私が考えた、ベトナム人留学生も大いに乗り気になったビジネスプランのアイデア

2019年01月22日

雑談を贅沢なものだと考える理由4つと、約半分の時間が雑談で占められている私の受けるスペイン語レッスン

私が最近よく感じるのが、日本人は仕事中に雑談なんかするもんじゃないっていうパラダイムに未だに囚われていて、それが職場の閉塞感につながっていってるんじゃないか、ってこと。

私が今いる学校は全然違うんですが、以前いた学校では一時期「日本語についての雑談さえ憚られる」雰囲気でした。

もうね、息が詰まりそうなレベルで。


それと皮肉なんですが、そういう雑談を目の敵にしている人が、往々にしてミーティングなどのタスク的な何かしらの目的がある場で雑談をしてしまう、っていうパターンがあります。

例えば、私が以前経験したので言えば、問題がある学生への対処をどうするかミーティングで話し合っているうちに、いつの間にか同じタイプの昔の学生がどんなことをしたか、っていう流れになったことが!

それ、ただの思い出話ですよ。


それともう1つ、これもミーティング中の話なんですが、当時私が専任として受け持っていた上級クラス(7クラス)の学生情報の共有の時間になった時に、特に問題になる学生がいなかったので「上級は特に何もないです。」と言ったところ、他の専任講師で上級クラスの担任をしていた先生が、なんと「なぜ問題がないのか?」の説明を始めちゃったんです。

それは、全く価値のない情報であり、こちらのエントリ(→趣味・教養・雑談 vs 必要性・実用性・タスク的会話)で紹介しているタスク的な会話にあたります。
 

以上のようなパラダイムに、私たち日本人はまだまだ縛られていると感じます。

ところが、最近は先進的な企業などでは風向きが変わりつつあるとも感じていて、クリエイティブだったりイノベイティブな企業では雑談の価値を見出しているということも、見聞きするようにはなってきましたが。


☆☆☆☆☆☆☆


雑談といっても色々あるんですが、私が一部の雑談を贅沢だと考える理由は、以下の4つ。


1 時間的余裕が必要だから


至極当然のことなんですが、時間的な余裕がほとんど無く仕事や家事に追われているような人は、雑談をすることができません。

反対に考えると、時間的余裕が豊富にある人ほど雑談の時間が確保しやすくなり、そういう状態は現代人にとって非常に贅沢なことです。


2 精神的余裕が必要だから


現代は、非常にストレスフルな社会です。

ネットやSNSが発達したことによって色々なことが可視化され、今までだったら触れたくない情報や、臭いものに蓋をして見て見ぬ振りをしてきたものも、容易に目に入ってきたりします。

こういう状態にいると、ストレスを感じることが多くなります。


また、上記の1のように忙しくバタバタバタバタしてる人は、時間的余裕も持たない上に精神的余裕を持つのも難しくなります。


3 内容によっては教養が必要とされるから


先日のスペイン語レッスンでは、なぜか私の一昨年のバルセロナ旅行の話になり、それをきっかけに様々な話題の雑談になっていきました。


私「結構世界の国々には、一番規模が大きい都市の住民と二番目の規模の都市の住民が仲悪いケースが多いと思うんですけど、マドリードとバルセロナも仲悪いですか?」

先生「良くはないですね〜。」

という流れで、スペイン王国が成立した時の事情が未だに影響しているってことを教えてくれました。

これってジャンル的には歴史なので、教養が無いとこの説明は不可能。


私「神聖ローマ敵国と、もっと昔のローマ帝国って関係あるんですか?」(私は世界史は高校では選択しなかったので、知識が中学生止まり)

先生「関係ないですね。当時のヨーロッパ人の憧れの対象が古き良きローマ帝国で、かつてできたんだからオレたちも1つになろうって流れで複数の国によって作られたのが、神聖ローマ帝国なので。」

私「ってことは、現代のヨーロッパ人ってあんま歴史から学んでないってことになりません?」

先生「(苦笑)そういうことになるかもしれませんね。」


上記の赤字の部分、一般常識をお持ちの方ならどういうことか分かると思うんですが、私が担当してるニュースを全く知らない留学生のような教養が無い人にとっては、おそらく理解不能。


因みにこの後の雑談は、以下のように進んでいきます。


神聖ローマ帝国 → ハプスブルク家 → マリー・アントワネット → ブルボン家 → (時代が遡って)アンリ4世 → ヴァロア家 → カトリーヌ・ド・メディシス → 当時の女傑とも言える女王や王妃(エリザベス1世とか) → スペイン王妃ファナ


最後の話題がスペインに関係したので、このタイミングでレッスンに戻りました。


これ以外にも、私がFCバルセロナのスタジアムで撮ったこの楽天の広告写真。

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この写真で、現在のバルセロナにおける楽天という企業の存在感など、現地にしょっちゅういってる人から出ないといけない情報も聞けたり。


レッスンで必ずしていただくようにお願いしてる単語クイズで、neguro/a って単語が出てきて、私は意味を知らなくて答えられなかったんですけど、答えは「黒」でした。

それを聞いた瞬間、ある疑問が浮かんだので聞いてみました。


私「それ、使っていいんですかね?」

先生「何にですか?」

私「人にです。」

先生「まあ純粋に客観的に色を表すならいいと思うんですけどね〜それにスペイン語には他にいくらでも罵る言葉もありますし。」


という会話。


この会話が雑談かどうかはビミョーですが、少なくとも先生と私にある程度の教養があったからこそ成り立つ会話じゃないですかね?

教養が無い人って、他者に配慮できませんし。

なので、私は最近教養というのは自分が人生を楽しむためのものであるのと同時に、他者をむやみに傷つけないためのものでもある、とも思うようになりました。


4 共有できる人が限られるから


これは余談なんですが、なぜかICOCAの話になり、


私「ICOCAって、スペル的にスペイン語にしやすそうじゃないですか?」

先生「(笑)そうですね。」

私「a で終わってるから、女性名詞ですかね?」

先生「la icoca とか言ってそうですね。」


といった雑談に。


私はこういう「分かる人にだけ分かる」雑談も、贅沢だと感じます。

ただしそれは、ローカルルール内だけで通じる文脈依存度の高い会話ではなく、それに関するある程度以上の知識がある人同士でしか成り立たない雑談のこと。


3の教養が必要とされる雑談の場合、共有できる人って相当限られます。


どういうことかというと、例えば私が誰かと私が好きな作家の「恩田陸」さんについて雑談をすると仮定した場合、私の話し相手であるその誰かは私と同程度の「恩田陸」さんに関する知識量が要求されるってこと。

でないと、会話が双方向の雑談ではなく一方的な説明になってしまいます。


私は現在、雑談できる相手がまあまあいることを幸せであると思う反面、情報量が極端に少ない人に接すると私が説明しないといけないことが増えるので、そういう人とのコミュニケーションを億劫に感じ始めています。


先日の日本語教師勉強会でご参加の先生方には発表したのですが、来年度から私は大きく働き方(って書いていいのかな?)が変わるので、後者のような人とは疎遠になっていきそうな予感。


まあでも、情報量を増やすには、

  • 複数のニュースソースを持つ
  • 本を読む
  • 変化を恐れず行動する

のようなことをすればいいだけなので、誰にでもできるんですよね。

実際に行動する人としない人がいるだけなんです。


☆☆☆☆☆☆☆


私はもっと雑談は評価されてもいいと思っているし、それができる環境は贅沢なんだってことが日本でもっと浸透すればいいのにな、って思います。


タスク的な会話や作業は将来的に無くなっていくので、人間には余暇が有り余る未来が待ってんじゃないかとも思っていて、そうなると雑談できるようになっておかないとツラいのかなと。


最後に、レッスンが終わり先生に「今日は雑談ばっかりになってしまって、すみません。」って言われたんですけど、私はむしろ逆に「雑談が多くなったのに、通常の料金しか払わなくて申し訳ない」と思うくらい、レッスンそのものよりも雑談する時間が持てたことに大満足でした。


ほな、さいなら!


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