2016年03月11日
日本語学校では「漢字の手書き」を行うべき3つの理由
最近、「手書き」をする機会がどんどん減ってます。そのせいか、漢字が読めるけど書けないっていう事態が頻発してます。
そんな中、こんな記事がありました。
NAVERまとめ 細かいことは気にしない?正しい「漢字」の基準が変わりそう
そして、この記事に絡んで「漢字の手書きテストは廃止すべきだ」という意見を見かけるようになりました。
でも、私はこの意見に違和感を感じました。なので、その違和感はどこから出てくるんだろう?ってずっと考えてました。
結果、分かりました。
まず、
・「字体は厳密である必要は無い」 ⇒ 「手書きの漢字テストをやめるべきだ」っていう論理の「⇒」の部分に飛躍があるから
これ、「字体は厳密である必要は無い」 ⇒ 「今まで厳密に書けてないと✕にしてたけど、それを〇にしよう」っていう論理展開だったら分かるんです。
今の日本語教育の漢字テスト、特に初級レベルではめっちゃ字体にキビシイです。
それを緩和しようという意見の根拠として、上記の記事を引き合いに出すなら分かるんですが、なぜ「手書きの漢字テストをやめるべき」って結論に到達するのか、私は分かりません。
それから、この記事に絡めて「最近はスマホやキーボードで入力する機会が多いのだから、手書きの漢字テストを行う意味が無い」という意見も見ました。
でも、こうなってくると上記の記事とは関係あれへんやん、って思いますけど・・・
そして、これにも違和感が。
その違和感の理由は、
・漢字を手書きで書く頻度が少ない = 漢字が手書きできなくてもいい っていう論理が成立しないと思うから。
これは、漢字を手書きで書く頻度がゼロであればまだ分かるんですけど、頻度が少ないってことは、少ないけど確実に漢字を手書きする機会はあるってことですよね?
まあ、このあたりのことは、理由の2で詳しく書きます。
今から「漢字の手書きを存続するべき理由」について書いていくんですが、一応「漢字を手書きしないと漢字が正確には書けない」ことを前提とします。
1 手書きにはかなり学習効果が高まる効果がある
最近、この手の記事をすごく目にします。
例えばこれ。 → NAVERまとめ 成績もアップ?「手書きメモ」のメリットが次々と判明
こんなのもあります。 → NAVERまとめ 脳をハイパーにする“手書き”のスゴさ
あと、こんなのや → 子供の頃の手書きのスキルが、読解力に繋がっている
こんなのもあります。 → 【ドイツ】子どもの手書き能力衰退に教師たちが警鐘。筆記試験に耐えられない生徒も
一番下の記事はかなり衝撃的手書きに慣れてないと、手の引きつけを起こしてしまうって・・・
上記の記事はちょっと漢字とは離れますが、「手書き」自体の学習効果です。
漢字に関しては、こちらのブログで「手書き」が記憶に有益であると述べられています。 → jnobuyukiのブログ 単語の綴りの記憶(1):綴りの記憶は文字の並びの記憶か?
あと、手書きにすると、例えば小論文を書いているときに論理の構成の間違いに気づいたときに、その部分を消してまた最初から書き直さないといけないから非効率的である、っていうデメリットを挙げる人がいます。
でもそれって、逆に考えればPCなどでの文書作成であれば、すぐに修正できるから文章を書くときにそこの部分を緻密に考えなくてもいいってことです。
何が書きたいかというと、手書きであればそういう場合書いた部分を消しゴムで全部消してまた最初から書き直す手間が発生するため、そういう事態を避けるために書く前に論理の構成を熟考することが多くなるんちゃう?ってこと。
つまり手書きの方が、書く前に文章の非常に重要な「構成」についてよく考えるのではないか、っていうこと。
だから、私は「手書き」は文章を書く上でもその文章力向上にも寄与すると考えます。
実際私も、ブログを書く時もすぐ直接PCで文章を作成するよりも、一旦手書きでメモを書いてからのほうが完成度が高いものが書けてる気がします(完成度が高くないって思う読者の方もいらっしゃると思いますが)。
2 手書きをする機会は結構まだある
手書きの機会が減ってるのは事実ですが、そうではない場合もまだかなりあるのでは?
大学進学を目的とする学生が多い日本語学校であれば、特にそうです。
まず、大学に入るための大学受験では「手書きの」小論文を課す大学がほとんどです。PCやタブレット端末で小論文を書かせる大学を私は知りません。
センター試験でも小論文が導入されるそうですが、それもタイピングではないんちゃいますかね?
あと、EJUの記述も手書きですし。
また、大学に入ってからも、(レポートは別として)その定期テストは手書きがほとんどではないかと考えます。
実際にFacebookで聞いてみたところ、テストは手書きがほとんだそうです。
また、大学の教授によっては、「安易なコピペを防ぐために」手書きのレポートしか認めない場合もあるそうです。
それに、アカデミックな場ではなく生活を送る場面でもまだ手書きという習慣は残っています。
例えば、留学生が飲食店でバイトしてる場合(個人店の場合など)は伝票は手書きでしょうし、役所の手続きや申請は基本手書きです。
そもそも、「今は手書きをする機会が少ない」って言ってる人は、会議などでも筆記用具は持参しないんでしょうかね?
タブレット端末かノートPCだけでメモしたりするんでしょうか?
まあそれはそれでアリだとは思いますが、だからといって他の人も同じであると思うのはどうでしょう?
3 日本語学習者が全て日本語によるタイピングができるとは限らない
これ、以前のエントリでも書きましたけど→ スマホに依存してるわりにITリテラシーが欠けてる学生、最近の学生を見ていると、スマホでは大体動画視聴かゲームか母語でのメッセージ交換しか行っていない印象です。
そういう学生がホンマに日本語でタイピングをするでしょうか?
「スマホやPCで入力してるのだから、漢字は手書きできなくてもいい」っていう主張は、その前件が間違ってへん?っていうのが私の意見。
あと、スマホの入力ってPCの入力とは根本的に異なるので(フリックなど)、この2つを同じものとして扱うことにも違和感は感じます。
つまり、スマホでは入力できてもPCでは無理ってこともあるのでは?ってこと。
キーボード世代からタッチパネル世代へ? 漸減する子供達のパソコン使用率
キーボード離れが普通の世代もあるってことですかね。
☆☆☆☆☆☆☆
ちょっと前のネットの論争で「履歴書は手書きで書く必要があるかどうか?」っていうのがありました。
私は、そういうのは全然PC入力でいいと思ってます。
効率化できるところはドンドンしてったらイイと思います。
それに、「手書きのほうが気持ちが伝わる」(手紙などはそうかもしれませんが、留学生が手紙を書くことはあんま無さそうです)とか、「伝統的にそういうルールだから手書きをすべきだ」と思ってるわけではありません。
また、懐古主義的というか、昔を懐かしんでるわけでもありません。例えば、ダウンロードが一般的な社会において「アナログのレコードのほうがよかった」っていうような考え方でもありません。
「漢字の書き方がそこまで厳密では無い」というのであれば、ハネやトメはどうでもいいと思いますし、今までの日本語教育では過剰にチェックしすぎてたと思います。
ただ、画数が変わってくるような場合、例えば「器」っていう漢字で中国語話者が「大」の部分を「犬」って書いてしまったり、「黙」の漢字で「里」が右に来て「「犬」が上「灬」が下になり双方が右に来て「つくり」みたいな漢字になってしまい、そのフォルムがおかしい場合は指導する必要があると考えてます。
そういうのを指導しつつ、タイピング入力で問題になってくるような、複数の「同音異字語」から自分が使いたいものを正確に選ぶための教育をすればイイのではないかなって思います。
ほな、さいなら!
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そして、この記事に絡んで「漢字の手書きテストは廃止すべきだ」という意見を見かけるようになりました。
でも、私はこの意見に違和感を感じました。なので、その違和感はどこから出てくるんだろう?ってずっと考えてました。
結果、分かりました。
まず、
・「字体は厳密である必要は無い」 ⇒ 「手書きの漢字テストをやめるべきだ」っていう論理の「⇒」の部分に飛躍があるから
これ、「字体は厳密である必要は無い」 ⇒ 「今まで厳密に書けてないと✕にしてたけど、それを〇にしよう」っていう論理展開だったら分かるんです。
今の日本語教育の漢字テスト、特に初級レベルではめっちゃ字体にキビシイです。
それを緩和しようという意見の根拠として、上記の記事を引き合いに出すなら分かるんですが、なぜ「手書きの漢字テストをやめるべき」って結論に到達するのか、私は分かりません。
それから、この記事に絡めて「最近はスマホやキーボードで入力する機会が多いのだから、手書きの漢字テストを行う意味が無い」という意見も見ました。
でも、こうなってくると上記の記事とは関係あれへんやん、って思いますけど・・・
そして、これにも違和感が。
その違和感の理由は、
・漢字を手書きで書く頻度が少ない = 漢字が手書きできなくてもいい っていう論理が成立しないと思うから。
これは、漢字を手書きで書く頻度がゼロであればまだ分かるんですけど、頻度が少ないってことは、少ないけど確実に漢字を手書きする機会はあるってことですよね?
まあ、このあたりのことは、理由の2で詳しく書きます。
今から「漢字の手書きを存続するべき理由」について書いていくんですが、一応「漢字を手書きしないと漢字が正確には書けない」ことを前提とします。
1 手書きにはかなり学習効果が高まる効果がある
最近、この手の記事をすごく目にします。
例えばこれ。 → NAVERまとめ 成績もアップ?「手書きメモ」のメリットが次々と判明
こんなのもあります。 → NAVERまとめ 脳をハイパーにする“手書き”のスゴさ
あと、こんなのや → 子供の頃の手書きのスキルが、読解力に繋がっている
こんなのもあります。 → 【ドイツ】子どもの手書き能力衰退に教師たちが警鐘。筆記試験に耐えられない生徒も
一番下の記事はかなり衝撃的手書きに慣れてないと、手の引きつけを起こしてしまうって・・・
上記の記事はちょっと漢字とは離れますが、「手書き」自体の学習効果です。
漢字に関しては、こちらのブログで「手書き」が記憶に有益であると述べられています。 → jnobuyukiのブログ 単語の綴りの記憶(1):綴りの記憶は文字の並びの記憶か?
あと、手書きにすると、例えば小論文を書いているときに論理の構成の間違いに気づいたときに、その部分を消してまた最初から書き直さないといけないから非効率的である、っていうデメリットを挙げる人がいます。
でもそれって、逆に考えればPCなどでの文書作成であれば、すぐに修正できるから文章を書くときにそこの部分を緻密に考えなくてもいいってことです。
何が書きたいかというと、手書きであればそういう場合書いた部分を消しゴムで全部消してまた最初から書き直す手間が発生するため、そういう事態を避けるために書く前に論理の構成を熟考することが多くなるんちゃう?ってこと。
つまり手書きの方が、書く前に文章の非常に重要な「構成」についてよく考えるのではないか、っていうこと。
だから、私は「手書き」は文章を書く上でもその文章力向上にも寄与すると考えます。
実際私も、ブログを書く時もすぐ直接PCで文章を作成するよりも、一旦手書きでメモを書いてからのほうが完成度が高いものが書けてる気がします(完成度が高くないって思う読者の方もいらっしゃると思いますが)。
2 手書きをする機会は結構まだある
手書きの機会が減ってるのは事実ですが、そうではない場合もまだかなりあるのでは?
大学進学を目的とする学生が多い日本語学校であれば、特にそうです。
まず、大学に入るための大学受験では「手書きの」小論文を課す大学がほとんどです。PCやタブレット端末で小論文を書かせる大学を私は知りません。
センター試験でも小論文が導入されるそうですが、それもタイピングではないんちゃいますかね?
あと、EJUの記述も手書きですし。
また、大学に入ってからも、(レポートは別として)その定期テストは手書きがほとんどではないかと考えます。
実際にFacebookで聞いてみたところ、テストは手書きがほとんだそうです。
また、大学の教授によっては、「安易なコピペを防ぐために」手書きのレポートしか認めない場合もあるそうです。
それに、アカデミックな場ではなく生活を送る場面でもまだ手書きという習慣は残っています。
例えば、留学生が飲食店でバイトしてる場合(個人店の場合など)は伝票は手書きでしょうし、役所の手続きや申請は基本手書きです。
そもそも、「今は手書きをする機会が少ない」って言ってる人は、会議などでも筆記用具は持参しないんでしょうかね?
タブレット端末かノートPCだけでメモしたりするんでしょうか?
まあそれはそれでアリだとは思いますが、だからといって他の人も同じであると思うのはどうでしょう?
3 日本語学習者が全て日本語によるタイピングができるとは限らない
これ、以前のエントリでも書きましたけど→ スマホに依存してるわりにITリテラシーが欠けてる学生、最近の学生を見ていると、スマホでは大体動画視聴かゲームか母語でのメッセージ交換しか行っていない印象です。
そういう学生がホンマに日本語でタイピングをするでしょうか?
「スマホやPCで入力してるのだから、漢字は手書きできなくてもいい」っていう主張は、その前件が間違ってへん?っていうのが私の意見。
あと、スマホの入力ってPCの入力とは根本的に異なるので(フリックなど)、この2つを同じものとして扱うことにも違和感は感じます。
つまり、スマホでは入力できてもPCでは無理ってこともあるのでは?ってこと。
キーボード世代からタッチパネル世代へ? 漸減する子供達のパソコン使用率
キーボード離れが普通の世代もあるってことですかね。
☆☆☆☆☆☆☆
ちょっと前のネットの論争で「履歴書は手書きで書く必要があるかどうか?」っていうのがありました。
私は、そういうのは全然PC入力でいいと思ってます。
効率化できるところはドンドンしてったらイイと思います。
それに、「手書きのほうが気持ちが伝わる」(手紙などはそうかもしれませんが、留学生が手紙を書くことはあんま無さそうです)とか、「伝統的にそういうルールだから手書きをすべきだ」と思ってるわけではありません。
また、懐古主義的というか、昔を懐かしんでるわけでもありません。例えば、ダウンロードが一般的な社会において「アナログのレコードのほうがよかった」っていうような考え方でもありません。
「漢字の書き方がそこまで厳密では無い」というのであれば、ハネやトメはどうでもいいと思いますし、今までの日本語教育では過剰にチェックしすぎてたと思います。
ただ、画数が変わってくるような場合、例えば「器」っていう漢字で中国語話者が「大」の部分を「犬」って書いてしまったり、「黙」の漢字で「里」が右に来て「「犬」が上「灬」が下になり双方が右に来て「つくり」みたいな漢字になってしまい、そのフォルムがおかしい場合は指導する必要があると考えてます。
そういうのを指導しつつ、タイピング入力で問題になってくるような、複数の「同音異字語」から自分が使いたいものを正確に選ぶための教育をすればイイのではないかなって思います。
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