2017年05月21日
語学学習のクラスレッスンが生産性の低い学習方法である理由4つ
私は日本語教師でもあるんですが、スペイン語学習者でもあり、今回は学習者側からの意見を少し。
ちょっと最近、スペイン語のレッスン辞めようかなって思い始めてます。
一番大きい理由は生産性の低さなんですよね。
で、生産性の低くなる要素をまとめてみました。
☆☆☆☆☆☆☆
1 宿題として出される問題に未習語彙が多すぎる
もうね、モチベーションはだだ下がり。
その教科書は文系積み上げタイプのものなんですが、一つの文法項目がその授業で終わったら必ずその項目の宿題が出ます。
もうその中に未習語彙が目白押し。
なかなか問題が進まず、めっちゃ時間かかるんです。
もうね、やる気を全部持ってかれます。
特にスペイン語などのラテン系の言語になると、動詞の活用形の種類が多く、その問題の中にも未習の動詞ももちろん出てくるわけで、その動詞の活用のパターンが分からないと、意味すら分からないっていう・・・
そういう意味でいうと、日本語の文系積み上げタイプの教科書は超親切!
極力学習者の負担を減らしてくれてるワケだから。
で、問題の文の中の未習語彙を調べないといけないんですけど、その語彙の意味とその文法項目は特に密接な関係はなかったりします。
言い換えると、別にその語彙じゃなくてもその文法項目の問題はできるってこと。
あまりにも生産性が低いです。
まあおそらく間接法っていう前提で作られた教科書みたいなのである程度はわかるんですが、ちょっと未習語彙の量が多すぎます。
2 他の人の答えを待たないといけない
これもかなり時間の無駄です。
先ほども書きましたが、スペイン語は動詞の活用形の種類が多く、私のクラスにはかなりご年配の受講生の方も多いせいか、なかなかスッと答えが出てこないことが多いです。
これは私もそうなんですけど。
で、その方が試行錯誤しながら正解にたどり着くまで、他の受講生はそれを待つ必要があります。
これ、相当時間をロスしてそう。
で、こないだ私が教えてる日本語の初級のクラスでもそう思ったんですが、
・私は (場所)へ (行動)に 行きました/来ました。
っていう文を練習する日だったんですが(つまり導入済み)これがなかなか言えない学生が3人くらいいて、他の学生がダレてしまいました。
これ、そんな難しい文じゃないから、今まで私が教えて来た初級クラスでここで躓く学生はほぼいなかったので、結構ビックリしました。
その中の一人は、同国人に日本語を言ってもらって、それをただリピートするってこともできてませんでした。
クラスレッスンだと、そういう人を飛ばして発話させるわけにもいきませんしね。
まあ、この例は極端かもしれませんが、クラスメイトがきちんと答えられるまで、クラスレッスンにおいては待つ必要があり、生産性の低さに繋がってます。
また、答えを待つだけじゃなく、例えばページ数を他のクラスメイトが聞き取れておらず、そのページを開くまで待ったりもしないといけないし、私はわかってるんだけど他の人が理解できてなくて質問をしていて、それに対して先生が説明してる時間も結構出て来ます。
また、アジア人に多いんですが、何かの話題の時に本筋とは関係ない細かいところから、どんどん話が脱線していくこともよくあります。
それ今、関係ないやん!ってことについてアツく語ったりする人もいて、そういうのも時間の無駄です。
3 学習者それぞれの能力の差が大きい場合、能力が高い方も低い方も時間を有効に使えない
能力が高い人は分かりやすいと思うんですが、上記の2のように、その能力が低い人を待たないといけません。
で、逆に能力が低い人は高い人の発話などを聞いてたら勉強になるだろう、って思ってるあなた!
全然そんなことないです。
特に、その発話の中に教科書で扱われていないような語彙が頻出してたら、もう終了。
全く分かってません。
つまり、意味不明な音の羅列を聞いてるカンジ。
なぜそこまで言い切れるかって?
私がそうだから。
私はスペイン語の能力が低くて、それと対照的に他のクラスメイトの方々は非常に豊かな語彙力&まだ教科書では習ってない文法をご存知なので、私はひたすらボケーっとしてしまってます。
この時間も無駄だなあ、と。
4 ペアワークやグループワークが自分の語学力の向上に結びついてない
結びついてない、とまでは断言できないかもしれませんが、少なくとも私にはその実感は無いです。
まあ日本語教師も、「ペアワーク = 活動的な授業」って考える向きもありますが、それはあくまで教師としての視点。
学習者からしたら、特に同国人同士でペアワークをさせられてもな、って思わないでもないです。
相手の発話の(自分もそうですけど)文法的に正しくない可能性が高く、かつ自然な言い回しじゃない可能性も高い、同国人のその発話を聞くことにどれだけの意味があるんでしょうか?
そして、それが自分の語学力向上に繋がってるんでしょうか?
さらに、同国人同士だと、分からないことがあると母語に頼ってしまいがちですし。
こういうペアワークやグループワークも、実は生産性が低い活動なのではないかと。
☆☆☆☆☆☆☆
このように考えてくると、いくら教師が教授力を磨いて様々な工夫をしても、クラスレッスンをしている限り、そこには生産性という観点では限界がありそう。
ともすると、私たち日本語教師はつい教師側からだけの視点で意見表明をしてしまいがちですが、学習者側から考えるだけで、これだけのことが浮かび上がってきます。
もちろん私たち教師は、自分の自分の授業の質や自分の教授力を上げるために、様々な努力をするのがサガであり醍醐味でもあります。
ただ、その授業がクラスレッスンである場合は、その成長と生産性はリンクしません。
やはり、究極の生産性が高い教授方法は、オーダーメイドでパーソナライズされた学習者主体の授業ということになりそう。
そして、意識が高く生産性の高さを求め、より効率的な学習を志向する学習者には、当然ながら生産性の高い授業を提供できる教師が求められます。
最近はICTのスキルの重要性などが注目されることも多いですが、そういうテクニカルなスキル以前に、どういう教師が今後求められていくのか、っていう視点でも考えていきたいです。
あなたは、5年後、10年後の日本語学習者に求められるとご自身で感じますか?
ほな、さいなら!
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ちょっと最近、スペイン語のレッスン辞めようかなって思い始めてます。
一番大きい理由は生産性の低さなんですよね。
で、生産性の低くなる要素をまとめてみました。
☆☆☆☆☆☆☆
1 宿題として出される問題に未習語彙が多すぎる
もうね、モチベーションはだだ下がり。
その教科書は文系積み上げタイプのものなんですが、一つの文法項目がその授業で終わったら必ずその項目の宿題が出ます。
もうその中に未習語彙が目白押し。
なかなか問題が進まず、めっちゃ時間かかるんです。
もうね、やる気を全部持ってかれます。
特にスペイン語などのラテン系の言語になると、動詞の活用形の種類が多く、その問題の中にも未習の動詞ももちろん出てくるわけで、その動詞の活用のパターンが分からないと、意味すら分からないっていう・・・
そういう意味でいうと、日本語の文系積み上げタイプの教科書は超親切!
極力学習者の負担を減らしてくれてるワケだから。
で、問題の文の中の未習語彙を調べないといけないんですけど、その語彙の意味とその文法項目は特に密接な関係はなかったりします。
言い換えると、別にその語彙じゃなくてもその文法項目の問題はできるってこと。
あまりにも生産性が低いです。
まあおそらく間接法っていう前提で作られた教科書みたいなのである程度はわかるんですが、ちょっと未習語彙の量が多すぎます。
2 他の人の答えを待たないといけない
これもかなり時間の無駄です。
先ほども書きましたが、スペイン語は動詞の活用形の種類が多く、私のクラスにはかなりご年配の受講生の方も多いせいか、なかなかスッと答えが出てこないことが多いです。
これは私もそうなんですけど。
で、その方が試行錯誤しながら正解にたどり着くまで、他の受講生はそれを待つ必要があります。
これ、相当時間をロスしてそう。
で、こないだ私が教えてる日本語の初級のクラスでもそう思ったんですが、
・私は (場所)へ (行動)に 行きました/来ました。
っていう文を練習する日だったんですが(つまり導入済み)これがなかなか言えない学生が3人くらいいて、他の学生がダレてしまいました。
これ、そんな難しい文じゃないから、今まで私が教えて来た初級クラスでここで躓く学生はほぼいなかったので、結構ビックリしました。
その中の一人は、同国人に日本語を言ってもらって、それをただリピートするってこともできてませんでした。
クラスレッスンだと、そういう人を飛ばして発話させるわけにもいきませんしね。
まあ、この例は極端かもしれませんが、クラスメイトがきちんと答えられるまで、クラスレッスンにおいては待つ必要があり、生産性の低さに繋がってます。
また、答えを待つだけじゃなく、例えばページ数を他のクラスメイトが聞き取れておらず、そのページを開くまで待ったりもしないといけないし、私はわかってるんだけど他の人が理解できてなくて質問をしていて、それに対して先生が説明してる時間も結構出て来ます。
また、アジア人に多いんですが、何かの話題の時に本筋とは関係ない細かいところから、どんどん話が脱線していくこともよくあります。
それ今、関係ないやん!ってことについてアツく語ったりする人もいて、そういうのも時間の無駄です。
3 学習者それぞれの能力の差が大きい場合、能力が高い方も低い方も時間を有効に使えない
能力が高い人は分かりやすいと思うんですが、上記の2のように、その能力が低い人を待たないといけません。
で、逆に能力が低い人は高い人の発話などを聞いてたら勉強になるだろう、って思ってるあなた!
全然そんなことないです。
特に、その発話の中に教科書で扱われていないような語彙が頻出してたら、もう終了。
全く分かってません。
つまり、意味不明な音の羅列を聞いてるカンジ。
なぜそこまで言い切れるかって?
私がそうだから。
私はスペイン語の能力が低くて、それと対照的に他のクラスメイトの方々は非常に豊かな語彙力&まだ教科書では習ってない文法をご存知なので、私はひたすらボケーっとしてしまってます。
この時間も無駄だなあ、と。
4 ペアワークやグループワークが自分の語学力の向上に結びついてない
結びついてない、とまでは断言できないかもしれませんが、少なくとも私にはその実感は無いです。
まあ日本語教師も、「ペアワーク = 活動的な授業」って考える向きもありますが、それはあくまで教師としての視点。
学習者からしたら、特に同国人同士でペアワークをさせられてもな、って思わないでもないです。
相手の発話の(自分もそうですけど)文法的に正しくない可能性が高く、かつ自然な言い回しじゃない可能性も高い、同国人のその発話を聞くことにどれだけの意味があるんでしょうか?
そして、それが自分の語学力向上に繋がってるんでしょうか?
さらに、同国人同士だと、分からないことがあると母語に頼ってしまいがちですし。
こういうペアワークやグループワークも、実は生産性が低い活動なのではないかと。
☆☆☆☆☆☆☆
このように考えてくると、いくら教師が教授力を磨いて様々な工夫をしても、クラスレッスンをしている限り、そこには生産性という観点では限界がありそう。
ともすると、私たち日本語教師はつい教師側からだけの視点で意見表明をしてしまいがちですが、学習者側から考えるだけで、これだけのことが浮かび上がってきます。
もちろん私たち教師は、自分の自分の授業の質や自分の教授力を上げるために、様々な努力をするのがサガであり醍醐味でもあります。
ただ、その授業がクラスレッスンである場合は、その成長と生産性はリンクしません。
やはり、究極の生産性が高い教授方法は、オーダーメイドでパーソナライズされた学習者主体の授業ということになりそう。
そして、意識が高く生産性の高さを求め、より効率的な学習を志向する学習者には、当然ながら生産性の高い授業を提供できる教師が求められます。
最近はICTのスキルの重要性などが注目されることも多いですが、そういうテクニカルなスキル以前に、どういう教師が今後求められていくのか、っていう視点でも考えていきたいです。
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