2017年06月25日
akky の0ベース思考による日本語教育に対する素朴な疑問1「なぜ日本語教育にCEFRを適用するの?」
最近、授業でも扱っているAIについての書籍や雑誌、ネット上の情報などを読んでいると、将来AIに代替されにくい、人間に必要とされるスキルの1つとして、「あれ?どうして?」と何かに気づくことができそれに対して疑問を持つこと、っていうのが挙げられます。
そのためには、なんとなく前からそういうことになっているからそれが当然だというような、暗黙の前提を疑い、「そもそもなんでこうなってるんだっけ?」といった0ベースで考えられる思考が、今後は求められてきます。
さて、私が常々「これって、なんでこういうことになってるんだろ?」と疑問に思ってる日本語教育関係の事柄が色々あり、今回はその第一弾。
どなたか、私が納得できるような合理的な説明をしていただければありがたいんですが。
☆☆☆☆☆☆☆
近年、日本語教育界隈でも、CEFRという概念がメインストリームになりつつあります。
CEFRっていうのは何かというと、日本語に訳すと「ヨーロッパ共通言語参照枠」という言葉で、Wikipediaの説明を引用すると、“ヨーロッパ言語共通参照枠(ヨーロッパげんごきょうつうさんしょうわく、英語: Common European Framework of Reference for Languages:CEFRあるいはCEF、フランス語: Cadre européen commun de référence pour les langues:CECRL)とは、ヨーロッパ全体で外国語の学習者の習得状況を示す際に用いられるガイドライン。1989年から1996年にかけて欧州評議会が「ヨーロッパ市民のための言語学習」プロジェクトを推進した際に、ヨーロッパ言語共通参照枠がその中心的な役割となった。ヨーロッパ言語共通参照枠の目的は、ヨーロッパのすべての言語に適用できるような学習状況の評価や指導といったものの方法を提供することである。” となっています。
私が素朴に疑問に思うのは、赤字の部分です。
「ヨーロッパ市民のための」と「ヨーロッパのすべての言語に適用できるような」の部分。
つまり、CEFRというものは本来、ヨーロッパ言語を外国人が学ぶ場合の習得状況の評価、ということです。
ヨーロッパ圏以外の地域からの移民が増えてきた、といった状況が非常に影響してるんでしょうね。
で、私の素朴な疑問は、「ヨーロッパ言語の習得状況の評価を、そのまま日本語の評価として適用してもイイの?」ってこと。
なんとなく最近のCEFRを推進してる人の言説を見聞きしていると、「なぜヨーロッパ言語の評価枠をわざわざ日本語に適用するのか?」といった理由に言及しているものは皆無であるってことに気づきました。
最近の日本語教育業界の動きを見ていると、「ヨーロッパではそうやっているから」とか「英語教育で、こういう新しい動きがあるから」みたいな、ヨーロッパ言語と英語教育のトレンドをただ追いかけて、クリティカルシンキングをしないで日本語教育にも採り入れてる、っていう印象を受けます。
このような理由以外で、日本語教育にCEFRをわざわざ適用する理由をどなたか教えていただけませんか?
で、私が「日本語教育にCEFRを適用するには、ちょっと無理があるんじゃないの?」って思うポイントを書いていきます。
因みに、ヨーロッパ言語といっても私がちょっとでも分かる言語は英語、スペイン語、フランス語だけなんですけど、とりあえずその範囲で考えることとします。
1 言葉の密度が違いすぎる
私がスペイン語を勉強していてビックリしたことの1つに、「主語が誰であるか?」ということに非常に厳密であること。
そして、その主語が誰であるかによって、動詞の形がかなりきっちり分けられていること。
そしてその結果、言葉特に動詞の密度というか重みというか、が圧倒的に大きいんです。
例えば、日本語だったら「あなたは朝ごはんを食べますか。」という文。
この文を細かく分けると、「あなた」、「は」、「朝ごはん」、「を」、「食べます」、「か」という6つの要素に分解できます。
一方、スペイン語で同じ意味の文を言うと、¿Disayunas? です。(disayunas は二人称の形)
これで終わり。これで、「あなたは朝ごはんを食べますか?」という意味の文なんです。
同じ意味内容を表現するために日本語は6つの語を必要とし、一方のスペイン語は1つの語で表せます。
つまり、スペイン語は1語で表現できる意味内容を日本語で表現しようとすると6つの語が必要になる。
ということは、1つの語が持っている重みが全然違うんです。
以前コロンビアの学生に教えていた時に、「なるほど!」って思ったことがあります。
彼は日本人の奥さんがいます、
学生「奥さんが日本語で『友達と遊びに行ってくる』って言うと、めちゃくちゃ不安になります。」
私「どうして?」
学生「スペイン語だったら、文法的にその友達が「男性か女性か?あるいは、1人だけなのか何人か?が分かりますけど、日本語だったらそれがぜんぜん分かりません。」
ということでした。
そしてこのこととリンクするのは、日本語というか日本語によるコミュニケーションは、文脈依存度が非常に強い言語であること。
同じ言葉を使っても、その場の状況によって全く違う意味を表すことが日本語には多いですよね?
2 覚えないといけない文法の量が違う
上記の例のように、ヨーロッパ言語は人称が文法に大きく影響します。
例えば、日本語では「する」と言う動詞は主語が誰でも「する」ですが、スペイン語になると「私」、「あなた」、「彼/彼女」、「私たち」、「あなたたち」、「彼ら/彼女たち」で、6つの形を覚える必要があります。
そのため、ヨーロッパ言語は覚えなければならない動詞の形が日本語に比べてめっちゃ多くなります。
それに、これはその言語によるのかもしれませんが、日本語には無い冠詞の存在、男性名詞と女性名詞(名詞が男性か女性かで形容詞の形も変わる)などがあります。
確かに日本語にも助詞や助数詞など覚えなければならないものも多いですが、動詞が人称でそんなに形が多い(さらに原形もあるし、その過去形、未来形なども含めると相当の数になる)ヨーロッパ言語と日本語っていうのは、大きく違います。
3 文字の種類と習得のプロセスが違う
今日、こんな記事を見つけました。
「とめ、はね、はらい」ひらがな学習に特有のプロセス 神戸大学が調査
ラテンアルファベット圏の考えでは説明できないことが、日本語のひらがな学習に見られるってことです。
これは、私がずっと体感的に感じていたことと一致し、さらに日本語には「ひらがな・カタカナ・漢字」という3種類の文字表記があるっていうところも、ヨーロッパ言語とは異なる点です。
☆☆☆☆☆☆☆
他にも色々相違点はあると思うんですが、大きいところではこういうカンジですかね。
その違いを0ベース思考で考えたら、色々疑問が出てきたわけでして。
そして、こんなにも成り立ちや歴史的バックグラウンドが異なるヨーロッパ言語の習得状況の評価を、日本語教育にわざわざ採り入れる合理的な理由が知りたいです。
他の国でもそうだから、っていう理由ではなくて日本語の習得状況の評価がCEFRでなければならない理由を、どなたか私に教えてください。
ほな、さいなら!
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そのためには、なんとなく前からそういうことになっているからそれが当然だというような、暗黙の前提を疑い、「そもそもなんでこうなってるんだっけ?」といった0ベースで考えられる思考が、今後は求められてきます。
さて、私が常々「これって、なんでこういうことになってるんだろ?」と疑問に思ってる日本語教育関係の事柄が色々あり、今回はその第一弾。
どなたか、私が納得できるような合理的な説明をしていただければありがたいんですが。
☆☆☆☆☆☆☆
近年、日本語教育界隈でも、CEFRという概念がメインストリームになりつつあります。
CEFRっていうのは何かというと、日本語に訳すと「ヨーロッパ共通言語参照枠」という言葉で、Wikipediaの説明を引用すると、“ヨーロッパ言語共通参照枠(ヨーロッパげんごきょうつうさんしょうわく、英語: Common European Framework of Reference for Languages:CEFRあるいはCEF、フランス語: Cadre européen commun de référence pour les langues:CECRL)とは、ヨーロッパ全体で外国語の学習者の習得状況を示す際に用いられるガイドライン。1989年から1996年にかけて欧州評議会が「ヨーロッパ市民のための言語学習」プロジェクトを推進した際に、ヨーロッパ言語共通参照枠がその中心的な役割となった。ヨーロッパ言語共通参照枠の目的は、ヨーロッパのすべての言語に適用できるような学習状況の評価や指導といったものの方法を提供することである。” となっています。
私が素朴に疑問に思うのは、赤字の部分です。
「ヨーロッパ市民のための」と「ヨーロッパのすべての言語に適用できるような」の部分。
つまり、CEFRというものは本来、ヨーロッパ言語を外国人が学ぶ場合の習得状況の評価、ということです。
ヨーロッパ圏以外の地域からの移民が増えてきた、といった状況が非常に影響してるんでしょうね。
で、私の素朴な疑問は、「ヨーロッパ言語の習得状況の評価を、そのまま日本語の評価として適用してもイイの?」ってこと。
なんとなく最近のCEFRを推進してる人の言説を見聞きしていると、「なぜヨーロッパ言語の評価枠をわざわざ日本語に適用するのか?」といった理由に言及しているものは皆無であるってことに気づきました。
最近の日本語教育業界の動きを見ていると、「ヨーロッパではそうやっているから」とか「英語教育で、こういう新しい動きがあるから」みたいな、ヨーロッパ言語と英語教育のトレンドをただ追いかけて、クリティカルシンキングをしないで日本語教育にも採り入れてる、っていう印象を受けます。
このような理由以外で、日本語教育にCEFRをわざわざ適用する理由をどなたか教えていただけませんか?
で、私が「日本語教育にCEFRを適用するには、ちょっと無理があるんじゃないの?」って思うポイントを書いていきます。
因みに、ヨーロッパ言語といっても私がちょっとでも分かる言語は英語、スペイン語、フランス語だけなんですけど、とりあえずその範囲で考えることとします。
1 言葉の密度が違いすぎる
私がスペイン語を勉強していてビックリしたことの1つに、「主語が誰であるか?」ということに非常に厳密であること。
そして、その主語が誰であるかによって、動詞の形がかなりきっちり分けられていること。
そしてその結果、言葉特に動詞の密度というか重みというか、が圧倒的に大きいんです。
例えば、日本語だったら「あなたは朝ごはんを食べますか。」という文。
この文を細かく分けると、「あなた」、「は」、「朝ごはん」、「を」、「食べます」、「か」という6つの要素に分解できます。
一方、スペイン語で同じ意味の文を言うと、¿Disayunas? です。(disayunas は二人称の形)
これで終わり。これで、「あなたは朝ごはんを食べますか?」という意味の文なんです。
同じ意味内容を表現するために日本語は6つの語を必要とし、一方のスペイン語は1つの語で表せます。
つまり、スペイン語は1語で表現できる意味内容を日本語で表現しようとすると6つの語が必要になる。
ということは、1つの語が持っている重みが全然違うんです。
以前コロンビアの学生に教えていた時に、「なるほど!」って思ったことがあります。
彼は日本人の奥さんがいます、
学生「奥さんが日本語で『友達と遊びに行ってくる』って言うと、めちゃくちゃ不安になります。」
私「どうして?」
学生「スペイン語だったら、文法的にその友達が「男性か女性か?あるいは、1人だけなのか何人か?が分かりますけど、日本語だったらそれがぜんぜん分かりません。」
ということでした。
そしてこのこととリンクするのは、日本語というか日本語によるコミュニケーションは、文脈依存度が非常に強い言語であること。
同じ言葉を使っても、その場の状況によって全く違う意味を表すことが日本語には多いですよね?
2 覚えないといけない文法の量が違う
上記の例のように、ヨーロッパ言語は人称が文法に大きく影響します。
例えば、日本語では「する」と言う動詞は主語が誰でも「する」ですが、スペイン語になると「私」、「あなた」、「彼/彼女」、「私たち」、「あなたたち」、「彼ら/彼女たち」で、6つの形を覚える必要があります。
そのため、ヨーロッパ言語は覚えなければならない動詞の形が日本語に比べてめっちゃ多くなります。
それに、これはその言語によるのかもしれませんが、日本語には無い冠詞の存在、男性名詞と女性名詞(名詞が男性か女性かで形容詞の形も変わる)などがあります。
確かに日本語にも助詞や助数詞など覚えなければならないものも多いですが、動詞が人称でそんなに形が多い(さらに原形もあるし、その過去形、未来形なども含めると相当の数になる)ヨーロッパ言語と日本語っていうのは、大きく違います。
3 文字の種類と習得のプロセスが違う
今日、こんな記事を見つけました。
「とめ、はね、はらい」ひらがな学習に特有のプロセス 神戸大学が調査
ラテンアルファベット圏の考えでは説明できないことが、日本語のひらがな学習に見られるってことです。
これは、私がずっと体感的に感じていたことと一致し、さらに日本語には「ひらがな・カタカナ・漢字」という3種類の文字表記があるっていうところも、ヨーロッパ言語とは異なる点です。
☆☆☆☆☆☆☆
他にも色々相違点はあると思うんですが、大きいところではこういうカンジですかね。
その違いを0ベース思考で考えたら、色々疑問が出てきたわけでして。
そして、こんなにも成り立ちや歴史的バックグラウンドが異なるヨーロッパ言語の習得状況の評価を、日本語教育にわざわざ採り入れる合理的な理由が知りたいです。
他の国でもそうだから、っていう理由ではなくて日本語の習得状況の評価がCEFRでなければならない理由を、どなたか私に教えてください。
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