2020年01月10日
最近気になってる日本語と、初級文法の導入時にどう扱うか問題
「最近気になってる日本語」と言っても、最近初めて存在に気づいて気になってるというよりも、前からその存在は知ってはいたものの最近特に聞く頻度が高くなったせいで気になってる日本語、と書いた方が正確。
というのも、岡山県備前市の私がよく行くホームセンターのアナウンスで、その日本語が繰り返し放送されてるんです。
その放送の内容っていうのは、家庭内にある不用品を引き取りますよって内容なのですが条件があり、その条件のアナウンスが、
ただし、ご自分でお店に持ち込まれたお客様に限らさせていただきます
ってなってるんですよね。
これ、私は敢えてその部分を強調せずに書いてるんですけど、どこがおかしいか分かります?
「限らさせて」の「さ」は本来要らなくて、「限らせて」です。
いわゆる「さ入れ言葉」と言われているもの。
日本語教師以外の日本人にメジャーなのは、「ら抜き言葉」。
日本語教育的に書くと、Ⅱグループの動詞の可能形を作るときに、
・食べられる → 食べれる
・着られる → 着れる
・起きられる → 起きれる
・寝られる → 寝れる
などのように、本来あるはずの「ら」が抜けてしまっているのが「ら抜き言葉」ですよね。
一方、「さ入れ言葉」というのはⅠグループの使役形を作る際に、
・行かせる → 行かさせる
・言わせる → 言わさせる
・飲ませる → 飲まさせる
・急がせる → 急がさせる
のように、本来不要なはずの「さ」を入れてしまっているものを指します。
で、よく私が見聞きしてきたのが、こういう日本語を日本語教師として許容するかどうか、あるいは学習者がアウトプットとしてこういう日本語を使った場合にどう扱うか、っていうような議論。
まあ私なんかは、特に「ら抜き言葉」に関しては、言葉って変化するもんだし、Ⅱグループの動詞に関しては他の受け身形や尊敬形と違う形になるから文脈から判断しなくてよくなるから、学習者にとっても理解面での負担は少なくなって良いんじゃない、って思います。
その代わり、また異なる形(ら抜き言葉)を覚えないといけなくなるため、記憶の負担は増えるのかな、とも思いますが。
で、だいたいこういう話題って「許容派」と「非許容派」に分かれて水掛け論的な議論が展開されることが多い印象。
☆☆☆☆☆☆☆
で、だいたい思考がそこでストップしているケースが多いです。
でも、私はもう一歩進んで考えていて、このブログでもずっと書いてきているのが、
そういう日本語が許容されると考えている場合、それを導入する際に正用として提示できますか?
ってこと。
これは、学習者からのアウトプットではなく、教師側からのインプットである導入の段階でどう扱うか、ってことなんです。
アウトプットを許容できるかということと、インプットで正しい形だと提示できるかということは、全く別のことです。
上記の例で書くと、
・「食べる」の可能形は「食べれる」です
・「行く」の使役形は「行かさせる」です
って説明ができるか、ってことですかね。
なんとなく私の周りの日本語教師は、アウトプットが許容できるかどうかってところで思考が止まっていて、ずーっとそこで議論が終始していることが多いです。
なので、敢えてもう一歩踏み込んだところまで考えてみては、っていうご提案。
そういうふうに考えてみると、アウトプットの許容の考えにも影響が出てくるかもしれませんし。
ちょっと一回、自分が初級文法を導入する際にどう扱うか、考えてみては?
☆☆☆☆☆☆☆
これ読んでる日本語教師の方にもう1つ考えてみてほしいことがあります。
例えば、初級文法の導入時に、
Q きのう、雨がふりましたか?
A いいえ、 。
みたいなケースで、
・いいえ、きのう雨はふらなかったです。
っていう文を提示しますか?提示しませんか?
あるいは、導入後にアウトプットで上記の文が出てきたときに、許容しますか?許容しませんか?
ちょっと一度考えてみてください。
ヒントは、この例の文法は初級のどの段階で出てくるものなのか?ってところですかね。
こういう、一見差し迫っている授業の準備とは無関係に見えるようなことでも、何かを調べて答えを探したりせずに自分の頭で考えておくと、後々助かると思います。
で、そのメリットは、
ってことです。
ほな、さいなら!
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というのも、岡山県備前市の私がよく行くホームセンターのアナウンスで、その日本語が繰り返し放送されてるんです。
その放送の内容っていうのは、家庭内にある不用品を引き取りますよって内容なのですが条件があり、その条件のアナウンスが、
ただし、ご自分でお店に持ち込まれたお客様に限らさせていただきます
ってなってるんですよね。
これ、私は敢えてその部分を強調せずに書いてるんですけど、どこがおかしいか分かります?
「限らさせて」の「さ」は本来要らなくて、「限らせて」です。
いわゆる「さ入れ言葉」と言われているもの。
日本語教師以外の日本人にメジャーなのは、「ら抜き言葉」。
日本語教育的に書くと、Ⅱグループの動詞の可能形を作るときに、
・食べられる → 食べれる
・着られる → 着れる
・起きられる → 起きれる
・寝られる → 寝れる
などのように、本来あるはずの「ら」が抜けてしまっているのが「ら抜き言葉」ですよね。
一方、「さ入れ言葉」というのはⅠグループの使役形を作る際に、
・行かせる → 行かさせる
・言わせる → 言わさせる
・飲ませる → 飲まさせる
・急がせる → 急がさせる
のように、本来不要なはずの「さ」を入れてしまっているものを指します。
で、よく私が見聞きしてきたのが、こういう日本語を日本語教師として許容するかどうか、あるいは学習者がアウトプットとしてこういう日本語を使った場合にどう扱うか、っていうような議論。
まあ私なんかは、特に「ら抜き言葉」に関しては、言葉って変化するもんだし、Ⅱグループの動詞に関しては他の受け身形や尊敬形と違う形になるから文脈から判断しなくてよくなるから、学習者にとっても理解面での負担は少なくなって良いんじゃない、って思います。
その代わり、また異なる形(ら抜き言葉)を覚えないといけなくなるため、記憶の負担は増えるのかな、とも思いますが。
で、だいたいこういう話題って「許容派」と「非許容派」に分かれて水掛け論的な議論が展開されることが多い印象。
☆☆☆☆☆☆☆
で、だいたい思考がそこでストップしているケースが多いです。
でも、私はもう一歩進んで考えていて、このブログでもずっと書いてきているのが、
そういう日本語が許容されると考えている場合、それを導入する際に正用として提示できますか?
ってこと。
これは、学習者からのアウトプットではなく、教師側からのインプットである導入の段階でどう扱うか、ってことなんです。
アウトプットを許容できるかということと、インプットで正しい形だと提示できるかということは、全く別のことです。
上記の例で書くと、
・「食べる」の可能形は「食べれる」です
・「行く」の使役形は「行かさせる」です
って説明ができるか、ってことですかね。
なんとなく私の周りの日本語教師は、アウトプットが許容できるかどうかってところで思考が止まっていて、ずーっとそこで議論が終始していることが多いです。
なので、敢えてもう一歩踏み込んだところまで考えてみては、っていうご提案。
そういうふうに考えてみると、アウトプットの許容の考えにも影響が出てくるかもしれませんし。
ちょっと一回、自分が初級文法を導入する際にどう扱うか、考えてみては?
☆☆☆☆☆☆☆
これ読んでる日本語教師の方にもう1つ考えてみてほしいことがあります。
例えば、初級文法の導入時に、
Q きのう、雨がふりましたか?
A いいえ、 。
みたいなケースで、
・いいえ、きのう雨はふらなかったです。
っていう文を提示しますか?提示しませんか?
あるいは、導入後にアウトプットで上記の文が出てきたときに、許容しますか?許容しませんか?
ちょっと一度考えてみてください。
ヒントは、この例の文法は初級のどの段階で出てくるものなのか?ってところですかね。
こういう、一見差し迫っている授業の準備とは無関係に見えるようなことでも、何かを調べて答えを探したりせずに自分の頭で考えておくと、後々助かると思います。
で、そのメリットは、
- 自分の軸になる判断基準ができ、判断がブレなくなる
- 判断すること自体が楽チンになる
ってことです。
ほな、さいなら!
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