2019年05月

2019年05月31日

私を辞めさせたくて仕方なかった校長に、最後通牒の際に言われて嬉しかったこと

タイトルは皮肉とかではなく、本当に率直な感想。

ブログってそういう皮肉めいたことを書くのに向いているメディアではないし、私自身もあんまり皮肉を普段言わないので書こうにも書けませんし。


☆☆☆☆☆☆☆


最後通牒の際の話の前に。

最近、プライムビデオだったかNetflixだったかで昭和の大女優「高峰秀子さん」ご出演の映画を見て感動し、彼女について色々調べていたら次のような言葉を発見。

役者なら、どんな役でもできなきゃ役者とは言えないと思っています。私は自分を職人だと割りきっていますから。

です。 

これ、私にとっては超意外でした。

なぜなら、素人の私から見ると女優さんって「私は女優!」って言うアイデンティティがすごく強いと思っていたから。

それは多分、「ガラスの仮面」や「Wの悲劇」の影響なんでしょうけど・・・


その上、「どんな役でもできなきゃ・・・」っていうのは、言い換えると「オールマイティーでなければいけない」ということでもあります。


☆☆☆☆☆☆☆


ここで翻って、自分の日本語教師として大切にしていることを考えてみると、不思議なほど共感できたんです。

ここで、タイトルの最後通牒の話。

その時の校長先生って、日本語教育畑の方ではないせいなのか、その時々で主張や意見がコロコロ変わる方でした。

そういうこともあり、私を専任にしてくださった(それは先校長の自由意志であり、私が望んだからではありません) 時はえらく期待されていたにもかかわらず、色々紆余曲折もあったりもした結果私は校長の追い出したい教師の筆頭に。

私はあまり執着をしない性格なので辞めるんなら辞めるでそれもいいけど、彼らが私が辞めるべきだとする根拠があまりにも不正確かつ恣意的だったので、その部分には反論していた時期のこと。

最後通牒の面談の際に、

akky先生は、職人気質で職人としては一流だけど、事務的なことができなさすぎる

的なことを言われました。

「ああ、そうかぁ〜」って思いました。

当時の私も、自分はその学校の他の日本語教師の方よりも、どちらかというと職人っぽい教師であるという認識を漠然と持っていたから。

因みに、校長のコメントの後半部分は今でも非常にアンフェアな言い分だと思っていて、肯定はできません。

これについても、またちょっと書くかも。


で、話を戻します。

校長は後半部分を言いたいがために前半部分を持ち出したんだろうと思われますが、前述したようにあまりにもアンフェアなため後半部分はどうでもよく、持ち出された前半部分にはある程度彼の本音が含まれているだろうと思ったので、この時はちょっぴり嬉しいだけでした。

ところが、高峰さんのエッセイなどを読み進めていくうちに、これはもっと喜んでもいいことなんじゃないかと思い直すことに。

だって、天下の大女優が自分を「職人」であるって述べてるんですよ?


日本語の素人であるとはいえ、そういう立場の人からたとえ前置きであろうとも「お前は職人としては立派だ」的なことを言われたってことは、もっと素直に喜んでいいんじゃないかと思ったわけです。


☆☆☆☆☆☆☆


私は最近、「プロダクトを作るだけ」の職人はAIに淘汰され、「その場その場で状況を見ながら臨機応変に対応していく」職人が生き残っていくんじゃないかと思っています。

日本語教師も同様で、決められたことを実行するだけの教師は淘汰され、その都度目の前の学習者に合わせて対応を考えることができる職人的な教師が生き残っていくんじゃないかと考えています。

そしてそれはどういう教師かというと、職人気質の教師です。

学習者が、こちらの想定外の質問をしたり行動をしたりした場合に、AIだとそれを見越してプログラミングしておかないと対応できません。

ところが、職人的な教師であればそういうことに柔軟に対応できます。


なので、これから日本語教師が生き残っていくにはそういうスキルが必要とされる中で、私を一切認めない人にその部分を認めてもらうことができて、本当に嬉しい限りです。 


これから日本語教師を目指すとか、最近日本語教師になったばっかりの人とかは、キャリア形成においてそういうことも意識してみてはどうでしょう?


ほな、さいなら!


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akky_san at 22:08|PermalinkComments(0)日本語教師 | スキル

2019年05月29日

近くにいる人に聞かれるのが憚られることを話す時に感じた、とりたての「は」の便利さ

先日の2拠点生活のほうのエントリ(→昨日参加した備前市商工会議所の「キャッシュレス決済対応セミナー」に参加して得られたもの)で、Origami Pay さん、地元の信用金庫さんと三者で話していた時のこと。


上記のエントリにも書きましたが、私はこの時までOrigami Pay って良く分かってなかったんですが、そちらの発表を聞きながら「Origami Pay さんってめっちゃ戦略的かも!」って思えてきました。

で、セミナー後そのことをご担当の方に伝えようと思って待ってたんですが、セミナーご参加の事業者の方々と色々話し込んでいて、そのチャンスが得られませんでした。


なので、諦めてたんですが、その後の相談会でその旨を伝えられそうってことが分かったので、そっちの機会にお伝えすることに。


ところで、Origami Pay さんの何が戦略的かっていうと、全国の信用金庫さんと提携してるという点。

Origami Pay、全国の信用金庫と口座連携開始

おそらく日本の金融業界は将来的には、信用金庫のような地域に根ざした小回りのきく金融機関が生き残りそうです。


一方の地銀はというと、こんな文脈で扱われることがここ最近特に増えてきてます。 

超崖っぷちに立つ「地銀」に欠けている視点 「Big is Excellent」の時代は終わった

【地銀20行・グループの業績一挙掲載】マイナス金利で苦境続く…

地銀がこの10年にやっておくべきだった「2つ」のこと

最後の記事なんてタイトルからもう「〜べきだった」ってなっていて、日本語教師が日本語文法を意識して読んでも、「もう間に合わない感」がひしひしと感じられます。

地銀って、もうそろそろ「設ける術」を失いつつありますもんね。 


☆☆☆☆☆☆☆


で、相談会で冒頭の状況になったんですが、隣のブースが地銀さんのブースだったので、

地銀とは違って、将来の日本金融業界で生き残るのは信用金庫さんだと私は思っていて、そういう金融機関と提携してるOrigami Pay さんは非常に戦略的だと思う

という旨をダイレクトに話すと、隣の地銀の担当者に聞こえるかもしれず、ちょっとこの内容をそのまんま言うのは憚られるところかな、と。

なので、若干の工夫を加えた結果、

将来の日本の金融業界において、信用金庫さん生き残りそうだと私は思っていて、そういう金融機関と提携するOrigami Pay さんは非常に戦略的だと思う

という発言に。 

赤い字になってるのが、日本語教育業界で一般的に言われている、取り立ての「は」です。

超便利じゃないです?
これ、「地銀」って言葉を出さなくても、「地銀」の存在を仄めかせることができてるんですよね。(こういうのって、他のどのくらいの言語で可能なんだろ?)

私は上記の文を言う時に、地銀の方には分からない程度に「は」の部分の声を強調して言いました。

他の参加者の方もガヤガヤしてたし、地銀の担当者さん自身も話をしていたので、おそらく気づかれては(←この「は」とかもね)いないと思っています。


☆☆☆☆☆☆☆


このことで私の今までの初級文法の「は」の授業を顧みると、やっぱり「は」と真摯に対峙してる「日本語初歩」で教えることができて良かったと思います。

ちょっと興味がある方は、こちら。

Amazon

日本語初歩
国際交流基金日本語国際センター
凡人社
1985-01




楽天ブックス

日本語初歩練習帳改訂版 [ 国際交流基金日本語国際センター ]
日本語初歩練習帳改訂版 [ 国際交流基金日本語国際センター ]


この教科書は、思いっきり「文法積み上げ」です。 

私はもう「〜シラバス」の是非みたいな議論に興味は持っていないのですが、少なくともこの教科書を理解している先生に教わったそこそこ理解力がある学生は、積み上げられた「は」の文法によって私が行ったような「暗に仄めかしたい」的な場面で、自ら使用する日本語に応用を利かせられるようになります。 

日本社会において、「はっきり言っちゃうと失礼になるから、暗示的に伝えたい」って場面は多いと思うので、「は」の文法的知識はそれを持っている外国人にとってとても便利で、重宝されそう。


日本語初歩を初めて使っていた時には、まず教師がその教科書をそう理解するかで悩み、そしてそれを把握できたとしてもそれを学生にどう伝えるか、などなど非常に頭を悩ませましたが、それも良い思い出。

それに、この時にたくさん考えたり悩んだりしたおかげで、今の私があるのかもしれません。


まだ経験がそこまで長くない先生で自らを成長させたい日本語教師の方は、使われる予定がなくても一度日本語初歩を手に入れて分析してみては?

「手に入れて」と書いたのは、借りたり学校の書庫にある初歩を軽く読んだだけで理解できるほど日本語初歩というのは甘くない教科書だから。

さらに書けば、一度その部分を教えただけでは見えないことすらある教科書でもあります。


☆☆☆☆☆☆☆


ここまで書いてきてふと思ったのは、「は」は便利ではあるけどそれが翻って、相手に対して失礼になることもあるってこと。

例えば、年配の方の若い頃の写真を見せてもらって、「若い時、きれいだったんですね。」って言ってしまうとか。


私が日本語学習者だったら、便利にもなり得、かつ失礼にもなり得る「は」などの文法的知識は、体系的に学びたいなって思います。

「は」の文法的知識をいちいち個別に学ぶのは、非効率的でもありますしね。


ほな、さいなら!


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akky_san at 20:30|PermalinkComments(0)日本語 | 便利さ

2019年05月27日

かなり前に私なりに考えた「会話テストの評価基準」を発表します

ここ最近日本語を教えていないので、却って日本語教育について客観的かつ俯瞰的に見えているような気がします。

それと、今回のタイミングになったのは、こちらの記事がきっかけ。

特定技能外国人、介護分野で84人合格 合格率は7割超

うーん、大丈夫かな?と色々と心配になりました。

というわけで、私がかなり前に考えた会話テストの評価基準を発表します。


スクリーンショット 2019-05-27 19.14.36


この評価基準は、当時私が勤務していた学校の会話テストの評価基準を新しく私が作ることになり、その基準を考えつつ「自分ならこう作るかな?」っていう自分なりの評価基準を、同時進行で作った時のもの。

なので、これは特定の学習者を想定して作ったものではありません。

おそらく、私の考えた会話テストの評価基準を理解できない人もいるだろうし、その先生が勤務されてる学校の会話テストは全く異なるテストかもしれません。


☆☆☆☆☆☆☆


内容は、普通にドン引きするくらい細かいです。

私がこの評価基準の作成者ではなく、会話テスト担当になって「この基準で」って言われたら「ウッ・・・」ってなりそうなくらいです。

ただこれには理由があって、学校用に作った会話テストの評価基準は、学校の方針に沿わせた結果非常にザックリしたものになってしまい、会話テスト担当の先生から質問が噴出してしまったから。

当時私は、そういう基準は複数の人が担当するとその差が発生し、先生たちを戸惑わせることになると考えていたので、会話テストの評価で疑問が少しでもあれば私に聞きに来るように先生方に伝えていました。

その結果、それにかなりの時間を取られてしまうことに。

なので、かなり細かくなってしまいましたが、このほうが誰かに聞きに行く時間を省くことができ、評価の生産性が高まります。


☆☆☆☆☆☆☆


この評価基準のポイントは、2つ。


1 上級レベルの学生が無難に初級レベルの日本語ばっか使うと、低評価になる


これ、頭を悩ませてる先生多いんじゃないかと思います。

従来の評価では、上級レベルの学生なんだけど間違いの数を減らすために初級レベルの語彙や文法ばかり使うことによって減点を減らし、そのために高評価になるってパターンがまあまあ多かったです。

ところが、私が作ったこの評価基準では、「正確さ」と「適切さ」の両方に「語彙」があるため、語彙の意味や使い方が正しいかどうかは「正確さ」で、そのレベルに合った語彙が使われているかどうかは「適切さ」のほうで判断できます。

また、「適切さ」の中に「文型」が存在していて、私の中では日本語教育における「文法」と「文型」のそれぞれの定義がはっきりしているため、例えば「〜おそれがある」がしっくりくるところなのに「〜かもしれない」を使うと、それは「適切さ」が足りないってことになり、そこもつっこんで評価することが可能になります。


2 ノンバーバルも評価の対象に


これを会話テストの評価基準に入れてるのって、珍しいんじゃないですかね?


これを評価の対象にしたのは、

  • 進学相談をしていた学生が、相槌や頷きなどを一切せず、あまりにも微動だにせず地蔵みたいになっていて、話してるこっちがめっちゃ不安にさせられた
  • こちらが話していて、話の節目にも到達してないのやたらと相槌をしてきて、話しているこちらがせかされているように感じた

などの経験からです。


なんだかその印象が強すぎて相槌ばっかりの例になってしまいましたが、相槌以外にも色々あるとは思いますが、どこまでを評価の対象にするのかは私の中でもあまりクリアになっておらず、ここはもう少し考えます。

というか、これをもしお使いになりたいとか参考にしたいって人は、自分なりに考えてみればいいと思います。


☆☆☆☆☆☆☆


現在、外国人の「日本語を話すスキル」がどれくらいなのかを判定する必要性が、今の日本社会において必要になりつつあると考えています。

日本語学習者すべての会話テストに使えるわけではないものの、外国人の日本語の会話のスキルを測る方法を考えあぐねているようなどこかの誰かの役に立てたら、とも思っています。

なので、この評価基準を使いたいって人は、自由に使っていただければとも思いますし、学習者の事情やバックグラウンドに合わせてアレンジしていただくのも全然OKです、


ほな、さいなら!


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2019年05月22日

私が今行ってる「日本人中高生への日本語授業シミュレーション」

私は多くの日本語教師と違って、思考の時間軸が「過去→現在」ではなく「現在→未来」なので、多くの日本語教師の方には興味が湧かず閲覧数も低いかもしれないんですが、書きたいこと書きたいので書きます。

一応、昨日のエントリ(→高校生バイトくんとの会話で気づいた、日本人の中学生&高校生にも日本語教育が必要である可能性)からの流れです。


☆☆☆☆☆☆☆


新井紀子さんの著書にも書かれているように、現在の中高生の基礎的読解力の低さは結構すごいです。

なので私が考える日本人中高生への日本語の授業はまず、

1 事実文を正しく読めるようにする語彙や文法の授業

になりそう。

これについては色々なエントリ(→将来、日本語教育において「文法=論理」の価値が上がり「タスク=実用性」の価値は下がる 新井紀子著「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」私が、Reading Skill Test を日本語学校にも導入したほうがいいと思う理由 新井紀子著「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」Reading Skill Test で問われる能力を養えるか? akky が選んだ読解問題集)で書いて来てるので、割愛。

 
次に必要になってくると思うのが、

2 外国語や古文を読む時に求められる、母語の知識

です。

これも、語彙や文法の授業になりそうなのに加えて、日本語の変遷も含めた文化的なバックグラウンドも含まれてきます。

今現在自分が普段使用している言語以外の言語を理解するには、自分が使っている言語を理解しておく必要があります。

その理解が今の中高生には少し足りないんじゃないか、と私は感じていて、そこを補わないと古文も英語も到底理解できないんじゃないですかね?

例えば、自分の母語の「副詞が何か?」っていう理解ができなければ、英語の説明で「ここには文の構造上、副詞しか使えない。」って言われても、何のことだかチンプンカンプンになるはず。


で、2をさらに発展させた

3 外国人に日本語を説明できるようにする知識や手法

です。

今までずっと日本は、日本人である自分の隣にいる人も、日本語が普通に話せる日本人でした。

ところが、そういう状況は変わりつつあります。

会社を考えてみた場合でも、日本企業であっても同じチームが全員日本人だとは限りません。

さらに言えば、日本企業に入ったんだけど人口が縮小しパイが減っていく日本での勤務ではなく、人口が爆発的に増えているインドに転勤になるかもしれません。


そしてこのことは、中高生も例外ではありません。

隣の席が日本人じゃない可能性も高くなっています。

それは外国籍の生徒かもしれないし、日本国籍であっても外国にルーツを持つ人かもしれません。


そういう状況になった場合、例えば学校の国語の時間や休み時間、食事の時間などに「なんで日本語はそういうふうになるの?」と隣の生徒から聞かれることが増えてくるでしょう。

そんな時に、どう答えれば分かってもらえるかって内容。

こう書くと日本語教師の専門スキルのように聞こえますよね?

私が「日本語教師ってどんなことを教えるんですか?」って日本人に聞かれた時に出す、

「A あの人は田中さんです。
 B あの人が田中さんです。

 という2つの文がどう違うか、その違いを教えたりする仕事です。」

という回答の内容のレベルだと、確かに日本語教師の専門レベルです。

(因みに、私は個人的に日本語教師の方にこの質問をして、どういう答えが返ってくるのか聞いてみたいと密かに思ってます)

そこまででなくても、ちょっとこちらが教えれば「なぜ日本語の漢字には、音読みと訓読みがあるのか?」っていう質問には、中高生も簡単に答えられそう。


☆☆☆☆☆☆☆


で、私はこの3つを独立したバラバラのものとは考えておらず、系統だった授業を行えばこれら3つをシナプス的に繋げられると考えています。

どうしてもタスクシラバス寄りの思考をする方だと教える項目を単発として考えがちですが、そうするとコスパが非常に悪く生産性も低くなります。

やはり体系的な学びを提供したほうが、学ぶ側も負担が少なくなると私は考えています。


まあこんなことをつらつら考えている日本語教師は私だけかもしれないんですが、それでもどこかの誰かのお役に少しだけでも立てるかもしれないと思い、書いてみました。


ほな、さいなら!


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2019年05月21日

高校生バイトくんとの会話で気づいた、日本人の中学生&高校生にも日本語教育が必要である可能性

先日、高校生バイトくんたちと学校の勉強の話になり、「古文が苦手」って話題になった時のことです。

その時の会話は、以下のような流れ。


☆☆☆☆☆☆☆


高校生バイトくん「オレ古文とか苦手なんすよね〜。」

私「 そうなんだ。じゃー1つ提案なんだけど、小説とか漫画とかで予めストーリーを知っておくといいと思う。なぜかというと、(理由は違うけど)古文って私が今習ってるスペイン語と同じで、守護の省略が多くて動詞の形で主語を類推するようになってて、そこがテストで問われたりするんだよね。」

高校生バイトくん「そうなんすか。」

私「そうそう。だから、登場人物の相関関係も含めてストーリーを知っておけば、誰が誰に尊敬語使って、また誰が誰に謙譲語を使ってるかで身分の上下が分かるから、主語を類推しやすくなるんだよね。」

高校生バイトくん「オレ現代語でも敬語とか苦手なんすよね。」


という流れ。

私はこの時に深く考えてなかったので、「まあ高校生だったら敬語使う機会もないだろうし、岡山県民って敬語として『〜れる』『〜られる』を頻発するから『なさる』とか『ご覧になる』とかも聞く機会もなさそうだし。まあ私もそうだったし。」って思ってしまいました。


でも妙にこの時の会話が気になることが多く、その理由をずっと考えていて、ある疑問が湧いてきました。

それは何かというと、

じゃーなぜ高校生の時の私は、古文の敬語関連の問題ができてたんだろう?

ってこと。


当時の私に「尊敬語がどういうもので、謙譲語がどういうものか」ってことが分かってなかったとしたら、どうして問題に正解できたんだろう?っていう疑問。

逆に考えると、当時の私は敬語がどういうものかが分かっていたからこそ、正解できてたんじゃないのか、とも言えます。


で、今の高校生バイトくんに話を戻すと、本当に敬語の概念が分かってなかったとしたら、相当マズいです。

理由は上記の理由です。

古文で敬語が分からないのって、相当致命的なんじゃないですかね?


それに加えて、「品詞」って何を意味するのか分かってなかったということもあります。

これ知らないと、語構成や文構成分かんないでしょ・・・


☆☆☆☆☆☆☆


なので、以前こんなエントリ(→私が、Reading Skill Test を日本語学校にも導入したほうがいいと思う理由 新井紀子著「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」)を書きましたが、このエントリとは異なる文脈ですが日本人中高生にも日本語教育が必要なんじゃないか、と考えています。

まあもしかしたら上記のエントリの基礎的読解力も関係してくるかもしれませんが、私はどちらかというと中高生にも日本語文法なども含めた日本語教育をしてもいいのではないか、という考えを持つようになりました。

ここでのポイントは、国語文法ではなく日本語文法であること。

現在の中高生の国語のシラバスやカリキュラムがどうなっているのかは把握してませんが、私の頃とあまり変わってなければ、あまり文法は重視されていないはず。

一応高校生に聞いたところ、実際そんなにやっていないようなことを言ってました。


また一方で、異なるルーツを持つ生徒も多くなりつつあり、やはり学校教育で日本語を教えるのは合理的でもあると私は考えます。


国全体で一斉に行うとなるとなかなか大ごとなので、学校単位か自治体のエリアごとでとりあえず始めてみてはいかがでしょう?

そして個人的には、日本語文法を教育に入れておけば、生徒の外国語理解にも繋がると考えてもいます。


ほな、さいなら!


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