待遇

2021年07月27日

日本語教師の生産性が低くなる構造的な理由

日本語教師の生産性ってなかなか上がりませんよね。

そして私は、そのことがなかなか待遇改善につながらないのでは、とも考えています。

で、その生産性が上がらない理由を端的に書くと、

日本語教師がなんでもやっちゃうから

です。
 
特に専任講師。まあ非常勤でも担任をすると、この傾向が強くなります。

学生の生活指導や進学指導。

この2つは本来、学生自身の問題ですよね?




生活に関しては、バイト時間なども含めて日本語学習に支障をきたさないように自分で自律的に考えて行うべきだし、進学については学生本人の学びたいことがまずありきで、情報収集を行い受験校を決定し志望理由書なども書いて受験すべき。

でも実際のところどうでしょう?

バイトやゲームに明け暮れ生活のリズムがぐちゃぐちゃで生活が全くコントロールできていない学生がいたり、進学が自己目的化していて何が学びたいのか分からず0から教師に丸投げする学生がいたりしませんか?

出席率なんて、教師がわざわざ上げようとする対象ではないはず。

しかも、どちらのケースも指導しても指導しても改善されず、時間だけかかってしまい成果が期待できないことが多いです。

まさに低生産的。


☆☆☆☆☆☆☆


それと、事務作業も多すぎ。

私が過去にいた学校では、教師が手作業で出席率を計算してました。

これって事務方の作業ですよね?

今はエクセルなどの表計算ソフトに入力するだけかもしれませんが、教師の仕事でないことに変わりはありません。

また、何かの翻訳も教師が行うことがあります。


でもこれって、日本語学校だけでなく日本全体の教育現場で見られることなんですよね。

保育園の先生はお誕生日会の飾り付けを手作業で自分たちで行うし、高校の先生は生徒の部活動まで指導し遠征や合宿まで同行したりします。

誕生日会で飾り付けが必要なのであれば外注すればいいし、生徒にフィジカルなトレーニングが必要なのなら地元のスポーツクラブやスクールに通えばいい。

また、悩み相談などメンタルなサポートが必要なのであれば、カウンセラーに相談すればいい。

私は、教師がそれらの役割まで担う必要はないと考えます。

もうね、教師には授業だけさせてほしい!


逆に考えると、本来日本語教師が行うべきこと以上の業務が多すぎるから、

可処分時間がなくなる → 教材研究も含めた自己研鑽ができない → 教師の授業のクオリティが上がらない → 提供できる付加価値はそのまんま = 日本語教師の生産性が低い

ってことになるのでは?

私は個人的に、教師がすべきことだけができる現場で働きたいです。

でも実際は、日本語教師が事務作業も担う学校は無くならないのかな、とも思います。

なぜなら、事務処理能力の高さは教授力が低い教師が存在する免罪符になるから。

本来教授力のみで評価されるべき教師にとって、そのスキルの低さは致命的であり、その存在理由として事務処理能力が利用されるんです。


私はこのコロナ禍は日本語教育においても絶好のパラダイムシフトのタイミングだと感じていて、こういう歪んだ構造も無くなったらいいなと思ってます。


ほな、さいなら!


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akky_san at 20:16|PermalinkComments(0)

2018年11月12日

日本語教師の給料がなかなか上がらないたった1つの理由

私、ここ最近ずーっと「日本語教師と学校との関係で、需給バランスが崩れ人手不足なのに、なぜ日本語教師の給料が上がらないのか?」について考えてました。

あ、ここで述べてる給料っていうのは個人規模ではなく、日本語教師全体の平均的な相場のことです。


で、色々経済学の本などを読んでみても、どーもよく分からない。

なので、一旦リセットしてもっとシンプルに考えてみることにしました。

ちょっと難しく考えすぎたのかな〜と思ったもので。


すると、分かりました。

日本語教師の給料がなかなか上がっていかない理由。

それは、

その給料で日本語学校からの仕事のオファーを受ける日本語教師がいるから


です。

これに尽きるんじゃないかと。

私にはこれ以外考えられないんですよね。


まああるとするなら、日本語教育氷河期を経験しトラウマを持っている人たちが人事権などの決定権を持っているから、という遠因もありそう。


これ読んでる先生で、賃上げ交渉をしたことある人いるんですかね?


私は、前にもこのエントリ(→「時給 × コマ数 = 給料」というシステムの限界)でサラッと書きましたが、 この時に賃上げ交渉したんですよね。


私も全ての日本語教師に賃上げ交渉しろなどと言うつもりは全くありませんが、提示された時給で働くってことはその時給を受け入れたということは認識しておいたほうがいいのかな、と。

まあ学校の教師に対する評価の基準もよく分からない場合は、交渉しようもないですしね。

それと、この状況がずーっと続いていることに関しては、ゲーム理論で説明できそうかなと直感的に思っています。

それに関しては、また考えがまとまってきたら書こうと思っています。

 
☆☆☆☆☆☆☆


それと、私は最近よく話しているのは、「学習者も教師も今後は学校などの『マス』ではなく、個人単位になっていくと思うので、日本語教師も個人としてマーケットから直接評価されるようになった時に勝負できる教師になる必要がある」ってことで、このブログを読んでる読者さんや日本語教師勉強会に参加されてる先生方にも、それを伝えていってます。

特に、日本語教師勉強会には、また来年もそういう新しい方向性も取り入れていこうと思ってます。

その第1弾としてGoogleクラスルームに新しい試みを入れたので、メンバーの人は見てみてください。


今回、昨日の読売新聞で日本語教師がデカデカと記事になっていて、Twitterでも待遇にも影響あるんじゃって声がいくつか上がっていたので、待遇とか給料について書いてみました。

そっちの件については、わかば先生のブログエントリ(→読売朝刊に「日本語教師資格を創設」との一面記事が出た件)が分かりやすいと思います。 

私がこのエントリを書いた理由は、賃上げ要求をしない日本語教師を非難するためではなく、このエントリが存在することによって、ちょっとでも日本語教師の待遇が改善すればいいなって思ったからです。


ほな、さいなら!


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akky_san at 19:30|PermalinkComments(0)