最近よく考えてるのが「なぜそのタイミングでその文法を教えるのか?」今年度の初授業!の他己紹介で、チャンスを逃しまくる留学生たち

2018年04月07日

日本語学校の人手不足を解消し、日本語教師の平均年収額を上げる方法

私自身は実感として感じることはあまりないんですが、国内の日本語学校の人手不足って深刻なようです。

でも間接的には、「誰か良い先生いたら紹介して!」などと頼まれることも時々はあり、徐々にですがその頻度は増えていってる気がします。

人手不足を解消する方法としてまず考えられるのは、「採用人数を増やして、教師の頭数を増やす」ってこと。

ただ、これにはデメリットがあります。

それは何かと言うと、「教師の質が担保されない」ってこと。

偶然高い教授力を持つ教師ばっかり採用されればいいですが、頭数を確保しようとすると一定のレベルに達していない教師も採用しなければいけなくなったりするんです。

「時間=コスト」って発想が無い経営者は気づいていないんですが、そういう教師が採用されてしまうと多大なコストがかかってしまいます。

学校によって対応は様々ですが、同じクラスで教えている他の非常勤講師やレベル担当教務が、その人が行った授業内容についてのフォローをしないといけません。

また教務や教務主任が教案チェックやら授業見学やら、かなりの時間をその教師に割くことになりますし。


ってかそもそも、急遽教師の人数を増やさなければならないって状況にならないように、最初から受け入れる留学生の人数の方を調整しておけばいいだけの話なんですけど。

考え無く、「とりあえずできるだけたくさんの留学生を受け入れよう」と、今までやってきた発想を思考停止状態で踏襲してるからそういうことになるんです。


ただ、教師が必要になる局面は必ずしもそれだけではないとも考えられます。


色々なケースが考えられると思いますが、その事情は今は一旦置いといて、どうすればいいかというとこれです。

現在、扶養控除の範囲内で働いてる主婦の先生の授業コマ数を増やす


です。

この前提として、この主婦の先生は掛け持ちをしておらず、授業に入っていない時間も授業に入ろうと思えば入れる状況の先生です。


私は個人的には、主婦の先生は扶養の範囲内で授業コマ数を抑えるより、もっとガツガツ働いたほうがいいんじゃないの?と考えています。

あ、ここでは細かいお金のことには触れません。


扶養の範囲内で働けば、確かに様々な出費は抑えられます。

まあそのご家庭によって事情は違うと思うんですが、ただ出費を減らしたいだけならやめといたほうがいい。

なぜかというと、確かに出費は抑えられますが貰える年金が増えるわけではない上に、将来の年金政策によってはかなり影響を受けるから。

なんか、どんどんどんどん年金受給年齢上がっていきそうじゃないです?

あと、厚生年金なんかもどんどん支払額が引き上げられそう。

特に年末調整しかしてないシンググインカムのサラリーパーソンって、かなり払わされそうです。


あとこないだビックリしたんですが、私学共済の「定額積立預金」(年金とは別の、個人が任意でできる預金)みたいなやつの金利、かなり下がってるんですね。

この預金って複利なんですけど、こんだけ金利が低いと複利のメリット皆無じゃないの?ってレベルで。


そして、扶養を超えて働くことは、日本語教師全体の平均年収額を上げることにも繋がります。

どういうことか分かります?

っていうか、逆に書くと今までは扶養範囲内で働いていた先生たちの年収が低いことが、日本語教師全体の年収を押し下げてたってことなんです。

意志的に労働時間を抑え、そのことが扶養範囲内で働く教師の年収を下げ、そういう人の割合が何%かは分かりませんがバリバリ働いている人も含めた日本語教師全体の平均年収の押し下げ要因になってるってこと。

気をつけてもらいたいのが、これは「日本語教師の時給単価の金額を上げる」ってこととは全く別の話ってこと。

それは、個別の日本語学校の判断に左右されます。


それから、採用して教師を増やすのには採用試験などのコストがかかるのに対して、既にそこで働いてる主婦の先生にコマ数を増やしてもらうほうがコストもかからないし現実的です。


☆☆☆☆☆☆☆


ところで、「合成の誤謬」って言葉をご存知ですか?

これは、個人などのマクロの視点で考えると合理的な判断だったことが、マクロ的に見るとマイナスに働いてしまうこと。

合成の誤謬には現実の事例も数々あるのですが、私が考える典型的な合成の誤謬が「節約」です。

ミクロの視点の個人や家庭などにとっては、節約することは無駄遣いを無くし可処分所得が増える、合理的判断です。

ところが、国全体の経済(マクロ)で考えると、多くの人が節約をすると個人支出が減り消費が落ち込むので、不景気になります。

この扶養内で働くってことも、合成の誤謬であると私は考えます。

どういうことかというと、そういう先生も含めて押し下げられてしまった年収が平均になってしまうと、これから日本語教師になろうとしてる内情を知らない人に、間違ったメッセージを与える可能性があるってこと。

せめて非常勤講師を一括りにするのではなく、例えば5コマごとなどコマ数に幅を持たせて、10コマ担当してる教師の平均年収、20コマ担当してる教師の平均年収など加重平均してほしい。(誰にだろ?)


ただ、主婦の先生にコマ数を増やしてもらうには、何らかのインセンティブが無いとなかなか難しい。


私だったら例えば、扶養範囲内の時給は据え置きで、範囲を超えた時間の時給は1.5倍にしたりするかも。

ただ心配なのは、主婦じゃ無い先生の理解が得られるかどうか。

でも本当に人手不足で二進も三進もいかなくなってる状況であれば、そのハードルも超えられそう。

主婦の先生にしても、いくら働いても家計の収支分岐点を超えるくらいの給料をもらえなければ、そのインセンティブは得られませんし。

本来、「主婦の教師の給料が上がる」ことは「主婦以外の教師の給料が下がる」こととは全く違い、それ以外の教師が損をするわけではないんですよね。

まあ、不公平感は理解できますが。


困った状況を2つも打開できる、超ミラクルな方法じゃないですかね?


ほな、さいなら!



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akky_san at 17:58│Comments(0)生き方 | 働き方

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