2016年12月30日
そうは言ってもやっぱり日本語ってハイコンテキストになりやすい言語じゃない?
世界の言語の中で、言語学的に考えて日本語がどの程度文脈依存度(文脈によって意味が変わる度合い)が高いのか、あるいは低いのかっていうのは、偉くて賢い言語学者さんたちにお任せして、私は今回は日本語の特徴と日本社会の傾向からこの日本語の文脈依存について書いてみます。
で、前提として文脈依存度が高いのがハイコンテキスト、低いのがローコンテキストです。
まず、文脈によって意味が変わるっていうのはどういうことかというと、例えば、
・彼はお酒を飲んでいます。
という文。
皆さんはこの文の意味をどう解釈しますか?
おそらく2つに分かれるのではないですかね?
一つは、
・今まさに、現在進行で彼はお酒を飲んでいる。
というもので、もう一つは
・今飲んでいるかどうかは考えないで、彼はさっきまでお酒を飲んでいて、既にアルコールが体の中に入った状態。
です。
前者の場合はすぐ分かると思うんですが、後者の場合、
彼はさっきまでは飲んでいて今は飲んでいないけど、酔っ払って寝てしまっている。だから「彼はもう飲んでいるから、起きても運転させちゃだめだよ!」みたいな状況を想定していただけると、分かりやすいですかね。
なので、これだけの情報しか無い文っていうのは、前後の文や他の情報も含めて文脈でどっちの意味だか判断しないといけないというワケです。
つまり、こういう文が文脈依存度が高く、ハイコンテキストな文ということ。
もっと詳しく書くと、日本語の「~ている」には、
① 現在進行
② 結果の継続(彼は死んでいる。とか)
という2つの意味があるということ。
上記は文法の例になりますが、語彙でもそういうものは色々あります。
例えば、「すみません」とか「結構です」とか。
そして逆に考えると、日本語っていうのは、意味を特定させようと思うと、言葉を付け足していく必要があるんです。
前者の場合だと「今」という言葉を足せば「現在進行」の意味だと分かるし、後者の場合だと「もう」という言葉を入れれば意味がはっきりします。
ちょっと話はズレますが、日本語が下手な留学生の言いたいことが聞いてる日本人にはっきり分からないのは、このあたりも関係してそう。
つまり、日本語が下手な人ほど言葉を足していくっていうスキルが無く、どうしても短い文の構築しかできないため、結果的にハイコンテキストになり聞いてる人が「どっちの意味だろう?」ってなってしまってる状態。
話を戻して、ここまでをちょっとまとめると、
1 一つの語彙や表現に複数の意味が存在する
2 言葉を付け足さなくても相手との意思疎通ができる
という条件下で、ハイコンテキストになります。
で、この2を許してしまうのが、「従来の歴史から見て、民族的にも文化的にもそこまで多様性が無い社会」と「ローカルルールが多い社会」の存在。
前者に関して述べると、ヨーロッパやアメリカほど多文化・多民族社会ではなく、基本的には日本語で相手と意思疎通ができ、そこまで細かく意味を特定しなくても特に支障が無いってこと。
これ、スペイン語勉強してて一番大きく違うんじゃないかと感じる部分。
例えば、日本語で「あなた(単数)は朝ご飯を食べますか。」をスペイン語にすると、
¿Desayunas?
これ、嘘みたいですけど、ホンマなんです。
一つの単語だけで「あなたは朝ご飯を食べますか。」という内容を表現できるんです。
これはなぜかというと、スペイン語では何ご飯(朝なのか昼なのか晩なのか)を食べるかによって、違う動詞を使い、さらに一人称、二人称、三人称のそれぞれ単数形と複数形で動詞の形が違うためです。
つまり、言葉を足していって意味を特定する日本語に対して、スペイン語では動詞の種類と活用形で意味を特定するってこと。
一つの単語であっても、ここに文脈の入る余地はありません。
これ、すごくないですか?
日本語だったら「あなた」、「は」、「朝ご飯」、「を」、「食べます」、「か」といったように助詞も入れると6つの言葉を使わないと表現できない内容を、一つの単語だけで表現するっていう。
言葉の重みが違います。
道理で、ヨーロッパ言語にはCEFR(詳しくはこちら → ヨーロッパ言語共通参照枠)がFITするわけだ
と思いました。
やはりヨーロッパ言語は、何人(「なにじん」じゃなくて「なんにん」)の誰が何をするのかっていうのかが重要で、そのためそこをかなり厳密に特定する言語なんですよね。
そして、とりもなおさず、それはヨーロッパの今までの歴史を見れば、民族や国が入り乱れて支配したりされたりっていうところからきているのではないでしょうか。
一方日本は島国で、他国から支配されないまま江戸時代まで流れ、その間鎖国をして、明治になってようやく文明開化だ!とかやって、西洋文明および文化を受け入れ始めた、っていう経緯からしてヨーロッパとは大きく違います。
だから、従来であれば隣の人はたいてい知り合いで、そこまで主語が誰なのかってことを厳密に特定する必要がなかったのかなと。
つまり、話し手と聞き手の間には共通の前提となる情報があったため、人称変化などで意味を特定する必要が生まれなかったんじゃないですかね?
だから、ウチのじーちゃんとばーちゃんがよくやってた、
「あれ、どこ置いたっけ?」
「あれ?あれだったら、さっき居間で見たよ。」
などという会話が成立するのでは?
これ、他の言語に訳せるとは思えません。
なぜなら、「あれ」が何を指すのかはこの会話をしている2人にしか分からないから。
他には、
「この部屋暑くないですか。」(←窓を開けるか、エアコンをつけてほしい)
(カウンターで2人でご飯を食べるときに)「私、左利きだから。」(←左に座らずに、私の右側に座ってね)
「子供のしたことですから。」(←そんなにガミガミ言わんでも、大目に見てくれたらいいのに)
などが、ハイコンテキストな文だと言えます。
そして、これは私が前述した、「ローカルルールが多い社会」に関係してきます。
ローカルルールっていうのはこちらにありますが(ローカルルール)、私は法律だけでなく、もっと広義でこの言葉を扱います。
私の定義は「ある特定の場所、組織、集団、状況の中だけで適用されるルールや約束事、常識。そのため一歩外に出ると適用されなくなるもの。」であるとします。
例えば、以前Twitterで話題になった、「外回りの際、例えば取引先の会社でお茶が出された場合、飲んでもいいのか、飲むのは失礼なのか?」といった、ビジネスの慣習もローカルルールにあたると考えています。
こういうのって、正解はありませんよね?なぜって、その会社によって違うから。
今ではその影響は小さくなってきていますが、関東と関西では色々な習慣がちがいますし、同じ大学でも学部が違えば同じ現象が起きていたとしても、その解釈は異なります。
また、そのローカルルールが「言葉の使い方や意味」にあたる場合、小学生とビジネスマン、2ちゃんねらー、ギャルで違ってきます。
これらの人たちのルールや常識が違いすぎて、それぞれが分断されてませんか?最近特に。
私が問題だと思うのは、この横軸の広がりを「フィールド」だとすると、縦軸の「レイヤー(層)」の分断も起き始めていて、どんどん内向きになりローカルルールがより強まるのではないかってこと。
縦軸のレイヤーっていうのは、世代(年齢)、年収、学歴など上か下かで判断されるものです。
おとといのニュースです。 → 増えつつある「貧困による教育格差」子どもの為に支援できること
つまり、これが進むとどうなるかというと、本当に細かい集団にドンドン細分化され、そこでしか通用しないローカルルールの影響が強まり、ハイコンテキストな文などが頻出するだろうと考えています。
そして、この流れはますます加速しそう。
その原因は、SNSです。
これはTwitterのような外向きのSNSではなく、FacebookやLINEなどの内向きのものです。
特に、LINEグループは超ハイコンテキストになりそう。
☆☆☆☆☆☆☆
このように考えてくると、日本語は言語学的にハイコンテキストかどうかはさておいても、日本語の特徴や日本社会の現状を考えると、すぐハイコンテキストになってしまいかねないってことだと思います。
そうそう
これ、自分で言っといてなんですけど、自分の発話が超ハイコンテキストだなって思ったのが、朝私が出かけるときに同居人に言った、
「今日、学校終わったらgym行くから。」
という文。
どこがハイコンテキストなん?って思われるかもしれませんが、この文に秘められている内容は、
・今日の晩御飯は高タンパク・低脂肪でよろしく
・帰ったらすぐにトレーニングウェアを洗いたいから、すぐ洗濯できるようにしといてね
・なんなら、半身浴もしたいから、私が帰ってくる時間を見計らって、半身浴ができる程度にお風呂にお湯をはっといてね
なんです。
で、実際家に帰ってくると、全てが揃っているっていう・・・
もはや文脈にも依存してないっていうか、これ、他の人が聞いても絶対にここまでの内容があるって分かりませんよね?
今気づいたんですけど、こう書くと昭和の亭主関白みたいですね・・・
今日おせち料理の追加の買い出しでテクテク歩いているときに考えていたことを、まとめてみました。
ほな、さいなら!

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で、前提として文脈依存度が高いのがハイコンテキスト、低いのがローコンテキストです。
まず、文脈によって意味が変わるっていうのはどういうことかというと、例えば、
・彼はお酒を飲んでいます。
という文。
皆さんはこの文の意味をどう解釈しますか?
おそらく2つに分かれるのではないですかね?
一つは、
・今まさに、現在進行で彼はお酒を飲んでいる。
というもので、もう一つは
・今飲んでいるかどうかは考えないで、彼はさっきまでお酒を飲んでいて、既にアルコールが体の中に入った状態。
です。
前者の場合はすぐ分かると思うんですが、後者の場合、
彼はさっきまでは飲んでいて今は飲んでいないけど、酔っ払って寝てしまっている。だから「彼はもう飲んでいるから、起きても運転させちゃだめだよ!」みたいな状況を想定していただけると、分かりやすいですかね。
なので、これだけの情報しか無い文っていうのは、前後の文や他の情報も含めて文脈でどっちの意味だか判断しないといけないというワケです。
つまり、こういう文が文脈依存度が高く、ハイコンテキストな文ということ。
もっと詳しく書くと、日本語の「~ている」には、
① 現在進行
② 結果の継続(彼は死んでいる。とか)
という2つの意味があるということ。
上記は文法の例になりますが、語彙でもそういうものは色々あります。
例えば、「すみません」とか「結構です」とか。
そして逆に考えると、日本語っていうのは、意味を特定させようと思うと、言葉を付け足していく必要があるんです。
前者の場合だと「今」という言葉を足せば「現在進行」の意味だと分かるし、後者の場合だと「もう」という言葉を入れれば意味がはっきりします。
ちょっと話はズレますが、日本語が下手な留学生の言いたいことが聞いてる日本人にはっきり分からないのは、このあたりも関係してそう。
つまり、日本語が下手な人ほど言葉を足していくっていうスキルが無く、どうしても短い文の構築しかできないため、結果的にハイコンテキストになり聞いてる人が「どっちの意味だろう?」ってなってしまってる状態。
話を戻して、ここまでをちょっとまとめると、
1 一つの語彙や表現に複数の意味が存在する
2 言葉を付け足さなくても相手との意思疎通ができる
という条件下で、ハイコンテキストになります。
で、この2を許してしまうのが、「従来の歴史から見て、民族的にも文化的にもそこまで多様性が無い社会」と「ローカルルールが多い社会」の存在。
前者に関して述べると、ヨーロッパやアメリカほど多文化・多民族社会ではなく、基本的には日本語で相手と意思疎通ができ、そこまで細かく意味を特定しなくても特に支障が無いってこと。
これ、スペイン語勉強してて一番大きく違うんじゃないかと感じる部分。
例えば、日本語で「あなた(単数)は朝ご飯を食べますか。」をスペイン語にすると、
¿Desayunas?
これ、嘘みたいですけど、ホンマなんです。
一つの単語だけで「あなたは朝ご飯を食べますか。」という内容を表現できるんです。
これはなぜかというと、スペイン語では何ご飯(朝なのか昼なのか晩なのか)を食べるかによって、違う動詞を使い、さらに一人称、二人称、三人称のそれぞれ単数形と複数形で動詞の形が違うためです。
つまり、言葉を足していって意味を特定する日本語に対して、スペイン語では動詞の種類と活用形で意味を特定するってこと。
一つの単語であっても、ここに文脈の入る余地はありません。
これ、すごくないですか?
日本語だったら「あなた」、「は」、「朝ご飯」、「を」、「食べます」、「か」といったように助詞も入れると6つの言葉を使わないと表現できない内容を、一つの単語だけで表現するっていう。
言葉の重みが違います。
道理で、ヨーロッパ言語にはCEFR(詳しくはこちら → ヨーロッパ言語共通参照枠)がFITするわけだ
と思いました。やはりヨーロッパ言語は、何人(「なにじん」じゃなくて「なんにん」)の誰が何をするのかっていうのかが重要で、そのためそこをかなり厳密に特定する言語なんですよね。
そして、とりもなおさず、それはヨーロッパの今までの歴史を見れば、民族や国が入り乱れて支配したりされたりっていうところからきているのではないでしょうか。
一方日本は島国で、他国から支配されないまま江戸時代まで流れ、その間鎖国をして、明治になってようやく文明開化だ!とかやって、西洋文明および文化を受け入れ始めた、っていう経緯からしてヨーロッパとは大きく違います。
だから、従来であれば隣の人はたいてい知り合いで、そこまで主語が誰なのかってことを厳密に特定する必要がなかったのかなと。
つまり、話し手と聞き手の間には共通の前提となる情報があったため、人称変化などで意味を特定する必要が生まれなかったんじゃないですかね?
だから、ウチのじーちゃんとばーちゃんがよくやってた、
「あれ、どこ置いたっけ?」
「あれ?あれだったら、さっき居間で見たよ。」
などという会話が成立するのでは?
これ、他の言語に訳せるとは思えません。
なぜなら、「あれ」が何を指すのかはこの会話をしている2人にしか分からないから。
他には、
「この部屋暑くないですか。」(←窓を開けるか、エアコンをつけてほしい)
(カウンターで2人でご飯を食べるときに)「私、左利きだから。」(←左に座らずに、私の右側に座ってね)
「子供のしたことですから。」(←そんなにガミガミ言わんでも、大目に見てくれたらいいのに)
などが、ハイコンテキストな文だと言えます。
そして、これは私が前述した、「ローカルルールが多い社会」に関係してきます。
ローカルルールっていうのはこちらにありますが(ローカルルール)、私は法律だけでなく、もっと広義でこの言葉を扱います。
私の定義は「ある特定の場所、組織、集団、状況の中だけで適用されるルールや約束事、常識。そのため一歩外に出ると適用されなくなるもの。」であるとします。
例えば、以前Twitterで話題になった、「外回りの際、例えば取引先の会社でお茶が出された場合、飲んでもいいのか、飲むのは失礼なのか?」といった、ビジネスの慣習もローカルルールにあたると考えています。
こういうのって、正解はありませんよね?なぜって、その会社によって違うから。
今ではその影響は小さくなってきていますが、関東と関西では色々な習慣がちがいますし、同じ大学でも学部が違えば同じ現象が起きていたとしても、その解釈は異なります。
また、そのローカルルールが「言葉の使い方や意味」にあたる場合、小学生とビジネスマン、2ちゃんねらー、ギャルで違ってきます。
これらの人たちのルールや常識が違いすぎて、それぞれが分断されてませんか?最近特に。
私が問題だと思うのは、この横軸の広がりを「フィールド」だとすると、縦軸の「レイヤー(層)」の分断も起き始めていて、どんどん内向きになりローカルルールがより強まるのではないかってこと。
縦軸のレイヤーっていうのは、世代(年齢)、年収、学歴など上か下かで判断されるものです。
おとといのニュースです。 → 増えつつある「貧困による教育格差」子どもの為に支援できること
つまり、これが進むとどうなるかというと、本当に細かい集団にドンドン細分化され、そこでしか通用しないローカルルールの影響が強まり、ハイコンテキストな文などが頻出するだろうと考えています。
そして、この流れはますます加速しそう。
その原因は、SNSです。
これはTwitterのような外向きのSNSではなく、FacebookやLINEなどの内向きのものです。
特に、LINEグループは超ハイコンテキストになりそう。
☆☆☆☆☆☆☆
このように考えてくると、日本語は言語学的にハイコンテキストかどうかはさておいても、日本語の特徴や日本社会の現状を考えると、すぐハイコンテキストになってしまいかねないってことだと思います。
そうそう

これ、自分で言っといてなんですけど、自分の発話が超ハイコンテキストだなって思ったのが、朝私が出かけるときに同居人に言った、
「今日、学校終わったらgym行くから。」
という文。
どこがハイコンテキストなん?って思われるかもしれませんが、この文に秘められている内容は、
・今日の晩御飯は高タンパク・低脂肪でよろしく
・帰ったらすぐにトレーニングウェアを洗いたいから、すぐ洗濯できるようにしといてね
・なんなら、半身浴もしたいから、私が帰ってくる時間を見計らって、半身浴ができる程度にお風呂にお湯をはっといてね
なんです。
で、実際家に帰ってくると、全てが揃っているっていう・・・
もはや文脈にも依存してないっていうか、これ、他の人が聞いても絶対にここまでの内容があるって分かりませんよね?
今気づいたんですけど、こう書くと昭和の亭主関白みたいですね・・・

今日おせち料理の追加の買い出しでテクテク歩いているときに考えていたことを、まとめてみました。
ほな、さいなら!
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