元学生の中国人男子と先斗町の豆八さんでランチ食べてきた元学生男子と元同僚の先生2人と飲みに行ってきた やっぱ雑談は贅沢でもあり難しくもあり

2020年10月16日

円滑にコミュニケーションできるかどうかを左右する情報の受け手の知識量

こないだのエントリにも書きましたが、ここ最近1日1冊何かを読了しているakkyです。

今日も私の一番好きな作家の恩田陸さん著「木曜組曲」を読み終えました。

あらすじをザックリ書くと、

大作家の重松時子が自宅でパーティーを開いている時に、毒を飲んで急死。一応遺書があったので自殺ということになるも、他殺や事故死のセンも捨てきれない。そのパーティーにも参加していた、時子の血縁者でもあり全員物書きでもある静子(書画や骨董に関するエッセイ)、絵里子(ノンフィクション)、つかさ(純文学)、尚美(ミステリー)が命日を挟んで3日間時子の家に集い、時子の世話係でもあった編集者のえい子が作る料理に舌鼓を打ちつつ大いに飲み、今はなき時子を偲ぶ。ところが、4年目のその年はいつもとは雰囲気を異にしていて、時子の遺作「蝶の棲む家」の主人公のフジシロチヒロ名義で「皆様の罪を忘れないために、今日この場所に死者のための花を捧げます。」というメッセージカードが添えられた花束が届く。

といった感じ。

「お電話でご注文をいただきました」と花屋が話しながら花束を届けた時に家にいたのはえい子だけで、その花束(カサブランカがメイン)を見て黒い焼締の花瓶に飾るという考えに夢中になります。

で、その後すぐにつかさが到着。

つかさはその花瓶に生けられた花束を見て「この花を贈った人は、この花瓶の存在を知っていたに違いない」と断言。

さらに、

「誰なんだろ、この花の送り主は。じゃあ、こう言い換えてもいい。この花瓶の存在を知っていたのは誰?この花を贈ってよこした人物は、こういう花瓶に生けるんたってことを絶対説明してみせたはず。こんなに新鮮な、まだ開いていないカサブランカなのに、随分茎を切ってあるなと思ったのよ。水切りするのにたいして切らなかったじゃない。まるでこの花瓶の丈に最初から合わせてあったみたい。ねえ、えい子さん、あたしをかついでるんじゃないの?」

と続きます。 

私はここまで読んで、ふと素朴に「フジシロチヒロからの電話を受けた人が、『焼締』って言葉を知らなかったらどうなっていたんだろう?」って思ったんですよね。

焼締って、まあまあマイナーな日本語じゃないでしょうか?

あ、一応説明しておくと、焼締っていうのは釉薬をかけずに高温で焼成した陶器のこと。

備前焼や、信楽焼などが有名ですかね。

私の場合、岡山出身で備前焼に馴染みはあったものの、「焼締」って言葉の意味を知ったのは割と最近。

初めて木曜組曲を読んだときは、おそらくこの言葉の知識がなかったから多分意味が分からない状態でスルーしたんじゃないかと思われます。

なので、この語彙を知っているのはおそらく陶芸好きな人やお茶やお花をやってる人なのかなと。

で、もし電話を受けた人が「焼締」って言葉を知らなかったら、どうなっていたでしょう?

リアル店舗やビデオチャットでのオーダーであれば視覚的なものを見せればすぐに伝わりますが、この場合は電話でのオーダーなんですよね。

相当言葉を尽くさないと相手に理解してもらえそうにありません。

ていうか、口頭で焼締とはどういうものかを伝えるのって可能なんでしょうか?

つまり、情報の受け手サイドの知識量によって、そのコミュニケーションが円滑に行われるかどうかが左右されるんじゃないか、ってことなんです。


☆☆☆☆☆☆☆


私ごとで恐縮ですが、明日、元同僚の先生お2人と私たち3人に教わった元学生と食事に行きます。

で、ここ最近私はこういう際に、授業準備はしないくせに雑談の話題をどうするかっていう準備をするようになっていて、「この文型は初級文型である!」って断言することの危険性を提示するために、以前のエントリでも書いた「ツッコミの〜んです」を話題にしようかと。

日本語学校で教えない日本語 コメディ色の強いアニメやドラマで増えつつあるツッコミの「〜んです」


そうすると、「鬼滅の刃」を3人には知っておいて欲しいんですが、おそらく3人とも知らないって可能性が高いです。

そうなると、私が「鬼滅の刃」とはどういうアニメ化っていう説明をしないと生けなくなるので、今それを考えたりしてます。


でも、願わくばそういう知識を持っておいてもらえると余計な説明が省略できるので、展開される雑談ももっと濃いものになるんですけどね。

日本語の語彙の知識だけでなく、それ以外のサブカルや文化的な知識量も、コミュニケーションの流れに大きく影響するというわけです。

あ、一応書いておくと、私は自分が準備してきた話題に固執して「これは絶対話さなければ!」って思ってるわけではなく、その話題にならなくてもその時の自然な雑談の流れに身を任せます。

あくまでもオプションの1つ的な。


なんとなく、従来の日本語教育ってコミュニケーションや会話の文脈であまりにも情報の発信側ばっかりに重きが置かれていたと思うんですが、実は意外と情報の受け手サイドがコミュニケーション全体を左右することもあるんじゃないかと最近考えています。

これについては、引き続き自分のアタマでさらに考えていきたいと思ってます。


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