キャリアパス
2021年03月19日
チームとグループ
日本語学校では複数の日本語教師が1つのクラスの授業を(学校によって違いはあるかもしれませんが)曜日ごとに担当し、このことはチームティーチングと呼ばれます。
私は自分のキャリア全体を振り返って、このスタイルをティームティーチングと称することに違和感を覚えたことはありません。
私のごく初期のキャリアで私がチームの足を引っ張っていたことを除けば、ですが。
言い換えると、私は自分と同じクラスを担当してる先生方をチームのメンバーとして考えてたってことなんです。
で、私が数々のビジネス書を読んできた結果到達した「チーム」の定義は、
1 目標設定をする
2 設定した目標をメンバーで共有する
3 メンバーが自分の役割を明確に把握する
4 協働する
です。
幸いなことに私がずっとチームに所属できてきたのは、学生の目標がほぼ大学(院)進学ってクラスを担当することが多かったのと、特にキャリアの初期にベテラン教師との協働が多く、自分の役割が言わずもがな的な暗黙の了解として共有できてたから。
逆に私が専任の時は、非常勤の先生方にご自分をチームの一員であると認識してもらうために、明確に目標を提示してそこからの逆算でカリキュラムや教科書選定についても理解してもらうように働きかけてました。
☆☆☆☆☆☆☆
一方で、グループという言葉もあります。
チームとは何が違うのでしょう?
私の中では、
そのメンバーである必然性が特にないただの人の集まり
です。
正直に書くと、私がいた学校全てのクラスの先生方の集団がチームだったわけではなく、中にはいわゆる仲良しグループもあったのかなと。
チームとは異なる仲良しグループの特徴は、メンバーが
・自分が担当する部分のことしか考えず(これは経験が浅い先生は仕方ないと思います)
・「成長したい」と口では言いながらも具体的な行動はしないため、本音の部分で教師としての自己評価が低く
・そのため日本語に対する建設的な議論などは全く行わず、当たり障りのないコミュニケーションだけ行い
・教育効果の最大化などという発想はなく、ひたすら他のメンバーと馴れ合って心の安寧を得る
ってところでしょうか。
また、クラス担当のメンバーだけでなく、小規模の学校だと所属する教師全員が仲良しグループになりえます。
こういう状態が危険なのは、一見メンバーたちには「協調性がある」って思ってしまいがちなところ。
因みに、日本語教師の協調性については、以前エントリに書きました。
それに、仲良しグループだと似たような意見を持ってる人しか集まらないので、多様性が確保できないってデメリットもあったりします。
こう書いてくると、チームとグループの違いは一目瞭然。
ところで、Googleが「生産性の高いチーム」の共通点を探すプロジェクト・アリストテレスという調査の結果によると、その重要な要素が「心理的安全性」であり、
安心して何でもチーム内で言い合える
効果が働き、結果的に生産性が上がっているとのことです。
何でも言い合えるっていうのは、忌憚なく意見交換できるってことで、これは遠慮や忖度なく意見を言い合えることだと私は解釈しています。
そしてそうであるとするならば、チーム内のコミュニケーションというのは摩擦回避より生産性が重視されるはず。
そうなると、かたや生産性重視つまり教育効果の最大化のために摩擦を厭わず協働するチームと、かたや自己評価が下がることを嫌がり表面的なコミュニケーションを優先するグループは、完全にトレードオフの関係ってことに。
なので、チームを作りたいのかグループを作りたいのかっていうのは、学校あるいは日本語教師個人の選択の問題。
あなたはどちらのメンバーになることを選びますか?
ほな、さいなら!
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私は自分のキャリア全体を振り返って、このスタイルをティームティーチングと称することに違和感を覚えたことはありません。
私のごく初期のキャリアで私がチームの足を引っ張っていたことを除けば、ですが。
言い換えると、私は自分と同じクラスを担当してる先生方をチームのメンバーとして考えてたってことなんです。
で、私が数々のビジネス書を読んできた結果到達した「チーム」の定義は、
1 目標設定をする
2 設定した目標をメンバーで共有する
3 メンバーが自分の役割を明確に把握する
4 協働する
です。
幸いなことに私がずっとチームに所属できてきたのは、学生の目標がほぼ大学(院)進学ってクラスを担当することが多かったのと、特にキャリアの初期にベテラン教師との協働が多く、自分の役割が言わずもがな的な暗黙の了解として共有できてたから。
逆に私が専任の時は、非常勤の先生方にご自分をチームの一員であると認識してもらうために、明確に目標を提示してそこからの逆算でカリキュラムや教科書選定についても理解してもらうように働きかけてました。
☆☆☆☆☆☆☆
一方で、グループという言葉もあります。
チームとは何が違うのでしょう?
私の中では、
そのメンバーである必然性が特にないただの人の集まり
です。
正直に書くと、私がいた学校全てのクラスの先生方の集団がチームだったわけではなく、中にはいわゆる仲良しグループもあったのかなと。
チームとは異なる仲良しグループの特徴は、メンバーが
・自分が担当する部分のことしか考えず(これは経験が浅い先生は仕方ないと思います)
・「成長したい」と口では言いながらも具体的な行動はしないため、本音の部分で教師としての自己評価が低く
・そのため日本語に対する建設的な議論などは全く行わず、当たり障りのないコミュニケーションだけ行い
・教育効果の最大化などという発想はなく、ひたすら他のメンバーと馴れ合って心の安寧を得る
ってところでしょうか。
また、クラス担当のメンバーだけでなく、小規模の学校だと所属する教師全員が仲良しグループになりえます。
こういう状態が危険なのは、一見メンバーたちには「協調性がある」って思ってしまいがちなところ。
因みに、日本語教師の協調性については、以前エントリに書きました。
それに、仲良しグループだと似たような意見を持ってる人しか集まらないので、多様性が確保できないってデメリットもあったりします。
こう書いてくると、チームとグループの違いは一目瞭然。
ところで、Googleが「生産性の高いチーム」の共通点を探すプロジェクト・アリストテレスという調査の結果によると、その重要な要素が「心理的安全性」であり、
安心して何でもチーム内で言い合える
効果が働き、結果的に生産性が上がっているとのことです。
何でも言い合えるっていうのは、忌憚なく意見交換できるってことで、これは遠慮や忖度なく意見を言い合えることだと私は解釈しています。
そしてそうであるとするならば、チーム内のコミュニケーションというのは摩擦回避より生産性が重視されるはず。
そうなると、かたや生産性重視つまり教育効果の最大化のために摩擦を厭わず協働するチームと、かたや自己評価が下がることを嫌がり表面的なコミュニケーションを優先するグループは、完全にトレードオフの関係ってことに。
なので、チームを作りたいのかグループを作りたいのかっていうのは、学校あるいは日本語教師個人の選択の問題。
あなたはどちらのメンバーになることを選びますか?
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akky_san at 19:35|Permalink│Comments(0)
2021年03月14日
今回日本語学校をお辞めになる先生へ
少なくとも私のリアルつながりの先生がお勤めの日本語教育機関には、留学生の日本への入国がストップしてる状態って所が多いです。
そのため、この3月に日本語学校をお辞めになる先生も多いんじゃないかと。
キャリアをスタートした時から教えていた学校をお辞めになったベテランの先生、非常勤として掛け持ちしていた一方の学校を辞められた先生、ご自分からお辞めになった先生、雇い止めになってしまった先生、ご事情は様々あると思います。
なので、私は今回お辞めになる先生には、とにかく「本当にお疲れ様でした。」と申し上げたい。
良い思い出も、あまり思い出したくないことも色々あることでしょう。まあ私の場合は、嫌なことはよっぽどショックだったこと以外は「そんなことあったっけ?」って感じで忘れちゃうことが多いんですけど。
それから、今後の身の振り方も人それぞれでしょう。
ひとまず他の仕事をするけれども日本語教師として復帰できるようになったらそうしようと思ってる人、全く別の道に進んで日本語教師は引退する人。
やめる理由も今後の見通しも、本当に先生によって千差万別だと思われます。
ではあるんですけど、今回辞められる全ての日本語教師の方にご提案。
それは、
あまりネガティブに捉えずに良い機会が得られたと考える
ってこと。
もちろんそう簡単に気持ちを切り替えられないかもしれませんが、ここは敢えてポジティブ思考。
災い転じて福となす的な。
具体的に書いていきます。
まずは、今まで足を踏み入れたことがない世界に飛び込んでみる。
分かりやすいところで言えば、仕事。
前にいた学校に多かったのが、日本語教師としてしか働いたことがない先生。
学生時代もバイトやってなかった人も多かった。
なので、教師とは全く異なる業種で働いてみるのもいいかも。
私の経験から書くと、学生の時に色んなバイトをしていて、異なる業界の仕事をするたんびに「前にいた業界では超重要だったことが、ジャンルが違う業界だと本当にどうでもいい瑣末なこと」ってことを理解しました。そして、自分がいた世界がいかに狭いものだったかってことも。
なので、新しい世界に飛び込んでみることによって、日本語教師としての自分や日本語教育業界を客観的にメタ認知することができます。
もうね、て形の練習を歌で行うかどうか、絵カードかパワポか、ない形の導入はます形から行うか辞書形から行うか、みんなの日本語かまるごとか、とか大半の日本人にとってどうでもいいことです。
今書きながら、私が手法に拘りを持たなくて済んでるのは、たくさんの仕事をしてきたおかげかもって思いました。
それから、趣味とか新しく始めるのもいいかも。
カラダ動かす系でもいいし、知的活動系でもいいし、なんでもいいと思います。
さらにジャンルも、水泳でも料理でも投資なんかでもいいかも。
プライベートな時間の中に、自分が今までやったことなかったことをやる時間を確保するイメージ。
新しい分野に飛び込むと何が良いのかというと、
今まで会ったことがなかったような人と触れ合える可能性が高まる
ってこと。
まあプライベートは別としても、日本語学校でしか働いてないと勤務時間中は留学生、日本語教師、事務員以外の人とコミュニケーションする機会が極めて少なくなります。
でも、新しいエリアに飛び込むと、様々な年代の人、職種の人、(LGBT含め)セクシャリティの人、出身地の人などなどと知り合う可能性が高まります。
おそらく色んなバックグラウンドの人との交流が普通になると、「日本人は普通こういう言い方をします/しません」などと簡単には言えなくなりそう。
それから趣味に関しては、今までやりたかったけど色んな理由でできなかったけど今回それを始める良いチャンスだ、と捉えることも可能ですよね。
6年前のエントリですが、この中の第Ⅱ領域みたいなこと。
重要性は高いけど緊急性は低いこと。
今まで「やんなきゃいけないとは分かっているけど、なかなか時間がなくて・・・」とか言ってたことを実行する好機です。
因みに私ごとで恐縮ですが、去年の年末におそらく肩こりからきてるんだと思いますが、右側の首あたりりから肩甲骨にかけて激痛が走りのたうちまわりました。
そこでその日以来、
・ストレッチ(毎日)
・プール通い(週1程度)
・銭湯通い(週1程度。主にジェットバスの水流を患部に当てて入浴)
・プランク(毎日。うつ伏せになり肘を90度くらいに固定して体をまっすぐにして持ち上げ、プルプルさせながらじっと我慢する運動)
を行なっています。
おかげで肩こりはかなり改善され、プランクをやっているためか体つきも若干シュッとしてきました。
ストレッチとプランクは自宅でできますし、時間もそんなにかからないのでお手軽にできます。
最初は整体などに通おうかとも思ったのですが、それってあくまで対症療法で根本的解決にならないため、こういうことを始めたわけです。
☆☆☆☆☆☆☆
雇い止めや解雇をされた先生はなかなかネガティブな感情が払拭できないかもしれませんが、少しでも現状の解釈をポジティブにするための提案をしてみました。
現状は変えられませんが、どう捉えるかによって色々変わってくるのでは?
ほな、さいなら!
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そのため、この3月に日本語学校をお辞めになる先生も多いんじゃないかと。
キャリアをスタートした時から教えていた学校をお辞めになったベテランの先生、非常勤として掛け持ちしていた一方の学校を辞められた先生、ご自分からお辞めになった先生、雇い止めになってしまった先生、ご事情は様々あると思います。
なので、私は今回お辞めになる先生には、とにかく「本当にお疲れ様でした。」と申し上げたい。
良い思い出も、あまり思い出したくないことも色々あることでしょう。まあ私の場合は、嫌なことはよっぽどショックだったこと以外は「そんなことあったっけ?」って感じで忘れちゃうことが多いんですけど。
それから、今後の身の振り方も人それぞれでしょう。
ひとまず他の仕事をするけれども日本語教師として復帰できるようになったらそうしようと思ってる人、全く別の道に進んで日本語教師は引退する人。
やめる理由も今後の見通しも、本当に先生によって千差万別だと思われます。
ではあるんですけど、今回辞められる全ての日本語教師の方にご提案。
それは、
あまりネガティブに捉えずに良い機会が得られたと考える
ってこと。
もちろんそう簡単に気持ちを切り替えられないかもしれませんが、ここは敢えてポジティブ思考。
災い転じて福となす的な。
具体的に書いていきます。
まずは、今まで足を踏み入れたことがない世界に飛び込んでみる。
分かりやすいところで言えば、仕事。
前にいた学校に多かったのが、日本語教師としてしか働いたことがない先生。
学生時代もバイトやってなかった人も多かった。
なので、教師とは全く異なる業種で働いてみるのもいいかも。
私の経験から書くと、学生の時に色んなバイトをしていて、異なる業界の仕事をするたんびに「前にいた業界では超重要だったことが、ジャンルが違う業界だと本当にどうでもいい瑣末なこと」ってことを理解しました。そして、自分がいた世界がいかに狭いものだったかってことも。
なので、新しい世界に飛び込んでみることによって、日本語教師としての自分や日本語教育業界を客観的にメタ認知することができます。
もうね、て形の練習を歌で行うかどうか、絵カードかパワポか、ない形の導入はます形から行うか辞書形から行うか、みんなの日本語かまるごとか、とか大半の日本人にとってどうでもいいことです。
今書きながら、私が手法に拘りを持たなくて済んでるのは、たくさんの仕事をしてきたおかげかもって思いました。
それから、趣味とか新しく始めるのもいいかも。
カラダ動かす系でもいいし、知的活動系でもいいし、なんでもいいと思います。
さらにジャンルも、水泳でも料理でも投資なんかでもいいかも。
プライベートな時間の中に、自分が今までやったことなかったことをやる時間を確保するイメージ。
新しい分野に飛び込むと何が良いのかというと、
今まで会ったことがなかったような人と触れ合える可能性が高まる
ってこと。
まあプライベートは別としても、日本語学校でしか働いてないと勤務時間中は留学生、日本語教師、事務員以外の人とコミュニケーションする機会が極めて少なくなります。
でも、新しいエリアに飛び込むと、様々な年代の人、職種の人、(LGBT含め)セクシャリティの人、出身地の人などなどと知り合う可能性が高まります。
おそらく色んなバックグラウンドの人との交流が普通になると、「日本人は普通こういう言い方をします/しません」などと簡単には言えなくなりそう。
それから趣味に関しては、今までやりたかったけど色んな理由でできなかったけど今回それを始める良いチャンスだ、と捉えることも可能ですよね。
6年前のエントリですが、この中の第Ⅱ領域みたいなこと。
重要性は高いけど緊急性は低いこと。
今まで「やんなきゃいけないとは分かっているけど、なかなか時間がなくて・・・」とか言ってたことを実行する好機です。
因みに私ごとで恐縮ですが、去年の年末におそらく肩こりからきてるんだと思いますが、右側の首あたりりから肩甲骨にかけて激痛が走りのたうちまわりました。
そこでその日以来、
・ストレッチ(毎日)
・プール通い(週1程度)
・銭湯通い(週1程度。主にジェットバスの水流を患部に当てて入浴)
・プランク(毎日。うつ伏せになり肘を90度くらいに固定して体をまっすぐにして持ち上げ、プルプルさせながらじっと我慢する運動)
を行なっています。
おかげで肩こりはかなり改善され、プランクをやっているためか体つきも若干シュッとしてきました。
ストレッチとプランクは自宅でできますし、時間もそんなにかからないのでお手軽にできます。
最初は整体などに通おうかとも思ったのですが、それってあくまで対症療法で根本的解決にならないため、こういうことを始めたわけです。
☆☆☆☆☆☆☆
雇い止めや解雇をされた先生はなかなかネガティブな感情が払拭できないかもしれませんが、少しでも現状の解釈をポジティブにするための提案をしてみました。
現状は変えられませんが、どう捉えるかによって色々変わってくるのでは?
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akky_san at 20:21|Permalink│Comments(0)
2020年05月25日
今までakkyが日本語教師を続けてくることができた2つの理由
関西でも非常事態宣言が解除されましたが、まだまだ海外からの渡航は制限されており、今年度入学予定者が入国できておらず授業をスタートできていない日本語学校もあったりするんじゃないでしょうか?
そうなると、そこで働く日本語教師の方も収入がストップしたり減ったりすることが考えられるため、日本語教師をやめようかと悩んだり他の職業に転職しようかと考えている方も多そう。
というわけで、今回はそういう人をメインに、でも同時に
・これから日本語教師をしようと考えている人
・現在日本語教師として働いている人
・今は他の仕事をしているがゆくゆくは日本語教師として復帰したいと考えている人
も含めて、このエントリがなにがしかの行動の判断材料になればと思って書きます。
☆☆☆☆☆☆☆
まず、私は2000年代に日本語教師を始めて20年近く続けてきたのですが、最も大きいのは
入った学校が良い学校だったこと
です。
今思えば学生のレベルも相当高かったし、 1年にわたって超ベテラン教師の方が研修を行ってくだ猿など学校サイドのサポートも充実していたし、先輩教師や同僚にも恵まれましたし。
ただ、このことはこれを読んでくださっている読者の方にとっては再現性が無い外的要因なので、私個人の内的要因について書いていきます。
1 考えるのが好きだったから
新人時代は無我夢中だったし、ストックもないので次の回の授業で提示する例文などは切羽詰まって考えていたため、考えるのは苦痛でした。
ところが、余裕が出てくると同じ文法でも「もっとバシッとくる 例文はないだろうか?」とか、「なんでこの母語を話す人は同じような間違いをするんだろうか?」などと考えられるようになってきたんですよね。
それと、AとBの違い(例えば「気分」と「気持ち」の違いなど)を考えるのも最初はどこから思考をスタートさせていいのかもわからない状態でしたが、徐々に「違いの種類」みたいなものが分かってきてその種類の蓄積が増えれば増えるほど考えるのが楽しくなってきたり。
因みに、「気分」と「気持ち」の違いについては2年以上考えました。
また授業でいうと、考えるのが好きなことは「総合」や「小論文」の授業を行う上でも幸いしました。
ある程度の裁量権が与えられて、その枠組みの中でどうやって授業を展開させていくか考えるのは、私にとって超楽しいことです。
それから、進学指導を行うのも思考好きでよかったなと。
その学生のやりたいこととその学生が志望している大学(学部)の強みをどう組み合わせ、それをどのように志望理由書で文章として構成していくかなんてことを考えるのも、難しいことではありましたが同時に楽しいことでもあったんです。
さらに専任講師としても、そのレベルのクラスの目標設定をした上で決して長くはない期限内に全ての教科の教科書を選定し、その教科書をどんなペースで使い、担当の先生方には学生にどんなことを身につけどの程度のレベルに到達させて欲しいか伝えるにはどうしたらいいか、などといったことを考えるのも楽しかった。
1週間単位のカリキュラムを考えるのも、パズルを組み立てるみたいで楽しかったですしね。
私は今まで色んな日本語の先生とお話をしてきたり、採用に関わらせてもらったりしてきて、本当に自分のアタマで考えている人は限られていると感じることが多いです。
まあこれは私のリアル対面でコミュニケーションしてきた範囲なので、非常に狭いんですけど。
印象としては、考えるのがあまり好きじゃないって人と、自分では自分のアタマで考えていると思い込んでいるけど誰かの意見の受け売りをしてるだけなど思考停止している人が一定数いるというもの。
私の周りだけでいうと、逆に自分のアタマで考えているのは私からすると年配の60代以上のベテラン教師、特に女性が多い気がします。
もちろん若い方や男性の中にもしっかり考えている人はいますけど。
一方で、TwitterなどのSNSでもその人なりに自分でアタマで考えたオリジナル意見を発している日本語教師も少ないと思っていて、ご本人は「発信」していると思っていても他者の意見に反応しているだけっていうケースも多いですね。
まあSNSという場であればどういう使い方をしてもいいんですが。
教師って極端に自分が間違えることを嫌う人達で、例えば文法分析の際など「自分のアタマで考える」より「調べる」ほうが効率的だし間違えるリスクも低くなるから考えずに調べるようになり、その結果自分で考えなくなるといったメカニズムが働いているように、私には思えます。
私が主催していた日本語教師勉強会で模擬授業をしてくださった先生で、何も調べずに自分のアタマだけで考えて授業を考えてくれた人っているのかな?
何がしか調べた上で授業してくださってるような気がします。
でも本当は私は密かに「自分のアタマだけで考えて組み立てました!」って気概で望んで欲しいな、とも思ってました。
もし今後私が勉強会で先生方に模擬授業をしてもらうとしたら、私がその場で初めて模擬授業で扱う文法なり文型なりを発表し、3人1グループくらいのグループワークで授業を構築して模擬授業まで持っていってもらう、ってことをやってみたいかも。これ、オンラインでは難しいのかな?どうなんだろ?
2 努力をそれほど必要としない仕事だから
こういうことを書くと、反発を感じる人もいるでしょうね。
1の考えるのが好きとも深く関係するのですが、私にとっては日本語教師の仕事ってさほど努力を必要としない仕事なんですよね。
先ほども書きましたが、新人時代は授業準備も大変でしたが、それもぶっちゃけ1年半くらい。
それ以降は考えるのが好きだっため、苦痛ではなくなりやがて楽しい行為に。
学生指導や進学指導についても、腹が立ったり落ち込んだりすることもありますし、そういうのは絶対しないって日本語教師の方もいますが、人と接するのが好きな私にはそこまで気合い入れてやらないといけないほど努力が必要ではない業務です。
逆に、それを行わないと手に入らない新しい情報が手に入ったりなど、私自身の勉強になることも多いのでリターンが良いとも言えます。
あまり努力を必要とせずにリターンがゲットできるので、私にとってはかなりコストパフォーマンスが良い業務なんです。
私の中の「努力する」って言葉の定義は、「より高いパフォーマンスをするために、普段よりも投入するエネルギーを増やす」ってことなので、疲れちゃうし第一続きません。
だから私は、「努力し続ける」って語義矛盾を孕んでいるとさえ考えています。
このブログに関しても、もし私が努力してブログを書くってことをやっていたら、ここまで続いてないでしょうね。
日本語教師の仕事もブログも、努力せずにゆるゆるできるから続いてるわけです。
なので、日本語教師として働き始めて5年以上経っているのに授業準備に4時間も5時間もかかるっていう人は、もしかしたら日本語教師以外の職業のフィールドに移動したほうが仕事の満足度が高まるかもしれません。
ここで間違えてはいけないのが、「努力を必要とする仕事」と「手間がかかる仕事」は同じではないってこと。
例えば、私は作文の添削は努力しなくてもできることですが、手間はめっちゃかかります。
当時は紙に手書きで書いてもらっていたので、なおさら手間がかかりました。
☆☆☆☆☆☆☆
ここまで、私が日本語教師を続けられてきた理由を書いてきました。
これが、日本語教育に関する仕事を始めようとかやめようとか考えている人の何かの参考になればいいな、って思っています。
ほな、さいなら!
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そうなると、そこで働く日本語教師の方も収入がストップしたり減ったりすることが考えられるため、日本語教師をやめようかと悩んだり他の職業に転職しようかと考えている方も多そう。
というわけで、今回はそういう人をメインに、でも同時に
・これから日本語教師をしようと考えている人
・現在日本語教師として働いている人
・今は他の仕事をしているがゆくゆくは日本語教師として復帰したいと考えている人
も含めて、このエントリがなにがしかの行動の判断材料になればと思って書きます。
☆☆☆☆☆☆☆
まず、私は2000年代に日本語教師を始めて20年近く続けてきたのですが、最も大きいのは
入った学校が良い学校だったこと
です。
今思えば学生のレベルも相当高かったし、 1年にわたって超ベテラン教師の方が研修を行ってくだ猿など学校サイドのサポートも充実していたし、先輩教師や同僚にも恵まれましたし。
ただ、このことはこれを読んでくださっている読者の方にとっては再現性が無い外的要因なので、私個人の内的要因について書いていきます。
1 考えるのが好きだったから
新人時代は無我夢中だったし、ストックもないので次の回の授業で提示する例文などは切羽詰まって考えていたため、考えるのは苦痛でした。
ところが、余裕が出てくると同じ文法でも「もっとバシッとくる 例文はないだろうか?」とか、「なんでこの母語を話す人は同じような間違いをするんだろうか?」などと考えられるようになってきたんですよね。
それと、AとBの違い(例えば「気分」と「気持ち」の違いなど)を考えるのも最初はどこから思考をスタートさせていいのかもわからない状態でしたが、徐々に「違いの種類」みたいなものが分かってきてその種類の蓄積が増えれば増えるほど考えるのが楽しくなってきたり。
因みに、「気分」と「気持ち」の違いについては2年以上考えました。
また授業でいうと、考えるのが好きなことは「総合」や「小論文」の授業を行う上でも幸いしました。
ある程度の裁量権が与えられて、その枠組みの中でどうやって授業を展開させていくか考えるのは、私にとって超楽しいことです。
それから、進学指導を行うのも思考好きでよかったなと。
その学生のやりたいこととその学生が志望している大学(学部)の強みをどう組み合わせ、それをどのように志望理由書で文章として構成していくかなんてことを考えるのも、難しいことではありましたが同時に楽しいことでもあったんです。
さらに専任講師としても、そのレベルのクラスの目標設定をした上で決して長くはない期限内に全ての教科の教科書を選定し、その教科書をどんなペースで使い、担当の先生方には学生にどんなことを身につけどの程度のレベルに到達させて欲しいか伝えるにはどうしたらいいか、などといったことを考えるのも楽しかった。
1週間単位のカリキュラムを考えるのも、パズルを組み立てるみたいで楽しかったですしね。
私は今まで色んな日本語の先生とお話をしてきたり、採用に関わらせてもらったりしてきて、本当に自分のアタマで考えている人は限られていると感じることが多いです。
まあこれは私のリアル対面でコミュニケーションしてきた範囲なので、非常に狭いんですけど。
印象としては、考えるのがあまり好きじゃないって人と、自分では自分のアタマで考えていると思い込んでいるけど誰かの意見の受け売りをしてるだけなど思考停止している人が一定数いるというもの。
私の周りだけでいうと、逆に自分のアタマで考えているのは私からすると年配の60代以上のベテラン教師、特に女性が多い気がします。
もちろん若い方や男性の中にもしっかり考えている人はいますけど。
一方で、TwitterなどのSNSでもその人なりに自分でアタマで考えたオリジナル意見を発している日本語教師も少ないと思っていて、ご本人は「発信」していると思っていても他者の意見に反応しているだけっていうケースも多いですね。
まあSNSという場であればどういう使い方をしてもいいんですが。
教師って極端に自分が間違えることを嫌う人達で、例えば文法分析の際など「自分のアタマで考える」より「調べる」ほうが効率的だし間違えるリスクも低くなるから考えずに調べるようになり、その結果自分で考えなくなるといったメカニズムが働いているように、私には思えます。
私が主催していた日本語教師勉強会で模擬授業をしてくださった先生で、何も調べずに自分のアタマだけで考えて授業を考えてくれた人っているのかな?
何がしか調べた上で授業してくださってるような気がします。
でも本当は私は密かに「自分のアタマだけで考えて組み立てました!」って気概で望んで欲しいな、とも思ってました。
もし今後私が勉強会で先生方に模擬授業をしてもらうとしたら、私がその場で初めて模擬授業で扱う文法なり文型なりを発表し、3人1グループくらいのグループワークで授業を構築して模擬授業まで持っていってもらう、ってことをやってみたいかも。これ、オンラインでは難しいのかな?どうなんだろ?
2 努力をそれほど必要としない仕事だから
こういうことを書くと、反発を感じる人もいるでしょうね。
1の考えるのが好きとも深く関係するのですが、私にとっては日本語教師の仕事ってさほど努力を必要としない仕事なんですよね。
先ほども書きましたが、新人時代は授業準備も大変でしたが、それもぶっちゃけ1年半くらい。
それ以降は考えるのが好きだっため、苦痛ではなくなりやがて楽しい行為に。
学生指導や進学指導についても、腹が立ったり落ち込んだりすることもありますし、そういうのは絶対しないって日本語教師の方もいますが、人と接するのが好きな私にはそこまで気合い入れてやらないといけないほど努力が必要ではない業務です。
逆に、それを行わないと手に入らない新しい情報が手に入ったりなど、私自身の勉強になることも多いのでリターンが良いとも言えます。
あまり努力を必要とせずにリターンがゲットできるので、私にとってはかなりコストパフォーマンスが良い業務なんです。
私の中の「努力する」って言葉の定義は、「より高いパフォーマンスをするために、普段よりも投入するエネルギーを増やす」ってことなので、疲れちゃうし第一続きません。
だから私は、「努力し続ける」って語義矛盾を孕んでいるとさえ考えています。
このブログに関しても、もし私が努力してブログを書くってことをやっていたら、ここまで続いてないでしょうね。
日本語教師の仕事もブログも、努力せずにゆるゆるできるから続いてるわけです。
なので、日本語教師として働き始めて5年以上経っているのに授業準備に4時間も5時間もかかるっていう人は、もしかしたら日本語教師以外の職業のフィールドに移動したほうが仕事の満足度が高まるかもしれません。
ここで間違えてはいけないのが、「努力を必要とする仕事」と「手間がかかる仕事」は同じではないってこと。
例えば、私は作文の添削は努力しなくてもできることですが、手間はめっちゃかかります。
当時は紙に手書きで書いてもらっていたので、なおさら手間がかかりました。
☆☆☆☆☆☆☆
ここまで、私が日本語教師を続けられてきた理由を書いてきました。
これが、日本語教育に関する仕事を始めようとかやめようとか考えている人の何かの参考になればいいな、って思っています。
ほな、さいなら!
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akky_san at 18:48|Permalink│Comments(0)
2020年05月16日
日本語教師を続けますか?辞めますか?
新型コロナの影響、いつまで続くんでしょうか?
中には色んな形で授業をスタートさせている学校もあるようですが、あなたが所属する学校はどうでしょう?
さて、ここまで不確実性が高くほとんど先が見えない状況になってくると、留学生を入学させられず廃業や倒産を余儀無くされる日本語学校が出てくるのも不思議ではありません。
そうなると、雇い止めや解雇をされたり自主的に学校を辞める人も出てくるでしょう。
なので必然的に、日本語学校を辞める人も、
1 日本語教師を続けていく人
2 日本語教師自体を辞めてしまう人
の2つのタイプに分かれます。
もちろん生活のことがあるので、止むを得ず一時的に他の業種の仕事はするけどゆくゆくはまた日本語教師として働きたいっていう人は、私の中では1に該当します。
私としては、日本語教師を辞めてしまうことを促すつもりもないですし、止(と)めるつもりもありませんが、キッパリと日本語教師を引退してしまう時に気をつけたほうがいいことがあるので、今回は特にそれについて書きます。
☆☆☆☆☆☆☆
私は基本的に、スパッと何かを辞めてしまえる人ってすごいなと思います。
なぜなら、人間ってサンクコスト(今まで投入した労力、時間、金銭など)を高く見積もる傾向があるので、ずっとやってきた仕事にしがみつくことが多くなり、スパッと辞めるのが難しいから。
実際に私が在籍した学校にも、日本語教師以外の仕事ができない(と本人が思っている)からって理由でずーっとそこで働き続けているような人もいましたし。
なので、日本おg教師自体を辞めちゃって全く違う世界に飛び込むこと自体は、私は高く評価します。
が、その前に考えておくべきこともありそう。
1 本当に日本語教師の醍醐味を経験したかどうか
ちょっと青臭いことを書きます。
私がずっと日本語学校に勤務していて時々気になっていたのは、若い先生や経験の浅い先鋭の中にビックリするくらいすぐ辞めてしまう人が結構いたってこと。
中には学期の途中に辞めちゃう人もいました。
そういう人で他の学校に移って日本語教師を続ける人もいましたが、日本語教師自体を辞めた人も少なからずいました。
「自分が日本語教師に向いていないんだ」と認識するなら致し方ないという気もしますが、そういう人って日本語教師の醍醐味を経験したのかな、と常々気になってました。
日本語教師の醍醐味って人によって違うと思うんですが、私の場合は
・練りに練った例文を提示したら、予想以上の手応えがあった
・私が以前教えた日本語を学生が適切に使っている場を見聞きした
・学生に「先生の説明でやっと今まで分からなかったことがクリアになりました」とか言ってもらえること
・小論文で、こちらが全く気づかなかった視点で書かれているものがあった
などでしょうか。
そういう瞬間って、アドレナリンがドバドバ放出されてうち震えるくらい嬉しくなります。
そういう経験をした上で辞めるのならいいと思いますが、そういう経験しないまんまで「日本語教師は私がやりたかった仕事ではない」と断じるのは早計なんじゃないかと。
逆に書くと、私なんかも幾度となく「日本語教師辞めたい」と思ってきましたが、こういう醍醐味を感じる瞬間があったからこそ今まで続けられているとも言えます。
とはいえ、日本語教師にこういう経験ができるかどうかは外的要因によるところが大きいです。
例えば、学生の質や学校の体質や仕組みなど。
まあ私は個人的には、学生の質が大きいと考えてますが。
なので余計に、短期間の勤務で非常に少ないサンプル数と関わるだけで「日本語教師を辞める」っていう判断をするのは早すぎるんじゃないのかな、と思うわけです。
逆にそういう醍醐味を味わってしまうと私のようにズルズルズルズル日本語教師を続けることになってしまい、そうならないようにするためであれば早い判断もいいのかな、とも思いますが。
2 日本語教師の絶対数が少なくなれば、得られるリターンが上がる
これはどちらかというと、ビジネスとか経済的なお話。
日本語学校が淘汰されるのに伴い日本語教師自体を辞める人が増えれば、日本語教師の絶対数が少なくなります。
これは当然ですよね?
まあ今は日本語教師の需要は減っていますが、この状況が半永久的に続くわけではありません。
従来の日本語教師の働き方とは異なるかもしれませんが、何らかの形で日本語教師への需要が上がる日が来ます。
これは歴史が証明していて、今では100万円以上するバッグを売っているHermesも昔は馬に乗るための鞍を作る店だったし、今回の新型コロナ関連で存在感を増している富士フイルムも昔はカメラのフイルムを作っている会社でした。
こういうブランドや会社っていうのは、時代の変化に応じて何とか業態変化などの工夫を重ねて今まで生き残っているわけです。
かなり苦しい時期もあったと思いますが、何とか生き残りをかけてその事業を存続させて来たんですよね。
他業種同様日本語教師にとっても、今がまさしくその苦しい時期。
そういう状況でその仕事を辞める人も少なからずいるでしょうが、何とかサバイブする人も一方ではいるはず。
そうなると当然、何らかのきっかけで需要が上がったタイミングで生き残った日本語教師には残存価値ともいうべき価値が発生し、供給よりも需要が上がればゲットできるリターンも高くなります。
これは良いとか悪いとかいうことではなく、マーケットの仕組みというのはそういうもんなんですよね。
競合や同業他社(者)が減れば、得られるリターンが増えるのは当然というだけの話。
☆☆☆☆☆☆☆
冒頭にも書きましたが、私は日本語教師を続けたほうがいいとも辞めたほうがいいとも書くつもりはありません。
あくまで自己責任で判断したらいいことです。
ただ、辞めようと考えている人に、その前にちょっとこういうことも考慮に入れてみては?っていう提案をしたかっただけ。
私に関して書くと、このタイミングで日本語教師を引退することはないかなと。
その理由はこのエントリの2もあるんですけど、どちらかというと、
この状況下では日本語教育業界でもパラダイムシフトが不可避で、その後の日本語教育がどうなるか知りたいから
ってことですかね。
まあ日本語教師だけを続けると他にもっと自分に合う仕事に出合う可能性が低くなるというデメリットもあるとは思いますが、常勤ではなく非常勤なら掛け持ちや副業もしやすいので、雇用形態にこだわらなければ避けられるデメリットっていう気もします。
とりあえず、従来の日本語教師の働き方や仕事の前提や常識を一旦置いといて、このタイミングで0ベースで考えてみてはどうでしょうか?
ほな、さいなら!
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中には色んな形で授業をスタートさせている学校もあるようですが、あなたが所属する学校はどうでしょう?
さて、ここまで不確実性が高くほとんど先が見えない状況になってくると、留学生を入学させられず廃業や倒産を余儀無くされる日本語学校が出てくるのも不思議ではありません。
そうなると、雇い止めや解雇をされたり自主的に学校を辞める人も出てくるでしょう。
なので必然的に、日本語学校を辞める人も、
1 日本語教師を続けていく人
2 日本語教師自体を辞めてしまう人
の2つのタイプに分かれます。
もちろん生活のことがあるので、止むを得ず一時的に他の業種の仕事はするけどゆくゆくはまた日本語教師として働きたいっていう人は、私の中では1に該当します。
私としては、日本語教師を辞めてしまうことを促すつもりもないですし、止(と)めるつもりもありませんが、キッパリと日本語教師を引退してしまう時に気をつけたほうがいいことがあるので、今回は特にそれについて書きます。
☆☆☆☆☆☆☆
私は基本的に、スパッと何かを辞めてしまえる人ってすごいなと思います。
なぜなら、人間ってサンクコスト(今まで投入した労力、時間、金銭など)を高く見積もる傾向があるので、ずっとやってきた仕事にしがみつくことが多くなり、スパッと辞めるのが難しいから。
実際に私が在籍した学校にも、日本語教師以外の仕事ができない(と本人が思っている)からって理由でずーっとそこで働き続けているような人もいましたし。
なので、日本おg教師自体を辞めちゃって全く違う世界に飛び込むこと自体は、私は高く評価します。
が、その前に考えておくべきこともありそう。
1 本当に日本語教師の醍醐味を経験したかどうか
ちょっと青臭いことを書きます。
私がずっと日本語学校に勤務していて時々気になっていたのは、若い先生や経験の浅い先鋭の中にビックリするくらいすぐ辞めてしまう人が結構いたってこと。
中には学期の途中に辞めちゃう人もいました。
そういう人で他の学校に移って日本語教師を続ける人もいましたが、日本語教師自体を辞めた人も少なからずいました。
「自分が日本語教師に向いていないんだ」と認識するなら致し方ないという気もしますが、そういう人って日本語教師の醍醐味を経験したのかな、と常々気になってました。
日本語教師の醍醐味って人によって違うと思うんですが、私の場合は
・練りに練った例文を提示したら、予想以上の手応えがあった
・私が以前教えた日本語を学生が適切に使っている場を見聞きした
・学生に「先生の説明でやっと今まで分からなかったことがクリアになりました」とか言ってもらえること
・小論文で、こちらが全く気づかなかった視点で書かれているものがあった
などでしょうか。
そういう瞬間って、アドレナリンがドバドバ放出されてうち震えるくらい嬉しくなります。
そういう経験をした上で辞めるのならいいと思いますが、そういう経験しないまんまで「日本語教師は私がやりたかった仕事ではない」と断じるのは早計なんじゃないかと。
逆に書くと、私なんかも幾度となく「日本語教師辞めたい」と思ってきましたが、こういう醍醐味を感じる瞬間があったからこそ今まで続けられているとも言えます。
とはいえ、日本語教師にこういう経験ができるかどうかは外的要因によるところが大きいです。
例えば、学生の質や学校の体質や仕組みなど。
まあ私は個人的には、学生の質が大きいと考えてますが。
なので余計に、短期間の勤務で非常に少ないサンプル数と関わるだけで「日本語教師を辞める」っていう判断をするのは早すぎるんじゃないのかな、と思うわけです。
逆にそういう醍醐味を味わってしまうと私のようにズルズルズルズル日本語教師を続けることになってしまい、そうならないようにするためであれば早い判断もいいのかな、とも思いますが。
2 日本語教師の絶対数が少なくなれば、得られるリターンが上がる
これはどちらかというと、ビジネスとか経済的なお話。
日本語学校が淘汰されるのに伴い日本語教師自体を辞める人が増えれば、日本語教師の絶対数が少なくなります。
これは当然ですよね?
まあ今は日本語教師の需要は減っていますが、この状況が半永久的に続くわけではありません。
従来の日本語教師の働き方とは異なるかもしれませんが、何らかの形で日本語教師への需要が上がる日が来ます。
これは歴史が証明していて、今では100万円以上するバッグを売っているHermesも昔は馬に乗るための鞍を作る店だったし、今回の新型コロナ関連で存在感を増している富士フイルムも昔はカメラのフイルムを作っている会社でした。
こういうブランドや会社っていうのは、時代の変化に応じて何とか業態変化などの工夫を重ねて今まで生き残っているわけです。
かなり苦しい時期もあったと思いますが、何とか生き残りをかけてその事業を存続させて来たんですよね。
他業種同様日本語教師にとっても、今がまさしくその苦しい時期。
そういう状況でその仕事を辞める人も少なからずいるでしょうが、何とかサバイブする人も一方ではいるはず。
そうなると当然、何らかのきっかけで需要が上がったタイミングで生き残った日本語教師には残存価値ともいうべき価値が発生し、供給よりも需要が上がればゲットできるリターンも高くなります。
これは良いとか悪いとかいうことではなく、マーケットの仕組みというのはそういうもんなんですよね。
競合や同業他社(者)が減れば、得られるリターンが増えるのは当然というだけの話。
☆☆☆☆☆☆☆
冒頭にも書きましたが、私は日本語教師を続けたほうがいいとも辞めたほうがいいとも書くつもりはありません。
あくまで自己責任で判断したらいいことです。
ただ、辞めようと考えている人に、その前にちょっとこういうことも考慮に入れてみては?っていう提案をしたかっただけ。
私に関して書くと、このタイミングで日本語教師を引退することはないかなと。
その理由はこのエントリの2もあるんですけど、どちらかというと、
この状況下では日本語教育業界でもパラダイムシフトが不可避で、その後の日本語教育がどうなるか知りたいから
ってことですかね。
まあ日本語教師だけを続けると他にもっと自分に合う仕事に出合う可能性が低くなるというデメリットもあるとは思いますが、常勤ではなく非常勤なら掛け持ちや副業もしやすいので、雇用形態にこだわらなければ避けられるデメリットっていう気もします。
とりあえず、従来の日本語教師の働き方や仕事の前提や常識を一旦置いといて、このタイミングで0ベースで考えてみてはどうでしょうか?
ほな、さいなら!
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akky_san at 19:46|Permalink│Comments(0)
2019年11月26日
新人の日本語教師が最速で成長できるキャリアパス
昨今日本語学校に限らず様々なところで日本語教育の必要性、つまり日本語教師の需要が増しています。
その需要の増加に供給がバランスしているかどうかは分かりませんが、今後も年々新人の日本語教師の方が養成講座から排出されると予想されます。
そこで、日本語教師のキャリアの初期段階で、どういうキャリアパスを経れば最速で成長できるかを書いていきたいと思います。
ここでザックリ書くと、
どの段階でどのレベルを担当するか
ってことが、日本語教師の成長に大きく関わってきます。
結論から書くと、
1 上級 → 2 中級 → 3 初級
っていう順番が望ましいと私は考えています。
なぜなら、最初にゴール段階の現場で授業を運営すると、その下のレベルで最低限何ができていないといけないか把握できるから。
例えば、上級を最初に担当しておくと、上級修了段階がこのレベルだから、中級では最低限これくらいはできてないと学習者が上級に上がってもツラいだろうな、などということが分かります。
中級も同様で、中級を担当した後で初級を担当すると、自ずと初級の到達点がどのレベルかってことが理解できます。
それと、当時素人に近かった私が上級クラスを受け持っていて不思議だったのが、私には簡単に思える初級レベルの間違い(例えば、「は」と「が」の混同など)を、当時非常にレベルの高かった学生がどうして間違えるのか、ってこと。
これ、ずーっと引っかかっていて理由が分からないままだったのですが、初級を担当してようやく理解できる、ってこともたくさんあり、そこをポイントに授業を組み立てることも可能に。
実は、私が偶然このパターンだったんです。
以前いた学校で日本語教師としてのキャリアのスタートが、当時その学校のトップレベルの上級1組でした。
そして、半年後に中級クラス(名古屋大学とか合格した人たちがいたクラス)、そしてそのまた半年後に初級という順番。
その学校は勤務希望アンケートというものがあり、勤務日だけでなく担当レベルも希望できるシステムでした。
私の場合は、中級クラスから専任になってそういう希望は出せなかったので、ホンマに偶然そうなったんですよね。
ただし、このキャリアパスには副作用もあります。
準備がめっちゃ大変
ってことです。
初めて担当したレベルと同じレベルを半年後も担当すれば、ある程度授業準備の使い回しができます。
ところが、半年ごとに担当レベルが変わると、準備がその都度0からのスタートになってしまいます。
私の場合、作文も担当することが多く添削もしないといけなかったので、泣きそうでした。
しかし逆に考えると、キャリアの最初の段階だとその苦労もなんとかできるんじゃないの?とも思います。
最初にそれをやっちゃえば、後が楽チンですしね。
それに、楽チンな授業準備ばっかり志向してしまうと、現状維持バイアスが働いて他のレベルを担当するのが怖くなり、担当レベルが固定化してしまう恐れもあります。
成長したいのであれば、これは避けたいところ。
全てのレベルで授業を行ってみて、最終的に私はこのレベルが好きかも、っていうんだったらいいと思うんですけどね。
まあ希望レベルを上に提示できる日本語教育機関がどれくらいあるか分かりませんが、もし自分がその環境にいるというのであれば、上級 → 中級 → 初級っていう順番でキャリアを進めてみてはいかがでしょう?
ほな、さいなら!
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その需要の増加に供給がバランスしているかどうかは分かりませんが、今後も年々新人の日本語教師の方が養成講座から排出されると予想されます。
そこで、日本語教師のキャリアの初期段階で、どういうキャリアパスを経れば最速で成長できるかを書いていきたいと思います。
ここでザックリ書くと、
どの段階でどのレベルを担当するか
ってことが、日本語教師の成長に大きく関わってきます。
結論から書くと、
1 上級 → 2 中級 → 3 初級
っていう順番が望ましいと私は考えています。
なぜなら、最初にゴール段階の現場で授業を運営すると、その下のレベルで最低限何ができていないといけないか把握できるから。
例えば、上級を最初に担当しておくと、上級修了段階がこのレベルだから、中級では最低限これくらいはできてないと学習者が上級に上がってもツラいだろうな、などということが分かります。
中級も同様で、中級を担当した後で初級を担当すると、自ずと初級の到達点がどのレベルかってことが理解できます。
それと、当時素人に近かった私が上級クラスを受け持っていて不思議だったのが、私には簡単に思える初級レベルの間違い(例えば、「は」と「が」の混同など)を、当時非常にレベルの高かった学生がどうして間違えるのか、ってこと。
これ、ずーっと引っかかっていて理由が分からないままだったのですが、初級を担当してようやく理解できる、ってこともたくさんあり、そこをポイントに授業を組み立てることも可能に。
実は、私が偶然このパターンだったんです。
以前いた学校で日本語教師としてのキャリアのスタートが、当時その学校のトップレベルの上級1組でした。
そして、半年後に中級クラス(名古屋大学とか合格した人たちがいたクラス)、そしてそのまた半年後に初級という順番。
その学校は勤務希望アンケートというものがあり、勤務日だけでなく担当レベルも希望できるシステムでした。
私の場合は、中級クラスから専任になってそういう希望は出せなかったので、ホンマに偶然そうなったんですよね。
ただし、このキャリアパスには副作用もあります。
準備がめっちゃ大変
ってことです。
初めて担当したレベルと同じレベルを半年後も担当すれば、ある程度授業準備の使い回しができます。
ところが、半年ごとに担当レベルが変わると、準備がその都度0からのスタートになってしまいます。
私の場合、作文も担当することが多く添削もしないといけなかったので、泣きそうでした。
しかし逆に考えると、キャリアの最初の段階だとその苦労もなんとかできるんじゃないの?とも思います。
最初にそれをやっちゃえば、後が楽チンですしね。
それに、楽チンな授業準備ばっかり志向してしまうと、現状維持バイアスが働いて他のレベルを担当するのが怖くなり、担当レベルが固定化してしまう恐れもあります。
成長したいのであれば、これは避けたいところ。
全てのレベルで授業を行ってみて、最終的に私はこのレベルが好きかも、っていうんだったらいいと思うんですけどね。
まあ希望レベルを上に提示できる日本語教育機関がどれくらいあるか分かりませんが、もし自分がその環境にいるというのであれば、上級 → 中級 → 初級っていう順番でキャリアを進めてみてはいかがでしょう?
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