キャリア

2018年08月31日

「時給 × コマ数 = 給料」というシステムの限界

みんなウスウス気づき始めてるんじゃないでしょうか?

この「時給 × コマ数 = 給料」っていうシステムがそろそろ機能不全に陥りつつあるんじゃないかってことに。

私は今年度、私の勤務形態についてウチの学校のエラい人と話をした時に、そのことを相当強く感じました。

何があったかというと、昨年度と勤務形態を変更することになり、それにあたって「同一労働・同一賃金」の話を私が切り出した時に、授業時間以外に発生する業務への対価としての基本給的な給料を、授業授業と同様時間で計算したってことなんです。

どういうことかというと、私の授業以外のカリキュラムの作成や進学指導の業務の部分で、一律で1ヶ月いくらとかだったら私も分かるんですけど、例えばゴールデンウィーク明けに文法クラスの学生一人一人と進学面談をすることがその時点で分かっていて、「じゃー基本的には基本給は毎月これだけだけど、5月だけは多めに設定します。」的なことをおっしゃってたんです。

私、これ猛烈に違和感感じました。

こんな場合でも、とりあえず彼らから「見える」部分は労働時間として算出するけど、そうじゃないところは評価されないってことですよね?

このように書くと、授業の準備時間が給料に含まれていないってことが浮かびますが、こっちは全く別の話。

授業準備を短くしようと思うと工夫やスキル、何らかの能力が必要になりますが、反対に時間を長くしようと思えば誰にでもできます。

つまり、授業の準備時間を時給が発生する時間に入れてしまうと、ダラダラダラダラ準備してればたくさん給料がもらえてしまうことになってしまうんですよね。

なので私は、一貫して授業準備時間をできるだけ効率化しよう、って言ってきたわけです。


ところが、カリキュラム作成になるとご担当の先生たちからのご意見で習性が必要になり、その都度作業が発生したりします。

その上、進学指導ともなるとものすごい量の作業が必要になったり、突然の事態にも対応したりする必要が出てきます。

そしてこれは、教師がコントロールできない部分。


であるにもかかわらず、「学校で進学面談をしている時間」のみを業務だと認識するっていうのは違うんじゃないのかな、と。

まあぶっちゃけ、できるだけ人件費(コスト)をかけたくないってことなんでしょうけど。


☆☆☆☆☆☆☆


今までの働き方で、「時給 × 時間 = 給料」っていうシステムが最も適していたのは、第2次産業なんじゃないかと考えます。

いわゆる、工場での単純作業などのことです。

農業などの第1次産業では、投入した労働力と時間で収穫量が決まるというよりは、どっちかというと天候などに左右される面が大きいです。

また、サービス業などの第3次産業では、それらを投入したからといって客がたくさん来るわけでもなく、さらに来てくれた客が全員消費してくれるとは限りません。


で、このブログの読者の方ならすぐピンと来ると思いますが、第2次産業のような仕事は遅かれ早かれAIやロボットに代替されます。


つまり、従来は「時給 × 時間」を給料としていた仕事は、将来的にはAIに取って代わられるんです。


日本語教師がすぐにそうなるとは思いませんが、単純なパターンの授業しか提供できない教師はどうなるでしょうか?


私は将来、日本語教師の稼ぎ方として1回の授業いくらっていうふうになるんじゃないかと考えています。

そこに若干「時間」は関係してくるかもしれませんが、基本的にその授業なりレッスンなりで教師が学習者に提供できる価値で決まってきそう。

その基準が何なのかはまだよく分かりませんが、ワクワク感や高揚感、贅沢感など超主観的なところで評価が決まって来るように思います。


私は現状の日本語学校が今後も残るとは考えておらず、将来的には非常にマニアックでニッチな学習動機を持つ学習者が増えると考えています。

既に日本の大学の国際的な競争力の低下に気づいている学習者もいるし、日本に行けばたくさん稼げると思う技能実習生も減ってそうです。


となると、本当に「日本語が学びたい」っていう学習者だけが残ります。


もしそうなった場合、やはり上記のような主観的な部分で教師は評価されるんじゃないのかなと。


私は最近色々な人と初対面で会ったり、その方達と色々おつきあいをさせてもらってるんですが、住んでる場所も性別も年齢も仕事もバラバラの人たちに、同じようなことを言われるんですよね。

私と話した感想ってカンジのことなんですけど。

なので、私は最近それが私の提供できる価値なのかも、と考えています。


まあでも、皆が皆新しい出会いがある人ばかりではないので、そういう人はかなり昔のエントリ(→あなたには日本語教師としての資質がありますか? 「さあ、才能(じぶん)に目覚めよう」)なんですが、こういう本で自己分析してみるのもよろしいかと。


明日の授業の準備も大切ですが、こういう「自分が日本語教師として提供できる価値は何なのか?」っていう問いを自らに意識的にしていくことも、中長期的には必要なんじゃないでしょうか。


ほな、さいなら!


日本語ランキング 

このエントリーをはてなブックマークに追加
akky_san at 20:41|PermalinkComments(0)

2017年12月20日

もし目の前に日本語教育能力検定試験に合格したばっかりのakkyがいたら、現akkyが提案するキャリアは何か?

日本語教育能力検定試験の結果が昨日から受験者に届いているようで、SNS 上では悲喜こもごものコメントが見られます。


で、私がこの検定試験に合格したのは前世紀で昔すぎるため、当時のことはあんまり覚えてません。

それで思ったのが、「もしakky がこの日本語教育能力検定試験に合格したばっかりの、まだ日本語教師になる前の段階だった場合、現在の私はどんなキャリアを提案するんだろう?」って思ったんですよね。


20代前半の akky が2017年に日本語教育能力検定試験に合格したと仮定した場合、今の私は日本語教師としてのキャリアについてどんなアドバイスをするんだろう?って素朴に思ったわけです。


そこで、検定試験に合格したばっかりの akky に現 akky が勧めるキャリアと勧めないキャリアをランキングっていう形で書いていきます。


☆☆☆☆☆☆☆


勧めるキャリア

1 多様な教材に接することができる専門課程

フワッとした感じですみません。

具体的に書くと、今私がいる進学コースみたいな専門課程で日本語を教えるところ、とか。

なぜかというと、日本語教師勉強会なんかでも実感するんですけど、ご参加の先生で私のような専門課程に所属してはる先生は自分のクラスの使用教材の決定権があることが多く、そのためか色々な日本語教材に触れることができている、という印象を受けるから。

一方、一般的な日本語学校にお勤めの先生は、あまりその学校で使われている以外の教材についてはご存知ない印象も。

もちろん、日本語学校によっては担任が教材を決めることができる学校もあります。

しかし、私の周りの多くの学校では、初級と中級は学校が総合教材を決めていて、それ以外の教材に触れる機会もインセンティブも働かないところが多い気がします。

例えば、初級は「みんなの日本語」、中級では「中級から学ぶ」を使用するってことを学校として決めていて、そのレベルで教えている教師は他の教材に触れられる機会が少なくなってます。

教材の違いこそあれ、同じような状況になっている日本語学校にお勤めの先生は多そう。

でも、このエントリ(→Akky が考える将来日本語教師に必要なスキルの1つはこれ!)でも書いたように、私は将来的に「学習者に合わせて教材を選ぶことができる」スキルが重要になってくると予想しています。

が、そのスキルの前提として「多様な日本語教材を知っている」ことが必要。


この前提が、上記のように日本語学校では担保されないことが多い。

それよりは、進学目的の専門課程のほうが教材の種類は偏りますが、色んな教材を比較検討して選定することができる場合が多いぶん、多様な教材に触れることができます。


私が今いる学校の日本語学科の先生も、学校の本棚には私が「めっちゃ良い教材!」って思っている教材があっても、それを使う気配はありません。

それは多分、その教材の良さを知らないから。

特に専任講師は、現時点での使用教材の有効な使用方法が何かっていう点で汲々としていて、他の教材はどうなんだろうっていう視点が無い場合が多いです。

特に専任が若ければ若いほど、その傾向が強いです。


2 授業以外の作業が少ない日本語学校

1のように書いたものの、日本語学校とか日本語学科には、進学目的の専門課程には無いメリットがあります。

それは、0の状態の学習者に教えることができる、ってこと。

これも、得難い経験。


そしてさらに、特に初級では「自分の導入がいかに学習者に反映されてるのか?」っていうのが如実に反映され、PDCAを回しやすくなるってこともあります。

めっちゃダイレクトに反映されますからね〜


ただ、授業以外の作業や業務が多い学校はしんどいです。


特に経験がまだそんなに無い段階の日本語教師は、授業準備に時間がかかるのは当然で、そのうえさらに授業以外のことに時間が取られるのはホンマに大変。


でも、こういうのって実際にその学校に入ってみないと分からないことが多く、予め分からないんですよね・・・


だから、実際にその学校で勤めて契約不履行にならない範囲で、できるだけ早く辞めるしか無いかな、と。


3 フリーランス

これも、未来志向の日本語教師には必然的に出てくる働き方。

ただ、私は「オンライン日本語教師」は避けたほうがいいように思います。

なぜなら、オンラインだと学習者のモチベーションの維持が難しいから。


そして、それよりも重要なのが、オンラインにしてしまうと同業の競合相手との差別化をする要因が減り、付加価値がなかなか加えられなくなるから、です。


もしあなたがオンラインで語学学習をしようと思っていると仮定した場合、教師を選ぶ基準は何になりますか?


そういう場合、やっぱり価格になりませんか?

オンラインで教師の質を見抜くのって、ほぼ不可能なのでは?


つまり、オンラインの語学学習っていうのは、その教師の質の担保がしにくく、それが可能であった場合でも必ずしもその教師が自分のニーズに合った授業を提供してくれるとは限らないわけです。


それよりは、自分に付加価値をつけて「時間や場を共有する」ことに価値を感じてもらったほうがいいんんじゃないか、って思います。


その先生に教えてもらうこと、に価値を感じるように持っていくとか。



私は、今の「日本国内の日本語学校で働いている日本語教師の待遇を改善する」っていうより、日本語教師個人の得られるものを最大化する方に興味が移っています。


そして、そのために私にできることは何か?という思考に。


あなたはどう考えて、何ができますか?

>
日本語ランキングnbsp;

このエントリーをはてなブックマークに追加
akky_san at 20:45|PermalinkComments(0)

2017年12月01日

付加価値をつけることで自分の価値は自分で作ろう!

私は、2拠点生活の候補地を探すために、岡山県をあちこち見て回り地域おこし協力隊の方々ともお話をしました。

そこでよく聞いたのは、「これ(地場産業の製品や伝統工芸)すごくモノはいいけど、コストがかかるから困ってるんです。」ってこと。

やっぱり、日本人ってどうしても「コスト積み上げ型」のプライシングから脱却できないんですよね〜


それで、そういうことを言われると私は決まって、「コストが全く問題にならないくらいの付加価値をつけて売ればイイんじゃないんですか?」って答えてました。

これと同じ発想が、日本語教師の待遇や日本語学校の授業料の価格設定にも反映されてます。


従来のコスト積み上げ型のプライシングっていうのは、こんな感じ。

09


人件費や家賃、その他諸々のいわゆる「コスト」を積み上げていき、最後に「利益はこれぐらいにしよう」というフワッとした感覚で利益率を決定し、その金額を上乗せしたものが最終的な価格になります。


でもね。

こういう価格設定をしてしまうと、薄利多売になりやすく過当競争で疲弊するのは時間の問題になってしまいます。

まさに今の国内の日本語学校が、こういう状況に陥ってるんです。

その割を食ってるのが、その学校で働く日本語教師。


一度過当競争に巻き込まれてしまうと、そこから抜け出すのは相当に難しい!


ただ、唯一その状況から逃れられるのは、学校自体や教師に付加価値をつけること。


☆☆☆☆☆☆☆


特に、教師にその付加価値を付けることができれば、個人で戦えます。

私はこのブログで何回も書いてますが、今のような日本語学校の経営を維持するのは、早晩不可能になると考えています。

このエントリを読んでるあなたも、今の状況って相当歪(いびつ)だと感じませんか?

形が歪んで歪んで、あと一歩で崩れそうなところまで来てるという気もします。


というわけで、その時が到来した時に個人の価値を持ってないと相当苦しくなるはずです。


そこで、私が考える日本語教師が自分で価値を高める方法を書いていきます。


1 複数の肩書きを持つ

これは、こちら(→堀江貴文著「多動力」読了 日本語教師の給料を上げる方法が明確に書いてあった)のエントリで紹介した、堀江さんの著書とも重なる内容。

でも私、今考えればもともとこういう考え方で学生の志望理由書の指導をずっとしてきてました。

例えば、経済学部などはどこの大学にも大体存在するため、「なぜその大学の経済学部でなくてはならないか?」っていうのを考えるのが、非常にツラい学部です。

そういう時に、例えば1つの授業だけだと他の大学にもあったりするんですが、3つくらいの授業を組み合わせればその組み合わせはその大学にしか無いことが多く、そんな感じで志望理由書の指導をしたりしてました。

同じ発想ですよね〜

例えば、


1 日本語教師

だけだと、日本には無数にいます。

しかし、

2 タガログ語が喋れる日本語教師

になると、グッと絞られます。

まあここまで特殊な言語でなくても、例えば英語でもある程度数は絞られます。

ただ、それだとまだまだ該当者は多そうです。

そこで、

3 書道家である

を加えるとどうなるでしょう?

ここでも、かなり数が少なくなります。


このように肩書きを足していけばいくほど、その個人の価値は高くなります。

価値っていうのは基本的に需要と供給のバランスで決まっていくものなので、肩書きを加えていくことによって供給サイドの競合を減らせば、結果自分の価値を高めることに繋がります。


幸い日本語教師は他言語に堪能な人が多く(私以外)、そういう肩書きを付け加えやすそう。

また、言語関係以外にも一芸に秀でた方もいると思うので、そういう人にはかなり有利になりそうです。


2 自己投資をする

私がリアルで知っている日本語教師は、この点においてパカッと2つのグループに分かれます。

自己投資をする人と、しない人。

する人については特に書く必要はないと思うんですが、しない人は本当しない!

その時に自分が持っているものだけで、日本語教育を行おうっていう発想ですね。

でも、自分が学習者側だったら、そういう先生から教えて欲しいと思うんでしょうかね?

私はイヤだな〜って思います。


自己投資っていうのは、例えば日本語教育関連の論文を読むとか、日本語以外でも気になる書籍を読んでみるとか。

あるいは、何か始めてみるっていうのもいいかも。

今までなら全然足を踏み込まなかった分野の教室に通ってみるとか、教室に通わないまでも独学で何かを始めてみるとか。


とにかく何でもいいから、今までやったことがなかったことを始めてみるのがいいと思います。


そしてそれは、自己投資のためっていう発想ではなく、好きなこととか続けられそうなことを始めてみればいいんじゃないかと思います。


3 発信する

これは、私所属している学校の日本語教師がほとんど行なっていない行為です。

そういう教師との差別化を図る意味でも、「発信する」ってことは価値の創造に繋がります。

それに、最初は誰にも注目されなくても、発信し続けていれば間接的に誰かの役に立ったり、知らないところで何かに影響を与えたりすることもあります。

つまり、その影響が顕在化してなくても、どこかで何かが変化しているって可能性も大いにあるんです。


また、自分の発信に共感してくれる人も現れるかもしれないし、それがきっかけになって新しい出会いもあるかもしれません。


最近私の学校の学生の質についてとても良く感じるのは、「年々モチベーションが高い学生が増えている」ってことです。

で、私にはその理由は以下だと思っています。


1年目のモチベーションが高い学生が発信してくれたおかげで、2年目もそういう学生が増え、さらにその2年目の学生が発信してくれたから。


ではないかと。

留学生って、口コミの影響力がハンパないです。

そして、情報を受け取る側は、情報発信者への信頼度で自分の行動を決定することが多いです。


マジでどんどん学生の意欲が下位ののクラスで向上していて、そのクラスを担当している先生全員が「良いクラスである!」という評価をしてくださってます。


つまり、「発信」にはこれくらいのインパクトがあるってことでもあるんですよね〜


そして、発信すれば自ずとフォロワーが増えていくので、そういう評価経済社会に身を置けばそっち方面で付加価値を上げることもできます。


私の個人的な肌感覚では、発信を行わない日本語教師っていうのは、未来永劫その学校で働けるって根拠もなく思っている人に多い印象です。

昨日と同じ今日、今日と同じ明日がずっと続いていくと考えてる人。


☆☆☆☆☆☆☆


日本語教師である自分の価値、そして日本語教師の自分が学習者に提供できる価値、っていうのをこれからも日本語教育に携わっていきたい日本語教師は考えたほうがいい!

そして、その価値をどうやったら高められるか?っていうことに、意識的になったほうがいいんじゃない?っていうご提案でした。


ほな、さいなら!


日本語ランキング / 

このエントリーをはてなブックマークに追加
akky_san at 22:17|PermalinkComments(0)

2017年10月09日

日本語教師の待遇が改善しない理由と、その打開策としてのakkyのアイデア

日本語教師の待遇が良くない状態のままで、なかなか給料アップなどの待遇改善が進んでいない背景には、様々な複合的な理由があると思われます。

ただ、こないだ akky が考えた「これが大きな理由なのかもしれない!」ってことをここで説明します。


☆☆☆☆☆☆☆


先日Twitterでこんなことを呟きました。


59


これ、私の中ではごくフツーのことだったんですが、そうでもなかったようで色々な反応が返って来ました。

それによると、「学校によっては、日本語の非常勤講師の時給が定期的に上がっていかないところもある」ということです。


私が以前いた学校では(今はどうだか分かりませんが)、私たちが採用された時は経験が無い非常勤講師でも今思えばかなり高い時給でスタートし(その何年後かには下がったらしいですが)、確か年度ごとに時給が上がっていってました。

その上がり幅は十円単位の時もあったし、百円単位の時もありました。

さらに、専任になったら年度ごとに月給が千円単位や万単位で上がったりしてました。

今私がいる学校でも、そんな感じで昇給があります。


私はそういう学校でしか働いたことがなかったため、昇給が無い日本語学校があるっていう発想が無かったんですよね・・・


で、そういう学校があるとするならば、まさにそれが「日本語教師の待遇が改善しない」理由に直結するのでは無いか、と。

どういうことか説明する前に、この本知ってますか?



私、この本を今読んでいるんですけど、時給が上がらない業界の状況と日本語学校の経営の状況がドンピシャでした。

この中で、"人間は過去に支払われた水準より賃金が下がることをとても嫌がることが指摘されてきた”という記述があります。

当たり前じゃん!って思いますか?

確かに当たり前なんですけど、これは人間が


賃金が下がる < 賃金がそのままである


という評価をしてるってこと。

逆に書くと、私たちは賃金が下がりさえしなければ良くて、賃金が上がることにはそれほど頓着してないっていうことでもあります。

そして、一旦経営者が人手不足解消のために賃金を上げてしまうと、見込んでいた利益が得られなくなった時に賃金を下げられないというジレンマに陥ってしまいます。

これを嫌って、経営者が賃金の額をそのまま据え置くことにインセンティブが働いてしまう、というわけ。

つまり、現在の多くの日本語学校の経営状況というのは、「賃金が下げられない硬直性がある状態」ということになります。

実際に、過去に月給の賃下げを行わなかった企業ほど賃上げも行わない傾向がある、とのこと。


日本語学校は、色々な外的要因で集められる学生数が如実に左右されてしまうため、いつ経営状況が悪化しなくなるとも限りません。

それに加えて、短期的な利益しか見ていない経営者ほど、利益に相当する額を投資するという発想が無いため資産運用が下手で、それを殖やすということは皆無。

その結果、学生からの学費が資金の全てになってしまい、自転車操業になりがち。

このような事情があるため、おいそれとは講師の時給を上げることができない、という事情になります。


☆☆☆☆☆☆☆


この辺り、どうにかできないもんですかね?

私は、その気がある先生は、契約更新の際に時給アップを要求してもいいんじゃ無いか?と考えています。

ただ、そこは十分用心しないと「そんな要求をする教師は、うちの学校には要らない!」って判断されれば解雇されることにもなりかねません。

だから私のアイデアとしては、例えば掛け持ちをしている先生で、待遇が主要な理由でこっちはもう無いかな・・・って思ってる学校で要求してみる、ってこと。

OKしてくれればいいし、そうならなくてリストラされても別の学校行くから大丈夫、といった流れになりそう。


私が思うに、今まであまりにも日本語教師が時給アップの交渉をしなさすぎたんじゃ無いのかな?


人手不足だから、それが可能そうな学校であればとりあえず言ってみちゃうっていうのも、1つの方法じゃない?っていうのがこのエントリでのご提案。


あ、でもあくまで自己責任でお願いします。


私も、今書いてるエントリの意図とは違うんですが、次は時給アップを要求する予定です。

でも同時に、それがこのエントリの意図に貢献できればいいな、とも考えてます。


ほな、さいなら!


生き方ランキング 

このエントリーをはてなブックマークに追加
akky_san at 21:17|PermalinkComments(0)

2017年10月08日

Akky が考える将来日本語教師に必要なスキルの1つはこれ!

私が以前いた学校や今現在私がおかれている状況で、最もラッキーだと思うのが「教材を選べる立場」だったこと。


そして、日本語教師に将来的に必要になってくるスキルの1つとして、この「教材が選べる」ということが重要になってくるのでは?と考えています。


もっと厳密に書けば、「学習者に合わせて、最も適切な教材が選べるスキル」ということになります。


昨日のエントリ(→)でも書いたように、今回私は非漢字圏の学生が100%というクラスで、今まで使用されてきた教材を根本的に見直して、それに合わせてカリキュラムも大幅に変更しました。


特に大きく変えたのは、



・漢字


・語彙


・音読&スピーチ


・聴解


・読解


・作文



です。


こう書いてみると、ほぼ全ての科目で大きく変更してますね・・・


この中でも、漢字は「漢字ビギナーズ」というほとんど初級者向けの教材を採用。


最初は担当の先生方に、「ここまで(レベルを)落とすの?」と言われてましたが、これは確実に効果が現れてます。


語彙に関しても、「日本語能力試験対策」じゃない教材で、主に大学や専門学校への進学を希望している学生にとって、必要になるであろう分野の語彙が載っている教材を選定。


また、聴解や読解も漢字圏学生がメインだった頃に使っていた教材を、同じシリーズのもので1つランクを落としたものに変えました。


そして、語彙と作文とスピーチをリンクさせたカリキュラムを作ることに成功。


これには、同じクラスをご担当の他の先生からの提案もあって、実現したわけです。



あと、以前いた学校でも、その時期はその学校的に過渡期で、色々と大きな変化があった時期でもあり、その学校も進学目的の学生がほとんどであったためそういう学生のニーズとその時の学生に不足していた部分を考え併せて教材を選びました。


結果、その学校では学期が終わった段階で意見交換会があり、それまでの上級(その時に私が担当していたレベル)の意見交換会では会が紛糾し殺伐とした雰囲気だったのですが、その時以降は極めて和気藹々になり、教材に対する不満はほぼ出てませんでした。


それ以前にカリキュラムが進んでいく中で、私がご担当の先生に授業やクラスの様子を聞いて、教材の使用方法やカリキュラムの進度を調整していってたから、かもしれません。



☆☆☆☆☆☆☆



私は、もう箱モノとしての日本語学校は将来的にはオワコンになると感じていて、究極の語学教育はマンツーマンのオーダーメイド授業になるのではないか、と考えています。


もしそうなってくると、学習者が何を求めていてその段階で何ができるのか?、また学習者はどういう勉強方法をするとどの程度の生産性があるのか?といった要素が、日本語教育を行う上で重要になってくるため、それら全てを考慮に入れた上で教材選びをする必要があると考えています。


したがって、「学習者に合わせて、教材が選べる」スキルを持ってるか持ってないかで、日本語教師は色々と変わってくるのかな?などと考えてます。


教案づくりで時間に追われている先生は、与えられた教材しか知らないっていうのはリスクが高いことである、ってことを是非意識してほしいなって思います。


ほな、さいなら!


日本語ランキング 



このエントリーをはてなブックマークに追加
akky_san at 21:21|PermalinkComments(0)