2017年06月15日

西田亮介著「不寛容の本質」読了 日本語教育関係者に見る対立軸の両者から感じる昭和の残滓

Twitterでもフォローさせてもらってる西田亮介さんの「不寛容の本質 なぜ若者を理解できないのか、なぜ年長者を許せないのか」を読みました。


西田亮介 不寛容の本質



タイトルから想像してた内容とは若干違いましたが、さすが社会学的視点でたくさんの客観的データから導かれる見解が述べられてます。

その内容はというと、全6章から成りその中でも次の

第1章 不寛容の本質に迫る

第2章 我々は「豊か」になったのか、「貧しく」なったのか 

第3章 なぜ若者は「反自民、反安倍」ではないのか

の3つの章を貫いているキーワードが「昭和」です。


このエントリを読んでいるあなたは、「昭和」という文字を見て、まずどんなイメージが浮かびますか?

年代によっても違うでしょうし、昭和時代だと住んでいた地域によってもかなりイメージが異なるかもしれません。

私は最後の10年ちょっとくらいしか昭和を生きてなかったので、正直あまりイメージが湧きません。

当然戦後直後の様子も、高度経済成長期も、オイルショックもよく分かりません。

唯一バブル景気はなんとなく分かるんですけど、当時その恩恵を受けられるほどの年齢に達していなかったので、なんとなくの雰囲気くらいしか分かりません。


この本の中に出てきてるんですけど、今の日本で昭和生まれの人は全人口の何%を占めているか想像できますか?

因みに平成は今のところ29年続いていて、昭和は64年(64年目は1週間だけだから、実質63年)となっています。

その割合はなんと、75%(9500万人)なんです

この数字見て、あなたはどう感じましたか?

私はぶっちゃけ、まだそんなにたくさんいるの?」でした。

なぜかというと、年数だけ考えたら平成は昭和の約半分だから。

まあでも、今までの合計特殊出生率や出生数の推移を考えたら、そうなるかなとも思います。


この本の中で書かれている、私がなんとなくフワッと感じていたことが明瞭に言語化されていたのが、


“(省略)なかでもこの社会に根強く残りながらなかなか意識されない「昭和の面影」がいかに現実と乖離しているかを描き出すことに注力した。そして、昭和後期に形成された「常識」が世代によって異なった見え方をすることを豊富な具体例とともに示した。”


という部分。

このことって、本当に色んなところでの衝突の原因になっていると感じます。

例えば、こちら toggeter に載せられている投書。 → 「厳しく育てた息子がうつ病」という新聞内の相談記事内容に非難の声集まる【更新しました】


そして、私は今日本語教育関係者の中でも、このような温度差をヒシヒシと感じます。


☆☆☆☆☆☆☆


【新しいモノゴト、例えば製品、サービス、テクノロジーや新しい考え方を頑なに拒否る人】

こういう人、あなたの職場にもいませんか?

こういう人がそれを拒否したい時にいうセリフは、決まって「そんなものがなくても授業や業務に支障は無い」です。

完全に思考停止状態です。

そしてその思い込みを強固なものにするために、かなりの認知バイアスが働かせ、ちょっとでも自分にとって都合がいい見解や事実があれば、そのことをやたらと強調。

一方、不利になるような事実は華麗にスルーします。

あと他の傾向として、新しいモノゴトは「リスクが0じゃ無い」ということを言ったりします。

例えば、ネットのセキュリティや完全自動運転車、ネット通販など。


私はそういう人の主張を聞くたびに、「世の中にリスクが0のものがあるんだったら教えて欲しい」などと思ってしまいます。

以前、そういう人と話していて、スマホやネットの話になり、「ネットも危険だよね」みたいなことを聞かされた時、その人のために真剣にリスクが0に近い通信手段を考えたことがあります。

狼煙(のろし)は大勢の人に見られてしまうし、伝書鳩も本当に届けたい先に言ってくれるか分からない・・・

手紙も誤配の可能性があるし、電話も盗聴される可能性が0ではありません。

などと考えていて、私が出したリスク0に近い通信手段は、「飛脚」と「糸電話」です。

これ、良くないですか?

そして、こういう人の特徴として、次のようなものが挙げられます。


1 連絡の手段がとりあえず電話

2 現金主義

3 ネットをやたら怖がる

4 Twitterをすると炎上すると思ってる

5 なぜかFacebookも嫌がる

6 投資なんてもってのほか

7 小さいお金の節約を必死で行う

8 額に汗して働くことに意義がある

9 結果よりその過程での努力が重要

10 ビットコインやブロックチェーンとか理解不能


こんなところでしょうか?

私がこういう人の一番大きい問題は、新しいモノゴトを心の中で否定するだけじゃなく、例えば学校がそういうものを導入しようとした時に「反対する」ことだと思ってます。

もうね、それだけやめてくれればどう思ってもいいから、ホンマに勘弁して!って思います。

お願いだから、生産性を上げようとしてる人の足を引っ張らないでください。

そして、日本という国レベルで見ても、保守的なお年寄り層が相対的に割合を増しつつあります。

民主主義国家において、その数を増やしていってるんですよね。


まあ、年齢だけで保守的かどうかを判断できないし、若い人の中にもそういう人もいますけど、やはり傾向としてはそういうのがあるように感じます。


そして、こういう人との対立軸として存在するのが、「新しいモノゴトを受け入れる人」なんですけど、私が昭和的だなって感じるのはその中の一部の人たち。

それはどういう人かというと、「新しいモノゴトというだけで、諸手を挙げて無批判でそれを受け入れ、それが全てにおいて優れている」と考える人たち。

「新しい = 正義」みたいに思ってる人。

これも、完全に思考停止状態。


こういう人は、SNS界隈でお見かけします。

これも、超昭和っぽくないですか?

特にバブルの前からバブル時代にかけて。

私、こういう人の発言を見かけると、いつも決まって思い出してしまうのが、「Dr. スランプ アラレちゃん」に出てくるキノコちゃん。

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うわ〜懐かしい!

ここにも書いてあるように、「古いモノ = ダサい」&「新しいモノ = ナウい」っていうメンタリティーと上記の人は同じじゃないかな、と。

あと、聞いた話によるとバブルの頃って、日本未発表のブランドの化粧品を買うためだけに、海外旅行してそれを購入し、まだそれを持ってない人に自慢する女性がいたとかいなかったとか。

当時は「トレンディドラマ」とか流行ってましたしね。


私がこういうふうに感じる理由は、SNSでの発言でその人が古いと思うものを批判するときの枕詞が「今時・・・」だから。

そして、「新しいこと」以外にそれが優れていることを示す根拠は無いことが多いです。

このような考えのクセや「新しい = 正義、古い = 悪」という対立構造で考えてしまうところとかに、昭和の残滓が色濃く残っているように私は感じます。


で、こういう人ではない「新しいモノゴト」を評価する人っていうのは、どういう点においてどう優れているのか?というところまで考えてます。

この点において、両者は大きく違います。


☆☆☆☆☆☆☆


まあなんだかんだ言っても、新しいモノゴトの多くは不可逆的な流れに乗っているので、こちらの態度いかんにかかわらず普及し浸透していきそうです。


そして、西田亮介著「不寛容の本質」は著者が大学の准教授だけあって、現在の大学についても詳しく書かれています。

例えば、国立大学の運営費交付金の何%が上位10校に配分されているのか?など、興味深い記述が沢山あります。

一読の価値ありです。



不寛容の本質
西田亮介
経済界
2017-02-17



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akky_san at 23:22│Comments(0)TrackBack(0)趣味 | 読書

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