2018年09月
2018年09月29日
ここ最近、私が学生のアウトプットした不自然な日本語に触れた時に行う思考の方法
学生に日本語の文を作らせると、かなりの確率で不自然な日本語の文をアウトプットします。
そんな時、あなたならどのように考えますか?
私もそうだったんですが、多くの日本語教師は
などと考えます。
3に関してはまた別に思うところがあるので、別立てでエントリに書きたいと思っています。
私も2、3年前までは、まずその日本語の文が文法的に正しいかどうか、という判断を行ってました。
明らかに文法的に間違ってたら、その判断でいいんです。
例えば、初級だと
で、中級になると
などなどで、他にも列挙すればいくらでもできるんですが、代表的なものはこんなもんです。
上記のような文だとすぐに誤用だと判断できますが、問題はもっとビミョーな文です。
申し訳ないんですが、今私が教えている学生は「明らかな間違い」しかせずビミョーな日本語の文を集められてないので、例示はできません・・・
なので、今この段階ではそういう文を提示できません・・・
なんですが、そういう文に私が触れた時に考えるようになったのは、その文が文法的に正しいかどうかではなく、
わざわざその文型や語彙を使って表出する必要があるかどうか
です。
私がまだ若く、相手にあまり遠慮しなかった時に教務として模擬授業を見せていただいた時のことです。
その先生が教えていたのは「〜について」でした。
一通りその先生の説明が終わって、そのクラスの学生もコーラスしたり練習したりしてました。
でも、私がフィードバックの時にその先生にお聞きしたのは、「先生、『〜を』とどう違うかお考えになりましたか?」ってこと。
その先生が提示していた例文は、例えばこんな感じの文。
です。
その先生の説明では、「私は大学で、日本の歴史を研究しています。」という文との違いが明瞭には分からなかったんです。
結論から書くと、「〜について」と「〜を」の違いをはっきり浮かび上がらせることができない例文が不適切だったってことなんです。
もっと、違いがわかるような例文を考えることも可能だったはず。
つまり、「〜について」を使わずにはいられない、あるいは使わざるを得ない状況下で出てくるような例文にすべきだったってこと。
逆に書くと、上記のような例だったら、わざわざ学習者が「〜について」を使うインセンティブが働かないってことなんです。
特に、意思の疎通ができればいいとか、意図が伝わればいいっていう文脈の時。
なぜなら、医師の疎通ができればいいっていうことは、とりもなおさず細かいニュアンスは表現できなくてもよく、そのような心情でのアウトプットなのかもどうでもいいから。
そういう最低限のことが伝わればいいのであれば、初級文法である程度はいけます。
中級文型を使う必要性はあまりありません。
しかし、初級文法の「〜のに」ではなく中級文型の「〜ものの」を使うには、それなりのインセンティブが働いてるんです。
なぜ、その文型を使う必要があるのか?
そのあたりのことを思考の方法にすると、学生から出てきた不自然な文を判断する時に「正しいかどうか」よりも色んな視点で見ることができるようになります。
まあ「正しいか間違ってるか」っていうのは二元論なので、そこにハマると個人の語感などの主観が入ってきてしまい、適切な判断がしにくくなったりしますし。
すぐに正誤で判断してしまうのではなく、その日本語を使う必要性やインセンティブで考えてみたらどうでしょう?
今までは見えなかったことが見えてくるようになるかもしれませんよ!
ほな、さいなら!
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そんな時、あなたならどのように考えますか?
私もそうだったんですが、多くの日本語教師は
- その文が日本語として正しいかどうか
- 誤用なのか不自然なだけなのか
- 誤用なのか、日本人はあまり使わない日本語なのか
などと考えます。
3に関してはまた別に思うところがあるので、別立てでエントリに書きたいと思っています。
私も2、3年前までは、まずその日本語の文が文法的に正しいかどうか、という判断を行ってました。
明らかに文法的に間違ってたら、その判断でいいんです。
例えば、初級だと
- 助詞の間違い
- 活用形の間違い
- テンス/アスペクトの間違い
- ヴォイスの動作主がわかってない
で、中級になると
- 文型の意味を分かってない
- 母語の訳の説明を鵜呑みにして、文型の意味を誤解している
などなどで、他にも列挙すればいくらでもできるんですが、代表的なものはこんなもんです。
上記のような文だとすぐに誤用だと判断できますが、問題はもっとビミョーな文です。
申し訳ないんですが、今私が教えている学生は「明らかな間違い」しかせずビミョーな日本語の文を集められてないので、例示はできません・・・
なので、今この段階ではそういう文を提示できません・・・
なんですが、そういう文に私が触れた時に考えるようになったのは、その文が文法的に正しいかどうかではなく、
わざわざその文型や語彙を使って表出する必要があるかどうか
です。
私がまだ若く、相手にあまり遠慮しなかった時に教務として模擬授業を見せていただいた時のことです。
その先生が教えていたのは「〜について」でした。
一通りその先生の説明が終わって、そのクラスの学生もコーラスしたり練習したりしてました。
でも、私がフィードバックの時にその先生にお聞きしたのは、「先生、『〜を』とどう違うかお考えになりましたか?」ってこと。
その先生が提示していた例文は、例えばこんな感じの文。
- 私は大学で、日本の歴史について研究しています。
です。
その先生の説明では、「私は大学で、日本の歴史を研究しています。」という文との違いが明瞭には分からなかったんです。
結論から書くと、「〜について」と「〜を」の違いをはっきり浮かび上がらせることができない例文が不適切だったってことなんです。
もっと、違いがわかるような例文を考えることも可能だったはず。
つまり、「〜について」を使わずにはいられない、あるいは使わざるを得ない状況下で出てくるような例文にすべきだったってこと。
逆に書くと、上記のような例だったら、わざわざ学習者が「〜について」を使うインセンティブが働かないってことなんです。
特に、意思の疎通ができればいいとか、意図が伝わればいいっていう文脈の時。
なぜなら、医師の疎通ができればいいっていうことは、とりもなおさず細かいニュアンスは表現できなくてもよく、そのような心情でのアウトプットなのかもどうでもいいから。
そういう最低限のことが伝わればいいのであれば、初級文法である程度はいけます。
中級文型を使う必要性はあまりありません。
しかし、初級文法の「〜のに」ではなく中級文型の「〜ものの」を使うには、それなりのインセンティブが働いてるんです。
なぜ、その文型を使う必要があるのか?
そのあたりのことを思考の方法にすると、学生から出てきた不自然な文を判断する時に「正しいかどうか」よりも色んな視点で見ることができるようになります。
まあ「正しいか間違ってるか」っていうのは二元論なので、そこにハマると個人の語感などの主観が入ってきてしまい、適切な判断がしにくくなったりしますし。
すぐに正誤で判断してしまうのではなく、その日本語を使う必要性やインセンティブで考えてみたらどうでしょう?
今までは見えなかったことが見えてくるようになるかもしれませんよ!
ほな、さいなら!
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2018年09月27日
学生をマジで悩ませた「〜たら」と「〜ても」のアウトプット
いや〜今日の授業はマジで気持ちよかった!
相変わらずその場の思いつきで授業運営を行い、その結果学生が真剣に悩みながらアウトプットする流れの授業を行うことができました。
前回の授業で、「〜と」・「〜ば」・「〜たら」・「〜なら」の区別を、表にまとめることで整理しました。
「〜なら」だけはちょっと別モノ扱いにしましたけど。
で、今日はその復習も含めて「〜ても」をメインに据えて説明&練習。
一応念のため、「〜ても」と「〜のに」との違いを理解してもらうための例文や練習も準備して行ったんですが、今回のこのクラスの授業では必要なさそうだったので、言及は無し。
最初は、いきなり「〜ても」関係の問題をさせて確認。
この段階で間違えてる人はいなかったようです。
そして、最後にアウトプット。
今回のお題は、
ってことにしました。
1と2はまんまなんですけど、3については説明が必要ですね。
3の説明をする前に、こちらの推計(→世界人口は2050年に98億人長に、中国・インドの順位が逆転)を学生には提示しました。
この記事によると、2050年時点の世界人口のランキングは、
1 インド
2 中国
3 ナイジェリア
4 アメリカ
5 インドネシア
6 パキスタン
7 ブラジル
8 バングラデシュ
9 コンゴ民主共和国
10 エチオピア
となってます。
これを踏まえた上で、私が「人口が少ない国で何かを売るより、人口が多い国で売ったほうがイイってのは分かるよね?」と確認したところ、ウンウンと頷いてました。
私「ってことは、将来的にはこういう国に転勤になる可能性が高いってことなんです。」
学生「そうなのか〜。」
私「そうなると、日本企業に就職したとしても、配偶者はインドに転勤になり、インドに住むってことは珍しいことじゃないよね?」
私「その一方で、自分もそういう人口が多い国への転勤の辞令を受け取る可能性も高いですよね?」
とたたみかけてみました。
学生の様子を見てると、ここまでは異論が無さそう。
そこで、この条件をもっと現実的なものにするために、以下の設定も追加。
いや〜悩んでましたね〜
あ、さらに1〜3の問題(?)には、全て「なぜなら〜からだ。」っていう理由もきちんと提示するように指示しました。
色々質問も出てきていて答えられる質問には答えましたが、悩みすぎてる何人かの学生に、「先生はどうしますか?」って聞かれたので、「授業終了時刻ぐらいになったら教えてあげます。」と言い放っておきました。
学生の書いたものを見て回っていると、何人かの学生は私の予想どおり「子供を両親に預けて・・・」云々ってことを書いてたので、すかさず「その子どもにとって、それは幸せなことだと思いますか?その子供のその貴重な時間を一緒に共有できないのは、親にとってもどうなんですかね?」などと煽り、一層悩ませました。
それと、「小学生を育てるんだったら、ブラジルがいいのかインドがいいのか、どっちなんでしょうね〜?」なんて言ったりして、問題提起してみたり。
私が彼らに真剣に考えさせ悩ませてる理由は、彼らが普段何も考えてないから。
そういう留学生に考えさせるのに、「〜たら」や「〜ても」などの仮定条件はもってこいなんですよね。
ただ、初級レベルのクラスでこういう問題設定は確かに難しいです。私のいる進学コースだからできることである、ってことも分かってはいます。
で、私が考えるこの問題のポイントは2つ。
ってことです。
1に関しては、今まで彼らは問題の要素が1つだけの時に1つだけの解を見つけさえすればいい、っていう世界で育ってきてたと思うので、それを複雑化してみたんです。
現実の世の中は、そんなにシンプルじゃないです。
2に関しては、文法的な問題で、どういう聞かれ方をしても適切に答えられるかどうかを見たかったから。
まだ彼らが書いたものを見てないので、どんなことを書いたのか読むのが楽しみです。
ほな、さいなら!
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相変わらずその場の思いつきで授業運営を行い、その結果学生が真剣に悩みながらアウトプットする流れの授業を行うことができました。
前回の授業で、「〜と」・「〜ば」・「〜たら」・「〜なら」の区別を、表にまとめることで整理しました。
「〜なら」だけはちょっと別モノ扱いにしましたけど。
で、今日はその復習も含めて「〜ても」をメインに据えて説明&練習。
一応念のため、「〜ても」と「〜のに」との違いを理解してもらうための例文や練習も準備して行ったんですが、今回のこのクラスの授業では必要なさそうだったので、言及は無し。
最初は、いきなり「〜ても」関係の問題をさせて確認。
この段階で間違えてる人はいなかったようです。
そして、最後にアウトプット。
今回のお題は、
- すごく好きな相手との結婚を親に反対されたら、結婚を諦めますか?
- 就職の際に、大卒の条件が無いのが一般的でも、大学に進学しますか?
- 配偶者がインドに住んでいて、自分の会社の辞令でブラジルへの転勤を打診されたら、ブラジルに行きますか?
ってことにしました。
1と2はまんまなんですけど、3については説明が必要ですね。
3の説明をする前に、こちらの推計(→世界人口は2050年に98億人長に、中国・インドの順位が逆転)を学生には提示しました。
この記事によると、2050年時点の世界人口のランキングは、
1 インド
2 中国
3 ナイジェリア
4 アメリカ
5 インドネシア
6 パキスタン
7 ブラジル
8 バングラデシュ
9 コンゴ民主共和国
10 エチオピア
となってます。
これを踏まえた上で、私が「人口が少ない国で何かを売るより、人口が多い国で売ったほうがイイってのは分かるよね?」と確認したところ、ウンウンと頷いてました。
私「ってことは、将来的にはこういう国に転勤になる可能性が高いってことなんです。」
学生「そうなのか〜。」
私「そうなると、日本企業に就職したとしても、配偶者はインドに転勤になり、インドに住むってことは珍しいことじゃないよね?」
私「その一方で、自分もそういう人口が多い国への転勤の辞令を受け取る可能性も高いですよね?」
とたたみかけてみました。
学生の様子を見てると、ここまでは異論が無さそう。
そこで、この条件をもっと現実的なものにするために、以下の設定も追加。
- 来年、小学校に上がる子供がいる
- 辞令を断ったらクビ
いや〜悩んでましたね〜
あ、さらに1〜3の問題(?)には、全て「なぜなら〜からだ。」っていう理由もきちんと提示するように指示しました。
色々質問も出てきていて答えられる質問には答えましたが、悩みすぎてる何人かの学生に、「先生はどうしますか?」って聞かれたので、「授業終了時刻ぐらいになったら教えてあげます。」と言い放っておきました。
学生の書いたものを見て回っていると、何人かの学生は私の予想どおり「子供を両親に預けて・・・」云々ってことを書いてたので、すかさず「その子どもにとって、それは幸せなことだと思いますか?その子供のその貴重な時間を一緒に共有できないのは、親にとってもどうなんですかね?」などと煽り、一層悩ませました。
それと、「小学生を育てるんだったら、ブラジルがいいのかインドがいいのか、どっちなんでしょうね〜?」なんて言ったりして、問題提起してみたり。
私が彼らに真剣に考えさせ悩ませてる理由は、彼らが普段何も考えてないから。
そういう留学生に考えさせるのに、「〜たら」や「〜ても」などの仮定条件はもってこいなんですよね。
ただ、初級レベルのクラスでこういう問題設定は確かに難しいです。私のいる進学コースだからできることである、ってことも分かってはいます。
で、私が考えるこの問題のポイントは2つ。
- 問題の要素が1つだけではなく、複数の要素が絡み合った状況で「解」を見つけないといけない
- 質問文に「〜たら」と「〜ても」が混在してる
ってことです。
1に関しては、今まで彼らは問題の要素が1つだけの時に1つだけの解を見つけさえすればいい、っていう世界で育ってきてたと思うので、それを複雑化してみたんです。
現実の世の中は、そんなにシンプルじゃないです。
2に関しては、文法的な問題で、どういう聞かれ方をしても適切に答えられるかどうかを見たかったから。
まだ彼らが書いたものを見てないので、どんなことを書いたのか読むのが楽しみです。
ほな、さいなら!
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2018年09月26日
大学受験でもやっぱり漢字圏の留学生が有利になる、隠れた理由
今年もそろそろ本格的な受験シーズンに突入し、ウチのクラスでも出願する学生がチラホラ出始めてます。
去年から留学生の大学受験は厳しくなり、今年はなんとなくさらに厳しさを増しそうな気がしています。
去年はどちらかというと専門学校志望の学生が多かったのに比べて、今年は大学を志望する学生が多いです。
ただ、専門学校と違って大学は定員の1.1倍の範囲内でしか合格者を出してはいけないというルールが去年からスタートしたため、去年は倍率が跳ね上がった学校が多く、「今までだったら大体このEJUの点数だったら合格していた」っていうのがもろくも崩れ去った年であり、今年もそのルールは続くので大学は狭き門になるだろうと考えます。
そしてこれは、いわゆる一般入試の話です。
ただ外国人留学生試験の場合、学校にもよりますが「指定校推薦」というシステムがあります。
これは、大学の指定校推薦の枠を日本語学校が持っている場合に有効なものです。
ただ、多くの指定校推薦は専願であるため、たとえ違う大学に合格しても指定校推薦で合格をもらっている場合はそっちに進学しないといけない、というルールがあります。
ウチの学校はまあまあの数の大学から指定校推薦枠を得ていて、それを利用する学生もいたりします。
が、この指定校推薦入試の条件で引っかかる学生と引っかからない学生がいて、引っかからない学生は大体漢字圏の学生です。
どういうことかというと、関西の一部の大学の指定校推薦入試の条件として
というのがあるってこと。
ここまで書いてきたら、どういうことか気付き始めてる人もいそう。
まあEJU の点数が200点っていうのは厳密にその点数ってことではなく、もうちょっと点数が高い場合もありますし、記述の点数と合計するっていう大学もあったりするので、あくまで参考です。
こういう条件があると、漢字圏の学生が有利になります。
非漢字圏の日本語能力があまり高くない留学生だとどちらの条件もクリアできていないことが多いのですが、一方同レベルの漢字圏の学生はEJU の点数は足りてないけどN2には合格してる学生が多いんです。
つまり、指定校推薦入試の足切りで非漢字圏の学生は引っかかるけど、漢字圏の学生は引っかからないケースが多くなるってわけ。
この現象は、漢字圏の学生がEJU で200点は取れなくても、N2には合格するってことを意味します。
これらのテストが全く違うタイプのテストであるにしても、N2のテストの妥当性って一体・・・
これって、EJU の点数200点程度とJLPT のN2合格が同等であるという判断が妥当かどうかは別にしても、一応大学側はそういう判断をしてるってことなんですよね。
さらに書くと、非漢字圏の学生でN2の合計点はクリアしてるけど、不合格になる人がいます。
そうです。
実質的な足切りである「基準点」で引っかかるパターン。
基準点っていうのは、言語知識・読解・聴解はそれぞれ60点満点で、1つでも19点(⇦これが基準点)に達していなければ不合格になるっていう点数のこと。(ちなみにこの点数は、N1〜N3の話です)
詳しくは、こちら。 → 得点区分・合否判定・結果通知 | 日本語能力試験 JLPT
そしてこれは、とりもなおさず「一つの技能だけ突出して高得点を取って合計点を稼いだとしても、ある程度技能のバランスを取れてないと合格とは認めませんよ」ってことなんです。
そのため、技能のバランスが悪い非漢字圏の学生で、漢字がネックになり言語知識や読解で足切りに引っかかる人が出てきます。
聴解で引っかかったってパターンは、少なくとも私の周りでは聞いたことないです。
関西の一部の私大では、外国人留学生試験を前期と後期に分けている大学があります。
真面目な努力家で一生懸命に日本語を勉強しているんだけど、JLPTの第一回目が実施される7月の段階ではまだ学力はそこまで身についてない学生は、前期では受けられなかったりします。
私なんかは、学生が前期の段階で学生が指定校で合格すれば、それ以降落ち着いた心持ちで日本語の勉強ができるので、できれば前期で進学先を確保してほしいと思いつつも、その学生が非漢字圏だとなかなか難しいっていうのが現実。
そういう学生こそ、推薦入試で合格してほしいのは山々なんですが・・・
このように、指定校推薦入試においても漢字圏の学生が有利になっちゃうんですよね〜
そういう状況で、かたや真面目にコツコツ日本語を勉強してるけどN2には合格できなかった非漢字圏の学生が入れ、その一方で出席率は95%以上を維持しつつ勉強もソコソコできるため成績はいいけどチャラい漢字圏の学生が指定校推薦で合格するのを見ると、なんかこうモヤモヤします。
釈然としないんですよね。
非漢字圏の学生の日本語能力が足りてないって言われれば、確かにそうなんですけど。
それと、漢字圏の学生の多くがそういう学生って意味ではなく、あくまで私が見てきた範囲の中での話です。
これ、このエントリ読んでる日本語教師の人はどう思うんだろ?
同じようにモヤモヤしてる人、いませんかね?
ほな、さいなら!
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去年から留学生の大学受験は厳しくなり、今年はなんとなくさらに厳しさを増しそうな気がしています。
去年はどちらかというと専門学校志望の学生が多かったのに比べて、今年は大学を志望する学生が多いです。
ただ、専門学校と違って大学は定員の1.1倍の範囲内でしか合格者を出してはいけないというルールが去年からスタートしたため、去年は倍率が跳ね上がった学校が多く、「今までだったら大体このEJUの点数だったら合格していた」っていうのがもろくも崩れ去った年であり、今年もそのルールは続くので大学は狭き門になるだろうと考えます。
そしてこれは、いわゆる一般入試の話です。
ただ外国人留学生試験の場合、学校にもよりますが「指定校推薦」というシステムがあります。
これは、大学の指定校推薦の枠を日本語学校が持っている場合に有効なものです。
ただ、多くの指定校推薦は専願であるため、たとえ違う大学に合格しても指定校推薦で合格をもらっている場合はそっちに進学しないといけない、というルールがあります。
ウチの学校はまあまあの数の大学から指定校推薦枠を得ていて、それを利用する学生もいたりします。
が、この指定校推薦入試の条件で引っかかる学生と引っかからない学生がいて、引っかからない学生は大体漢字圏の学生です。
どういうことかというと、関西の一部の大学の指定校推薦入試の条件として
- EJU の日本語で200点以上、あるいはN2合格
というのがあるってこと。
ここまで書いてきたら、どういうことか気付き始めてる人もいそう。
まあEJU の点数が200点っていうのは厳密にその点数ってことではなく、もうちょっと点数が高い場合もありますし、記述の点数と合計するっていう大学もあったりするので、あくまで参考です。
こういう条件があると、漢字圏の学生が有利になります。
非漢字圏の日本語能力があまり高くない留学生だとどちらの条件もクリアできていないことが多いのですが、一方同レベルの漢字圏の学生はEJU の点数は足りてないけどN2には合格してる学生が多いんです。
つまり、指定校推薦入試の足切りで非漢字圏の学生は引っかかるけど、漢字圏の学生は引っかからないケースが多くなるってわけ。
この現象は、漢字圏の学生がEJU で200点は取れなくても、N2には合格するってことを意味します。
これらのテストが全く違うタイプのテストであるにしても、N2のテストの妥当性って一体・・・
これって、EJU の点数200点程度とJLPT のN2合格が同等であるという判断が妥当かどうかは別にしても、一応大学側はそういう判断をしてるってことなんですよね。
さらに書くと、非漢字圏の学生でN2の合計点はクリアしてるけど、不合格になる人がいます。
そうです。
実質的な足切りである「基準点」で引っかかるパターン。
基準点っていうのは、言語知識・読解・聴解はそれぞれ60点満点で、1つでも19点(⇦これが基準点)に達していなければ不合格になるっていう点数のこと。(ちなみにこの点数は、N1〜N3の話です)
詳しくは、こちら。 → 得点区分・合否判定・結果通知 | 日本語能力試験 JLPT
そしてこれは、とりもなおさず「一つの技能だけ突出して高得点を取って合計点を稼いだとしても、ある程度技能のバランスを取れてないと合格とは認めませんよ」ってことなんです。
そのため、技能のバランスが悪い非漢字圏の学生で、漢字がネックになり言語知識や読解で足切りに引っかかる人が出てきます。
聴解で引っかかったってパターンは、少なくとも私の周りでは聞いたことないです。
関西の一部の私大では、外国人留学生試験を前期と後期に分けている大学があります。
真面目な努力家で一生懸命に日本語を勉強しているんだけど、JLPTの第一回目が実施される7月の段階ではまだ学力はそこまで身についてない学生は、前期では受けられなかったりします。
私なんかは、学生が前期の段階で学生が指定校で合格すれば、それ以降落ち着いた心持ちで日本語の勉強ができるので、できれば前期で進学先を確保してほしいと思いつつも、その学生が非漢字圏だとなかなか難しいっていうのが現実。
そういう学生こそ、推薦入試で合格してほしいのは山々なんですが・・・
このように、指定校推薦入試においても漢字圏の学生が有利になっちゃうんですよね〜
そういう状況で、かたや真面目にコツコツ日本語を勉強してるけどN2には合格できなかった非漢字圏の学生が入れ、その一方で出席率は95%以上を維持しつつ勉強もソコソコできるため成績はいいけどチャラい漢字圏の学生が指定校推薦で合格するのを見ると、なんかこうモヤモヤします。
釈然としないんですよね。
非漢字圏の学生の日本語能力が足りてないって言われれば、確かにそうなんですけど。
それと、漢字圏の学生の多くがそういう学生って意味ではなく、あくまで私が見てきた範囲の中での話です。
これ、このエントリ読んでる日本語教師の人はどう思うんだろ?
同じようにモヤモヤしてる人、いませんかね?
ほな、さいなら!
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2018年09月21日
わざわざ自ら進んで勝てないマーケットを志向する留学生
先日、漢字の授業で「遺」という漢字を教えているときに「遺伝子」という語彙を提示した際に、「遺伝子操作」にも言及したときのことです。
学生がどう反応するのか知りたかったので、「もし経済的な余裕があったとしたら、もし自分の子供の遺伝子を自由に操作できるとして、容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能になるようにしますか?」って聞いてみました。
すると、ほとんどの学生が「そんなことしませんよ〜」って言ってたので、「じゃーそれが世間で一般的だったら?それを他の人も普通にしていても、遺伝子操作はしないの?」って聞くと、「じゃーするかも」って意見に変わってました。
その時は、皆で笑って終わったんですけど、彼ら相当横並び志向ですよね〜
特に私の周りだと中国人留学生、ベトナム人留学生がそうです。
他の国籍はサンプル数が少ないんで、全体的な傾向は分かりません。
やっぱり他の人と同じっていう状況が、安心なんでしょうか?
でもその志向って、戦略的にはマズいんです。
私は何度も色々な文脈でこのブログに書いてるんですが、「他者と同じがいい = 大多数の中の1人 = その他大勢」ってことになり、マーケットで安く買い叩かれます。
いわゆる、レッドオーシャンですね。
レッドオーシャンというのは、マーケットを大洋に、企業や経営者、ビジネスパーソンをサメに喩えていて、レッドオーシャンというのは自分と同様のサメ(競合)がたくさんいる市場で、血で血を洗うようなビジネスの戦いが起きている状態を指します。
一方のブルーオーシャンというのは全く逆で、競合がいないため血も流れない綺麗なブルーの海でビジネスを行えている状況です。
ブルーオーシャンだとプレイヤーはイニシアチブが取りやすいですが、レッドオーシャンだと例えばそのプレイヤーに仕事を依頼したい人がいたとしても、他にも同等のスキルを持った人が周りにたくさんいるため、その人を選ぶインセンティブはほぼありません。
その結果、そのプレイヤーがその仕事を得るためには、「低価格で仕事を請け負う」しかなくなり、安く買い叩かれることになります。
で、私が今まで接してきた留学生を見ていると、そういう志向をする人ほど頑なであり、盲目的であったりします。
だから、私がいくらこういう説明をしても彼らが行動を変えることはありません。
そもそも、「最近日本に留学する人が多いから」とか「先輩や友達が日本に留学してるから」などという理由で日本に来てる段階で、勝てない市場を選んでるってことなんですけどね。
ただ、日本語学校や日本語学校を卒業後の進学先で、自らリスクを取って色んな経験をしたり色んな人に会ったりして考えや価値観が変化した場合は、その限りではありません。
私の周りで典型的なのは、妻子持ちクンです。
うちのクラスの妻子持ちクンは実はかなり賢くて、しかもスゴい人物と知り合いだったことが今日判明!
都島に「PHO VIET」ってベトナム料理屋をオープンした「元」留学生
彼は、バイト先で様々な日本人との出会いを通して、進路を主体的に決めた人です。
それから、去年の文法クラス、つまり現在の日本語教師勉強会に参加してくれてる留学生も、おそらく将来的に「みんなと同じだから」というのとは異なる理由で、自分の進路を決めそうかなと。
先日の勉強会の後の会食(→今私が教えてるクラスの学生のことが気になって仕方ない去年の学生)で、話題は多岐に渡ったんですが、いつもだいたい色んな相談をされることが多いです。
具体的なピンポイントの相談もあれば、今後どうしていったらいいかといった内容のものもあります。
先日の会食では聞かれなかったので特に私の方から何も言及しなかったのですが、今度相談されたら「本を読む」ってことをアドバイスしようかと今考えてます。
勉強会に参加してくれる学生はベトナム人が圧倒的に多く、そのベトナム人はあまり本を読まないっていう情報を最近どこかで見聞きしました。
なので、「読書好きのベトナム人」ってだけで、他者と差別化できちゃいます。
ただ、「本を読む」こと自体を自己目的化してしまうと続かないので、
1 自分が好きな本のジャンルを見つける
2 そのジャンルの本を読むのを楽しむ
ということを提案しようと考えてます。
今私が担当しているクラスでは、もともと本を読むのが好きな学生が1人と、私が提案したら行動しそうな学生が4人くらいいるだけで、あとは盲目的に「人と同じ」状況を選びそう。
日本語やその他の学力にそこまで自信がないのであれば、私なら勝てるマーケットを志向するけどなって思います。
ほな、さいなら!
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学生がどう反応するのか知りたかったので、「もし経済的な余裕があったとしたら、もし自分の子供の遺伝子を自由に操作できるとして、容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能になるようにしますか?」って聞いてみました。
すると、ほとんどの学生が「そんなことしませんよ〜」って言ってたので、「じゃーそれが世間で一般的だったら?それを他の人も普通にしていても、遺伝子操作はしないの?」って聞くと、「じゃーするかも」って意見に変わってました。
その時は、皆で笑って終わったんですけど、彼ら相当横並び志向ですよね〜
特に私の周りだと中国人留学生、ベトナム人留学生がそうです。
他の国籍はサンプル数が少ないんで、全体的な傾向は分かりません。
やっぱり他の人と同じっていう状況が、安心なんでしょうか?
でもその志向って、戦略的にはマズいんです。
私は何度も色々な文脈でこのブログに書いてるんですが、「他者と同じがいい = 大多数の中の1人 = その他大勢」ってことになり、マーケットで安く買い叩かれます。
いわゆる、レッドオーシャンですね。
レッドオーシャンというのは、マーケットを大洋に、企業や経営者、ビジネスパーソンをサメに喩えていて、レッドオーシャンというのは自分と同様のサメ(競合)がたくさんいる市場で、血で血を洗うようなビジネスの戦いが起きている状態を指します。
一方のブルーオーシャンというのは全く逆で、競合がいないため血も流れない綺麗なブルーの海でビジネスを行えている状況です。
ブルーオーシャンだとプレイヤーはイニシアチブが取りやすいですが、レッドオーシャンだと例えばそのプレイヤーに仕事を依頼したい人がいたとしても、他にも同等のスキルを持った人が周りにたくさんいるため、その人を選ぶインセンティブはほぼありません。
その結果、そのプレイヤーがその仕事を得るためには、「低価格で仕事を請け負う」しかなくなり、安く買い叩かれることになります。
で、私が今まで接してきた留学生を見ていると、そういう志向をする人ほど頑なであり、盲目的であったりします。
だから、私がいくらこういう説明をしても彼らが行動を変えることはありません。
そもそも、「最近日本に留学する人が多いから」とか「先輩や友達が日本に留学してるから」などという理由で日本に来てる段階で、勝てない市場を選んでるってことなんですけどね。
ただ、日本語学校や日本語学校を卒業後の進学先で、自らリスクを取って色んな経験をしたり色んな人に会ったりして考えや価値観が変化した場合は、その限りではありません。
私の周りで典型的なのは、妻子持ちクンです。
うちのクラスの妻子持ちクンは実はかなり賢くて、しかもスゴい人物と知り合いだったことが今日判明!
都島に「PHO VIET」ってベトナム料理屋をオープンした「元」留学生
彼は、バイト先で様々な日本人との出会いを通して、進路を主体的に決めた人です。
それから、去年の文法クラス、つまり現在の日本語教師勉強会に参加してくれてる留学生も、おそらく将来的に「みんなと同じだから」というのとは異なる理由で、自分の進路を決めそうかなと。
先日の勉強会の後の会食(→今私が教えてるクラスの学生のことが気になって仕方ない去年の学生)で、話題は多岐に渡ったんですが、いつもだいたい色んな相談をされることが多いです。
具体的なピンポイントの相談もあれば、今後どうしていったらいいかといった内容のものもあります。
先日の会食では聞かれなかったので特に私の方から何も言及しなかったのですが、今度相談されたら「本を読む」ってことをアドバイスしようかと今考えてます。
勉強会に参加してくれる学生はベトナム人が圧倒的に多く、そのベトナム人はあまり本を読まないっていう情報を最近どこかで見聞きしました。
なので、「読書好きのベトナム人」ってだけで、他者と差別化できちゃいます。
ただ、「本を読む」こと自体を自己目的化してしまうと続かないので、
1 自分が好きな本のジャンルを見つける
2 そのジャンルの本を読むのを楽しむ
ということを提案しようと考えてます。
今私が担当しているクラスでは、もともと本を読むのが好きな学生が1人と、私が提案したら行動しそうな学生が4人くらいいるだけで、あとは盲目的に「人と同じ」状況を選びそう。
日本語やその他の学力にそこまで自信がないのであれば、私なら勝てるマーケットを志向するけどなって思います。
ほな、さいなら!
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2018年09月18日
私が考えてからすぐ行動に移す理由
私は最近周りの人に、「アイデアが出てから行動までの時間が、ホンマ短いよね」とか「すぐさま動くよね」って言われることが多いです。
これは以前書いたエントリ(→ここ10年で akky がリスクテイクした人生の節目の行動のタイミング)の、機会損失を避けたいっていうのが大きいんだけど、それ以外のもっと基本的な考えも大きいです。
それは2つの思考と1つのスキルに分類されると思うので、今回はそれについて書きます。
☆☆☆☆☆☆☆
私、まーまー健康な方なんじゃないかと思うんですが、もしかしたら何かの病気のすでに潜伏期間かもしれないし、明日交通事故で死んじゃう可能性だってあります。
地震で家の下敷きになるかもしれないし、乗ってる飛行機が何かの原因で墜落するかもしれません。
こういう風に書くと、大げさに思えますがマジで人間は明日亡くなる可能性が0ではありません。
なので、その前にやりたいことはサッサとやっておきたいんです。
また、死なないまでも糖尿病などメンテナンスが必要な病気になったら、生活がかなり制限されます。
旅行とか、国内しか無理な気がします。
ウユニ塩湖をいくら見に行きたくても、ボリビアで糖尿病食とか手に入るなんてとてもじゃないけど思えません。
なので、やりたい時っていうタイミングでやりたいことをするためにも、すぐに行動したいんですよね。
知り合いに聞いた話で面白いと思ったのは、その方の友達は旅行が好きで日本から遠い場所から優先的に旅行しているそうです。
これはどういうことかというと、年をとればとるほど長距離移動はしんどくなるので、まだ若いうちに遠くへ行っておいて、歳を重ねるにしたがって徐々に移動距離を短くしていくってことだそうです。
これを読んでるあなたは、自分の余命があと数年だとしても今の仕事を続けますか?
また、仕事だけじゃなくて、今と同じ生活をずっと続けていきますか?
2 好きなコト、欲しいモノ、興味がある対象が無くなるかもしれないから
これ、1とはベクトルが逆なんですけど、今年すっごく実感してます。
今日も山本KID徳郁さんの訃報が伝えられました。
今年って亡くなる有名人、多くないですか?
また、亡くならないまでも私たちの前から姿を消した芸能人も多く、平成の終わりを感じます。
小室哲哉さん引退、SMAP解散、安室奈美恵さん引退など。
また、さくらももこさんも亡くなりましたし。
そして、日本は今年災害が多い年です。考えたくはないですが、今後もまた、そういうことが起きないとも限りません。
本当に痛ましいことですが、昨日までそこにいるのが当たり前の存在を亡くした方もいるのではないでしょうか?
それと、個人的な話で恐縮なんですが、私が学生時代にバイトをしてたバーも今年閉店してしまいました。
あと、好きなモノが無くなるかもって強く感じたのは、私が大阪で一番美味しいと思っていたパスタ屋さんが今年の6月に閉店したことも大きいです。
中崎町にあったんですけど。
こういう経験をすると、何らかの理由があったとしても後回しにしてたら取り返しのつかないことになる恐れがある、っていう思考になるんですよね。
だから、読みたい本は全部読もうと思うし、会いたい人には機会があればぜひお会いしたい。
食べたいものはどんどん食べるし、やってみたいことにはすぐチャレンジしたりします。
この辺りの行動が、「行動が早い」って言われる所以なんですかね。
逆に、2拠点生活をしてたり日本語教育業界にいたりしてすごく感じるのは、「今までそうだったから、今後も同じことが続くだろう」と考えてる人がかなり多いってこと。
私の感覚とは、正反対の思考です。
だって、今まで起きなかったことが現実に起きてるんだもん。
おそらくそういう人は、新しい情報から目と耳を塞いで思考停止してるんじゃないかと思えます。
私的には、こんだけ変化が大きくそのスピードも速い現代に、ずっと変わらないことを期待するのはやめて、対象が変化したり存在しなくなることを前提に行動した方がいいんじゃないの?
って思うわけです。
3 「やめる決断ができる = 見切れる」から
これがスキルに分類されること。
自分がやりたくないことややってて楽しくないこと、それをやっても成果が出ず無駄なこと。さらにはakkyがやる必要性は無いよねってことからは極力距離を置きたいと思ってます。
「これやりたい!」って思っても、「やりたくないけどやらないといけないこと」が多いと、行動に移すのは難しいです。
なので、そういうこととはできる範囲で縁を切る、つまり、その対象を見切るってことが重要になってきます。
見切り千両って言葉をご存知ですか?
詳しくはこちらを。 → 「見切り千両」の意味。
まずは、やらないといけないとされていることは、本当に自分しかできないことなのかを考えた方がいいです。
その上で、本当に自分がやる意味があるのだとすれば、それをやればいいんです。
自分以外の人がやっても結果が変わらないようなことは、自分以外の人にやってもらえばいい。
私は最近、そういうことには自分の時間を使わないようにしています。
つまり、自分がやっても他の人がやった時と結果が変わらず、かつ自分がやりたくないことはやらないようにしてるんですよね。
そうして初めて、自分がしたいことをする時間が捻出できます。
そんなこと言われても、すぐには実行できないって人もいると思いますが、すぐに実行できなくてもそういう観点で仕事や業務を捉えるところから始めるのはどうでしょうか?
周りの環境は人それぞれで、「これなら万人に有効だ!」ってアイデアを提示するのも私はできないので、まずはそういう意識をし始めることからスタートしたらどうでしょう?
あなたの仕事や生活が、少しでも良い方向に変わるように。
ほな、さいなら!
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これは以前書いたエントリ(→ここ10年で akky がリスクテイクした人生の節目の行動のタイミング)の、機会損失を避けたいっていうのが大きいんだけど、それ以外のもっと基本的な考えも大きいです。
それは2つの思考と1つのスキルに分類されると思うので、今回はそれについて書きます。
☆☆☆☆☆☆☆
1 自分がいつ死ぬか分からないから
私、まーまー健康な方なんじゃないかと思うんですが、もしかしたら何かの病気のすでに潜伏期間かもしれないし、明日交通事故で死んじゃう可能性だってあります。
地震で家の下敷きになるかもしれないし、乗ってる飛行機が何かの原因で墜落するかもしれません。
こういう風に書くと、大げさに思えますがマジで人間は明日亡くなる可能性が0ではありません。
なので、その前にやりたいことはサッサとやっておきたいんです。
また、死なないまでも糖尿病などメンテナンスが必要な病気になったら、生活がかなり制限されます。
旅行とか、国内しか無理な気がします。
ウユニ塩湖をいくら見に行きたくても、ボリビアで糖尿病食とか手に入るなんてとてもじゃないけど思えません。
なので、やりたい時っていうタイミングでやりたいことをするためにも、すぐに行動したいんですよね。
知り合いに聞いた話で面白いと思ったのは、その方の友達は旅行が好きで日本から遠い場所から優先的に旅行しているそうです。
これはどういうことかというと、年をとればとるほど長距離移動はしんどくなるので、まだ若いうちに遠くへ行っておいて、歳を重ねるにしたがって徐々に移動距離を短くしていくってことだそうです。
これを読んでるあなたは、自分の余命があと数年だとしても今の仕事を続けますか?
また、仕事だけじゃなくて、今と同じ生活をずっと続けていきますか?
2 好きなコト、欲しいモノ、興味がある対象が無くなるかもしれないから
これ、1とはベクトルが逆なんですけど、今年すっごく実感してます。
今日も山本KID徳郁さんの訃報が伝えられました。
今年って亡くなる有名人、多くないですか?
また、亡くならないまでも私たちの前から姿を消した芸能人も多く、平成の終わりを感じます。
小室哲哉さん引退、SMAP解散、安室奈美恵さん引退など。
また、さくらももこさんも亡くなりましたし。
そして、日本は今年災害が多い年です。考えたくはないですが、今後もまた、そういうことが起きないとも限りません。
本当に痛ましいことですが、昨日までそこにいるのが当たり前の存在を亡くした方もいるのではないでしょうか?
それと、個人的な話で恐縮なんですが、私が学生時代にバイトをしてたバーも今年閉店してしまいました。
あと、好きなモノが無くなるかもって強く感じたのは、私が大阪で一番美味しいと思っていたパスタ屋さんが今年の6月に閉店したことも大きいです。
中崎町にあったんですけど。
こういう経験をすると、何らかの理由があったとしても後回しにしてたら取り返しのつかないことになる恐れがある、っていう思考になるんですよね。
だから、読みたい本は全部読もうと思うし、会いたい人には機会があればぜひお会いしたい。
食べたいものはどんどん食べるし、やってみたいことにはすぐチャレンジしたりします。
この辺りの行動が、「行動が早い」って言われる所以なんですかね。
逆に、2拠点生活をしてたり日本語教育業界にいたりしてすごく感じるのは、「今までそうだったから、今後も同じことが続くだろう」と考えてる人がかなり多いってこと。
私の感覚とは、正反対の思考です。
だって、今まで起きなかったことが現実に起きてるんだもん。
おそらくそういう人は、新しい情報から目と耳を塞いで思考停止してるんじゃないかと思えます。
私的には、こんだけ変化が大きくそのスピードも速い現代に、ずっと変わらないことを期待するのはやめて、対象が変化したり存在しなくなることを前提に行動した方がいいんじゃないの?
って思うわけです。
3 「やめる決断ができる = 見切れる」から
これがスキルに分類されること。
自分がやりたくないことややってて楽しくないこと、それをやっても成果が出ず無駄なこと。さらにはakkyがやる必要性は無いよねってことからは極力距離を置きたいと思ってます。
「これやりたい!」って思っても、「やりたくないけどやらないといけないこと」が多いと、行動に移すのは難しいです。
なので、そういうこととはできる範囲で縁を切る、つまり、その対象を見切るってことが重要になってきます。
見切り千両って言葉をご存知ですか?
詳しくはこちらを。 → 「見切り千両」の意味。
まずは、やらないといけないとされていることは、本当に自分しかできないことなのかを考えた方がいいです。
その上で、本当に自分がやる意味があるのだとすれば、それをやればいいんです。
自分以外の人がやっても結果が変わらないようなことは、自分以外の人にやってもらえばいい。
私は最近、そういうことには自分の時間を使わないようにしています。
つまり、自分がやっても他の人がやった時と結果が変わらず、かつ自分がやりたくないことはやらないようにしてるんですよね。
そうして初めて、自分がしたいことをする時間が捻出できます。
そんなこと言われても、すぐには実行できないって人もいると思いますが、すぐに実行できなくてもそういう観点で仕事や業務を捉えるところから始めるのはどうでしょうか?
周りの環境は人それぞれで、「これなら万人に有効だ!」ってアイデアを提示するのも私はできないので、まずはそういう意識をし始めることからスタートしたらどうでしょう?
あなたの仕事や生活が、少しでも良い方向に変わるように。
ほな、さいなら!
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