

ということではないかと。

つまり、

しなかった(過去) → する/している(現在) = 習慣の変化 = するようになった

には使えるけど、

できなかった(過去) → できる(現在) = 不可能(過去) → 可能(現在) = できるようになった

には使えないってこと。


今まではこういう誤用が出てこなかったので(出てきてたけど、気づいてなかっただけっていう可能性も・・・)、この文型を教える時に、こういうことを押さえていませんでした。

だから、このクラスでも授業では言及しなかったので、こういう誤用が出てきたとも言えます。


ずっと教えてても、気づいてないことっていっぱいあるモンですね

っていうか、まだまだ私が気づいてないことも相当あるんじゃないかと思います。


このことを受けて、さらに思考を深めていった結果、「動詞可能形 + ようになる」がかなり難しい概念であるということ。

なぜそう思ったかっていうと、

・自転車に乗れるようになった。

・ピアノがひけるようになった。

の違いに気づいたから。

みなさん、この2つの文がどのように違うかって、考えたことありますか?

私は今まで考えたことが無かったんですが、この日は突然、「ちょっとちゃうかも!」って思いました。

・自転車に乗れるようになった。

という文は、「乗れた」瞬間というか、乗れるようになったタイミングが比較的はっきりしていて、それ以降は特に何も考えなくても体が勝手に動いて「乗れる」という状況が継続します。

ところが、

・ピアノがひけるようになった。

という文は、「ひけた」瞬間っていうのがはっきりしておらず、何をもって「ひけた」とするのかっていうのはかなり主観的で、人によって違ったりします。さらに、相当レベルが高い人も、以前は上手にひけた曲も、体調不良などによって「ひけた」とした時点以降に「ひけなくなった」ということもありえます。

つまり、「ひける」っていうのはピアノの腕前のレベルや演奏者などによって、かなり幅があるということです。

他に「外国語が話せる」なども、挨拶ができる程度で「話せる」と思う人もいるし、ネイティブスピーカー並みに話せて初めて「話せる」とする場合もあるでしょう。

同じ「可能形」でも動詞によって、その意味領域が全く違うのではないか?と思ったわけです。

まあ普通はここまでの内容は、初級の授業で学生に提示はしません。

こんなところまで説明したら、学生は混乱の極みに陥りますから・・・

ただ、教師は知っておいても良い知識ではないかと。

それがすぐに授業に反映できるかというのは、また別の話。


☆☆☆☆☆☆☆


そして、改めて思ったのが、

やっぱ初級の文法を正確に理解するには、初級だけ教えてちゃダメなんだな

ということ。

なぜって、私が今2級文型を教えてて、初めて今回のことに気づいたから。

逆に考えると、2級文型を教えてこんな誤用が出てくるまで、私はこのことには気づかなかっただろうな、と思います。


今回改めて初級文法の奥深さや難しさに気が付いたし、1つのレベルだけでなく、その上のレベルや下のレベルのクラスの授業をしたからこそ気づけることってあるんだなと。

だから、ここでも書いたように( → 一つの学校で担当してるクラスが固定化してる先生は危機感持ってもいいです )、ずーっと同じことをしてると変化が無いので、今日書いたようなコトに気が付くチャンスが無い = 成長できない、ってことにつながります。

確かに、ずーっと同じレベルで授業をしてれば、教材が変わったりしない限り、前のものが使い回しできるため、準備は楽チンです。

でも、成長したい人は可能であれば(非常勤講師の発言や希望が受け入れられやすい空気があるとか)、できるだけ色々なレベルで教えたほうがいいと思います。

ただ、学期中に3レベル以上になると、色々とシンドくなるので気をつけてください。

私も、タマには初級で教えたいです。


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akky_san at 15:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年09月29日

トピック別漢字教材には無理があると感じる理由3つ

最近の漢字教材って、トピックによって分類されているものが多く出てきてます。

でも、私はこれってかなり無理があるよな~って感じることが多いんですが、今現在こういう教材を使っている先生は、どうお考えなのかちょっと知りたいです。

あんまりそう感じることは無かったりするんですかね?

まあとりあえず、私がそう感じる理由を書いていきます。


☆☆☆☆☆☆☆


1 そのトピックの漢字1字 + 他の漢字 → 熟語 = 他のトピックの語彙 になるから

こういうパターンって、見過ごされてるような気がしますけど、私はこれって非常に良くないことじゃないかと考えます。

トピック別の漢字教材って、最初に扉絵(文章やグラフ、表などの場合も)があり、そこにそのトピックの語彙が色々載っていて、その語彙を構成している漢字を次のページから並べているパターンが多いです。

例えば、とある漢字教材のトピックの「駅」というトピックの場合。

そこの1ページ目の扉絵の中には、切符、定期券、枚数、改札口、精算、特急券、〇〇方面、停車駅、時刻表、快速、普通、乗り換え、禁煙、危険、線路、禁止、といった語彙が提示されています。

これだけなら、全く何の問題もありません。

ところが、次のページからこれらの漢字が順番に並べられ、その漢字が含まれる語彙がその漢字の右側に列挙されています。

私は、これが問題だと考えます。

例えば、切符の「符」の符号、精算の「精」の精神、方面の「面」の表面、時刻表の「刻」の深刻、禁煙の「煙」の煙突、危険の「険」の冒険、といった語彙は、「駅」とは関係ないと考えるのが妥当です。

せっかくこれらの漢字を教えるのであれば、中級レベルのその漢字が含まれた語彙を教えたいと考えるのも分からなくはないんですが、それだったらトピック別にする意味は無くなります。

もし他の語彙も教えたいのであれば、トピック別ではなく、無味乾燥なアイウエオ順で事足ります。

また、逆に語彙には全く触れずに漢字のみに特化して教えることができれば、その教材を使えているということになるのかもしれませんが、漢字のみを教えてもその漢字が単漢字で使われる頻度は少なく、特に音読みしかない漢字の場合は熟語になるため(「肉」などは例外)、無意味です。


こういうどっちに転んでも意味が無くなるので、トピック別は非常に無理があるな、と。


2 トピックで選ばれている語彙の中には、トピックとの結びつきが弱い場合がある

例えば、「趣味」というトピックでは、確かに一個人の趣味になりうるものであっても、学習者の趣味とは全く無関係なものがあり、そうなると学習者は自分なりの「趣味」という概念とは結び付けられません。

同様に、料理や買い物などのテーマも、中級以上になると出てくる語彙のと個人が持ってるものとの間にギャップが生まれ、一般化しにくくなります。

このような教材を見ていると、「なぜこのトピックで、なぜにこの語彙が出てくんの?」みたいなことがあります。

初級の漢字教材だと、あんまりそういうことは無いんですが。


3 特に非漢字圏の学生は、そのトピックの内容と漢字の読み・形・意味を結び付けにくい

今のベトナム人学生を見ていると、漢字の形&意味だとまだちょっとかすかに一致させてたりしますけど、そこに音が入るととたんに覚えられなくなっています。

漢字一文字のなかでさえ、シナプス結合で記憶することが難しいのに、ましてや複数(中級以上の教材だと、一つの課の中にはそこそこたくさんあります)の漢字とそのトピックの内容を結び付けるのは不可能かと・・・

そしてその課がたくさんあると、おそらく覚える負担がかなり大きくなり、「覚えよう」という意欲もなくなりかねません。

私は個人的には、以前にも何回か書きましたが、非漢字圏の学生にとっては何の工夫もないアイウエオ順のほうが負担が少ないのではないか、と考えます。

例えば、「義」という漢字が出てきたら、続けて「儀」、「犠、「議」などの漢字が出てきて、とりあえず「義」の音読みが「ギ」なんだから、右側のつくりが同じ漢字も音読みは同じく「ギ」であるという説明ができ、学生の理解の負担も少なくて済みます。


☆☆☆☆☆☆☆


もちろん、漢字教材はトピック別かどうかだけで評価できるものではなく、他にも各国語の訳があるか、例文があるか、書き順が提示してあるか(これは正しい書き順を覚えるためというよりも、非漢字圏の学生が適切なフォルムで漢字を書くための、あくまでも助けという意味)なども、学生の漢字習得に大きく影響してきます。

ただ、わざわざトピック別をしても無理があるっていうか、特に非漢字圏の学生にとってはツラいんじゃないですかね?


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akky_san at 17:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)教材 

2016年09月28日

木こりのジレンマに陥ってませんか?

この「木こりのジレンマ」っていう言葉を聞いたことがありますか?

「木こりのジレンマ」というのは、

ある村に新しい斧を手に入れた木こりがいた。1日目、その斧で森の木を10本切り倒した。日を追うごとに彼はより長時間、より懸命に仕事に精を出すようになっていったが、それに反して、切り倒す木の数は日増しに少なくなっていった。
それを見た仲間が「なぜ斧の刃を研がないのか? ボロボロになっているから切り倒せないんだ」と彼にアドバイスをした。
すると働き者の木こりはこう答えた。「そんなことをしている暇があったら、もっと多くの木を切らなければいけない」と。

という内容のものです。

何が言いたいのか分かりますよね?

これは、成果や生産性に直結する「斧を研ぐ」ということをしないで、目の前の「木を切る」ということを優先してしまったため、生産性が低下しているということを皮肉たっぷりに説明したものです。

これは、私が以前書いた「時間管理」とも深く関係する話です。 → 日本語教師のためのライフハック術 1 時間管理

このエントリの中では、第Ⅲ領域に当たる部分です。

つまり、緊急性はあるけど重要度は低い領域。

そして、このようなワークスタイルはカナル現象と言われています。

そのいくつかを紹介すると、


・重要なことより急ぐことを優先する

・予定していたことより、急に飛び込んできた仕事を優先する

・難しそうなことより易しそうなことを優先する

・初めてのことより、慣れたことを優先する


などなどです。(詳しくはこちら → カナル現象


そして、このような仕事の仕方は、必ずしも「重要度が高く、優先順位が高いもの」とは限りません。

っていうか、論理的思考による決定というより、直感的に考えた結果こういう現象が起こります。


「緊急性はあるが、需要ではない範疇」は、非常勤の先生だったら、


・教案づくりを含めた、授業準備に追われる

・日々の小テストの採点やその転記、宿題の添削に追われる


ということが想定されます。

その結果、


・論文や専門書を読んだりといった自己投資

・その日の授業の振り返り


といったことが置き去りにされます。


一方で、専任の先生(ここでは初級、中級、上級などレベルの中のクラス全体を統括している専任を想定してます)になると、


・日々の小テストや宿題の作成

・定期テストの作成

・カリキュラムの作成

・クラス分け

・学生指導(特に困ったチャン)

・突然代講が発生した場合の対応


などがここに入ります。

これらのことって、色んな学校の先生に話を聞いてても、ホンマに自転車操業になりがちだということです。


だからこそ、本来ならば重要であるはずの


・教材研究

・会話や作文/小論文の主観評価の研究と進級判定における位置づけの検討

・各レベルの到達目標の設定と、レベル同士のつながり

・新人教師の育成


といったことが、なおざりにされているという現実があります。


確かにこれらのことっていうのは、一朝一夕に結論や結果が出ることではなく、なかなか難しいことではありますが、やはり優先順位が高い項目であると私は考えています。

ただ、例外的に緊急性も重要度も高いケースがあり、それは「進学希望の学生の、受験が差し迫っている」という場合。

ホンマにほとんどの留学生って、受験や出願期間の日程から逆算して前倒しで準備するっていうことをせず、ギリギリになって「志望理由書がまだ書けません」などと、平気で言ってきたりします。

そういう場合は、急いでその学生に対応しなければなりません。なぜなら、日程が差し迫っていて(緊急)、進学はその学生の将来を決める要素になる(重要)可能性が高いから。


このような例外は置いといて、このように「木こりのジレンマ」に陥っている個人や学校は、ある程度までは自転車操業でなんとかなるかもしれませんが、いずれ息切れして破綻する時が来ます。

それと個人的に感じるのは、こんな状況に陥ってる人って、いわゆるブラック企業の「社畜さん♪」っていうイメージ。


非常勤講師は、まだ自分で出勤日数を希望したりしてある程度のタイムマネジメントはできますけど、専任の先生は大変そうです。

私が今まで見てきた学校でも、専任講師はかなりこの「木こりのジレンマ」的な状況にあることが多かったです。


なので、自分がちょっとでも当てはまるっていう自覚がある人は、

1 その仕事には、生産性と成果を生み出すような重要性が本当にあるのか?

2 重要性が無いものも含めて、自分が緊急性が高いものばかりを優先していないか?

などを今一度振り返ってみてください。


ただ、一番ヤッカイなのは、自覚症状が無い人なんですけど、そういう人は私のブログを読む時間なんて到底捻出できないくらい忙しいハズなので、私も手の打ちようがありません。


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akky_san at 20:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)生き方 | 働き方

2016年09月26日

今までの初級文法の教え方間違ってたんちゃうの? その3 道案内

初級レベルで道案内をするのも、もうやめてしまって中級以降に回したらイイのに!って思ってます。

理由は色々あるので、それを今から書いていきます。


☆☆☆☆☆☆☆


まずは、道案内をする立場から。


1 外見が明らかに外国人という人は、道を聞かれない

どこの国や地域の人でもイイんですけど、日本人じゃないなっていうのが一目瞭然の人には、日本人は道を聞きません。

皆さんもそうじゃないですか?

その人が単なる旅行者である可能性もありますし、旅行者ではないっていう場合でもその人が日本語を理解できるかどうかもよく分かりません。

そういう人にわざわざ日本語で、道を聞いたりしません。


実際、今教えている学生(既に日本には2年から2年半住んでる人達)に「今までに道を聞かれたことある?」って聞いたところ、その経験があるのは1人だけでした。


2 教科書の中の道案内の設定と現実が違いすぎる場合、教科書の内容が役に立たない

私、これしょっちゅう経験してます。

英語を習っているときに、教科書で道案内も出てきたんですけど、その行き方と実際に私が説明を求められている内容が違いすぎて、全く説明できなかったことがあります。

結局、「This way.」ってジェスチャーで一言言うにとどまりました。

さらに、初級では語彙などが限られているため、実際の状況には対応できない場合が多くなります。

道案内が初級の教科書のどのあたりに出てくるのかは教科書によって違うのですが、例えばその時点で教科書に出てきていない施設名とかの説明をせざるをえない状況になったら、その段階でお手上げです。

現実には、郵便局や銀行や学校ばかりがでてくるとは限らないってこと。

最近全国的にも有名になってきた「梅田ダンジョン」なんか、私も日本語で上手に説明できるかどうか全く自信がありません。

道案内のストラテジーって、母語とか第二外国語とかに関係ないスキルですし。


3 初級の学生は生活範囲が狭く、それ以外の道をそもそも知らない

日本に来てまだそんなに経っていない場合、彼らの生活圏って、学校・自宅・バイト先(アルバイトをしてる学生は)くらいのもんです。

よほど時間もお金も余裕があって、好奇心の旺盛な学生でない限り、この範囲からは出ないことが多く、道を聞かれる可能性が高い繁華街や観光スポットなどの道は知りません。

なので、道案内をしようにも日本語の問題じゃなく、地理的な知識がかけているために案内できません。


次に、道案内の説明を聞く立場から。


1 道案内をしてくれる人が「この人、日本語できる!」と判断し、フツウに喋られると留学生は理解できない

これ、経験したことがある人多そう。

私もそうなんですけど、学校で道案内の聞き方&道案内のしかたを習って、その表現を実際に使ってみようと思い立ち、現地で道を尋ねたら、普通にネイティブスピーカーに喋るように喋られてしまい、知らない語彙まみれの文をかなりのスピードで話されて、意味不明な笑顔で「ありがとう・・・」とだけ言って、這う這うの体で逃げ帰ったっていうような経験。

発音が良く、その発話に流暢さがある人であればあるほど、初級レベルでもこういう経験が多くなります。

こういう場合、語彙も教科書に載っていないような語彙がバンバン出てきます。

このあたりは、上記の2とも共通します。


2 GoogleMapで事足りる

これ、前に書いた記事なんですけど、タスクを達成するための言語活動の必要性がドンドン少なくなりつつあります。 → スクシラバスって、きちんと遂行するのはホンマにムズい!

なので、「誰かに話しかけて、ある地点までの行き方を説明してもらう」っていう機会がかなり減っています。

大阪にも外国人観光客が多く来てますが、ほとんどの人がスマホを見ながら実際の周りの様子と照らし合わせて歩いています。


☆☆☆☆☆☆☆


初級で出てくる「道案内」っていうのは、


・~んですが(ここに行きたいんですが、道が分からないんですが など)

・~と(この道をまっすぐ行くと、右側に郵便局があります。など)


などの文法項目を入れるために設定されているように感じます。

でも、これらの項目って、他の場面やタスクで教えることも可能だから、そこまで道案内に固執しなくてもイイのに・・・

例えば、「~んですが」であれば「消しゴムを忘れてしまったんですが、貸してもらえませんか?」でもイイし、「~と」なら「このボタンを押すと、電源が入ります(語彙がムズいか?)」とか「おなかがいっぱいになると、眠くなります」とかでも、全然対応可能です。

ただ、このあたりは、どのように発話のインセンティブを働かせるかということは、考える必要があると思いますが。


なので、ホンマはハードルが高かったりする「道案内」をむやみに初級で教える必要は無く、これもいっそのこと初級からハズしてしまったらイイと考えたしだいであります。


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akky_san at 18:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)授業内容 | 文法

2016年09月25日

超今更やけど、留学試験(EJU)の他科目の英語受験って不公平じゃない?

また再来月に日本留学試験(EJU)が行われます。国公立大学を目指している学生にとっては、この試験が正念場になりそう。

ウチの進学コースでは、6月の留学試験の日本語の点数が、去年の留学試験の点数より50点くらい上がった学生が結構いて、11月の試験ではもっと上の点数を目指しています。

で、そういう学生はイイんですけど・・・日本留学試験って、日本語のテストは当然のことながら日本語のみの試験になっているんですが、他科目、例えば、総合科目(私の時代でいうと現代社会のような内容)、数学、物理、生物などは日本語だけでなく、英語受験も認められています。

ウチのトルコ人男子はこの英語受験を利用して、総合科目は7割強の点数を取れたので、「良かったね~!」って話をしてたんですが、ちょっと立ち止まって考えた場合、これってホンマにエエの?と思うようになってきてしまいました。

因みに、日本留学試験(EJU)の総合科目っていうのはこんな試験です →   基礎学力科目(総合科目)シラバス改訂版の公表


これって、もし日本語のレベルが低い学生が理解しようと思っても、到底無理な内容です。特に、非漢字圏の学生にとっては、この内容を知ってはいても漢字が分からないせいで、設問の内容や選択肢の意味が分からない学生が続出しそうです。

そこで、JASSO(この試験を作成したり運営したりしている団体)は、英語の翻訳の試験を作ったんだと推察されます。ここで、私の超素朴な疑問は、「なんで英語だけなの?」です。

他の言語が無いのはなぜ?
翻訳が英語のみである、妥当性がある理由を提示できるのかな?などなど、疑問は尽きません。

これって、実際のところ、昔多かった中国人留学生は概ね漢字で類推できるし、それ以外の外国人留学生(おそらく英語圏の白人の留学生だけを想定)は、英語の翻訳があれば条件は同じだろう、という想定をしたのだろうということが透けて見えます。

確かに、それで恩恵を受けてる留学生も少なからず存在します。でも、それ以外の母語や公用語の留学生はどうなるの?そこには配慮しなくてイイの?もし配慮しないのだったら、英語圏の留学生との公平性は担保できてるの?などと、最近は色々考えてしまいます。

特に、漢字もできないし英語もできないっていう、ベトナム人留学生がこの狭間でもがいてるっていうね。どっちのメリットも享受できない、かわいそうな存在です。

まあ、日本留学試験(EJU)の受験者数も今後はどうなってくるか分かりませんし、明らかに書店の留学試験の教材のスペースも減ってきてますしね。

JASSOさんは、ホンマにこの現状でいいのかどうか、考える時期にきてるんじゃないでしょうかね?


ほな、さいなら!


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akky_san at 21:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)EJU