日本語教師の説明が長ったらしくなってしまう理由と、それを防ぐ方法上級を見据えて初級の授業を行うっていうのは例えばこういうこと 初級の学生が「10分」を「じゅっぷん」と読んだら許容しますか?

2020年09月20日

従来の日本語学校が淘汰された後の、給与体系が時給じゃない新しいタイプの学校

コロナ禍で、日本への留学生受け入れってどうなっていくんでしょうね。

次の記事では、



一応9月からは撤廃ってことになってますが、実際のところどうなんでしょう?

日本側は受け入れ制限を撤廃したとしても、外国人側が「日本はまだまだ新型コロナ感染者が増えていきそう。感染するのは怖いから留学を見送ろう。」などと考えて辞退するケースもあるのでは?

しかも、その数は誰にも全く予想できないんですよね。 

なので結果的に、個人で経営している小規模の日本語学校で日本語教育だけを事業としてやっている学校って、いつのタイミングになるかは分かりませんが近い将来淘汰される可能性が高いのではないかと私は考えています。

日本全国でどれくらいの学校が無くなってしまうかは分かりませんが、どこかで日本語教育を受ける側(需要)と与える側(供給)との需給バランスが変化する時が来るのかなと。

私のイメージでは、従来はどんどん増加する需要に学校側がギリギリ対応していたというもの。

もしこれに今後変化が訪れるとすれば、学校だけで考えると供給サイドの日本語学数が減ることになるので、需要サイドの数が変わらなければ(コロナで一時的に減っているのは分かっているけど、その状況が将来的にどうなるかはわからないので)今後はさらに需要が高まるのではないかと。

仮にそういう状況になったとしても、従来と同じような日本語教育をやってもな、と私個人としては考えています。

パンデミックが起きて良かったなどとは全く思わないけど、起こってしまった以上は何らかの契機にした方がいいように思うんです。

災い転じて福となす的な。

閉塞感が感じられる従来の日本語学校のパラダイムを大きくシフトするには、今回がラストチャンスかなっていう気もしてます。


そこで、私のアイデア。

私がこういう日本語学校があったらいいなとか、こういう学校で働きたいなってイメージすると、必ずぶち当たってしまうのが

時給っていう給与体系

なんです。

そもそも時給っていう概念って、産業革命時代に人間が決まった時間から決まった時間まで工場で流れ作業をするっていう働き方の時に生まれたものですよね?

だから、時給って概念は当時は超合理的でした。

でも、今の時代にフィットすると言えるでしょうか?

私はそろそろ限界にきてるんじゃないかと考えています。

特に日本語教師に時給がフィットしないのは、

1 目の前の学生が困っていたら、時間外でも時間を使ってあげてしまいがち

2 「授業準備も入れると時給は僅か」という意見がありつつも、その教師の生産性の低さによって時間がかかってるってことも考えられるから

1に関しては、日本語教師あるあるでは?

私も全く同じことをします。

例えば、学生が「志望理由書を見て欲しいんですけど。」って言ってきてて、「今時間外だから無理。」って答える教師がいたら、逆にすごいなと。

でもこのあたりはバランスを考えないと、学校側に足元を見られちゃうので注意が必要。

2については、問題がやや複雑。

例えば、「授業準備に3時間かかったから、その3時間を労働時間に組み込むべきだ」って意見が出た時に、もしあなたが日本語学校経営者だったらその通りにしますか?

私、無理です。

もしかしたらダラダラダラダラしながら授業準備をしたって可能性や、一生懸命やってはいるんだけど生産性が高い教師だったら1時間で終わることに3時間費やしたなどという可能性も考えられるから。

そもそも、授業の準備時間と授業の質には因果関係はありませんし。(準備をほぼしないお前が言うなって思われるかも)

しかも、私は日本語学校の財務ってすごいブラックボックスだと感じます。

例えば、売上、収益、利益がどれくらいで、経費はどれくらいで、さらにその経費の中の人件費がどの程度なのかってことは、日本語学校の中にいても全然見えてきません。

個人的に私が見てきた学校では、上の方の人は持ち物が良かったり・・・


なので、タイトルに書いた新しいタイプの日本語学校の特徴の1つとして

透明度の高い財務関連の学校

っていうことが挙げられるのかなと。

で、時給はやめて、

予め学校側と教師側で利益の分配率などを話し合っておき、学校は期ごとや事業ごとの収益や経費などを教師にある程度はオープンにした上で給与を決定する

っていうスタイル。

これ、どうでしょう?良いと思いません?

学校の規模などにもよると思いますが、教師側も時給よりよほど高い給料を得られるのでは?

私は将来的に、日本語学校は特に事務方の人数をもっと減らせると考えているので、経費はそこまでかからなくなっていくと思っています。

入管業務ももし将来オンライン上でできるようになれば、その作業の繁忙期にそんなに人手は必要なくなりますし。

ただ、利益の分配率の話し合いでは、学校からの教師に対する評価が大きく影響してきますが、今回のエントリでは評価については置いておきます。


また一方で、こういう仕組みを作り待遇を良くすることによって、学校は教師に色々なインセンティブを与えることができ、より良い人材を採用/養成できるというメリットもあります。

採用のことから書くと、かなり昔に別エントリでも書いたんですが、こちらの本に面白いことが載っています。

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当時、アメリカにザッポスという靴のネット通販の会社があり、面白い採用システムを採っていました。

それは1ヶ月の研修期間が終わった人に、「もし辞めるのであれば、2000ドル(2020.9.20現在の為替レートで208000円)のボーナスをあげますけどどうしますか?」と提案するシステム。

この制度は、「お金を選ぶか、会社とその文化を選ぶか」を迫る制度だということです。

こういうシステムが日本語学校にあってもいいと思うんですよね。

養成に関してだと、例えば自己の成長のために本当に何かを実行できる教師をできるだけ残して、成長させたい時などは次の仕組みが有効。

以前、楽天が英語を社内公用語にしたことで話題になりましたが、どうもその目的は社員を英語が話せるようにするというよりも、会社が指示したら自己の成長のために努力できる人材かどうか知るため、だったようです。

英語なんて最初っから無理だよ

って人材をあぶり出し、

会社から要求されているんだから、まずは行動してみよう

って人を残すためのシステムだったというわけ。

このように学校側も、それがあくまでも教師や学校のためになるという前提であれば、色々なことを教師に要求でき、それがひいては日本語教育の発展に繋がっていくんじゃないかという希望的観測を私は持っています。

日本語学校は今までの枠組みに縛られることなく、PDCAを回しながら色々やっていってもいいのでは?


給与体系については上記以外に給料の自己申告制もいいかなって思ったりもしましたが、日本人にはちょっとハードル高いんじゃないですかね?

日本人って、「自由に選んでください。」とか「自由に決めてください。」って言われると、戸惑うって人が多くないですかね?

今日ニュースアプリのどこかの記事で読んだんですが、自己申告制の会社で男性より女性の給与が低いのは女性が男性ほど高く自己申告できないって傾向があるからだとか。


ここまで書いてきたのは私一個人の意見ですが、今までの前提を取っ払って日本語教師の方は0ベースで日本語学校やその給与体系、採用システムなどについて考えてみてはいかがでしょう?


ほな、さいなら!


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akky_san at 20:30│Comments(0)日本語学校 | 未来

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日本語教師の説明が長ったらしくなってしまう理由と、それを防ぐ方法上級を見据えて初級の授業を行うっていうのは例えばこういうこと 初級の学生が「10分」を「じゅっぷん」と読んだら許容しますか?