「この文法/文型はこのレベル!」って思い込みの危険性学習者の学力に直結する、教師が何を評価して褒めるのか問題

2020年10月21日

優れた教師と劣った教師の差と、優れた教師に必須のスキル マルコム・グラッドウェル「犬は何を見たのか」

以前にも、こちらのマルコムグラッドウェル著「犬は何を見たのか」についてのエントリを書きました。




今回は、その時にも参考にした元の章についてもうちょっと拡張して書いてみます。 

ちなみに、この著者は雑誌ニューヨーカーの専属ライターを長年務めてきて、その記事の中から気に入ったものを19セレクトしてまとめたものが、こちらの「犬は何を見たか」です。


☆☆☆☆☆☆☆


現在、アメリカの教育も様々な問題を抱えていて、「優れた教師になる可能性のある人材を見つけること」がかなりプライオリティの高いことになっていると、著者は書いています。

具体的に書くと、アメリカの学童の学力は世界平均をやや下回り、比較的学力が高い国と比べて標準偏差が半分ほど落ちこぼれているとのこと。

ところが、この差を埋めるためには公立学校の最下位6〜10%の教師を平均的な教師と交替させるだけでよい、とも書いています。

これ、かなり衝撃的じゃないですか?

ほんの一部の劣った教師が全体の足を相当引っ張ってるってことですもんね。

これ、私も含めて教師を生業にしている人にとって、相当恐怖を感じるデータなんじゃないかなと。


で、ここからがさらに興味深いというか恐ろしい事実が。

ちょっと引用します。

 スタンフォード大学の経済学者エリック・ハヌシェクの概算によれば、劣った教師の生徒たちは一学年で平均して半年分の授業内容を学ぶ。同じく、優れた教師の生徒たちは一学年で平均して一年半分の授業内容を学ぶ。となると、一学年で学ぶ量に一年分の差が生まれる。

どうでしょう? 

私が最初にこれを読んだときは、かなり衝撃を受けました。

劣った教師が半年分を教えている間に、優れた教師はその3倍の量の授業内容を教えているってことですもんね。

そんなに進度が変わっちゃうの?

っていうかそもそも、優れた教師とか劣った教師の違いって、日本語教師の文脈で考えると、

・文法/文型分析

・例文がよく練られているか

・導入の時のインパクトや必然性

・練習の仕方

・宿題の出し方

などといったことが大いに影響すると思ってましたけど、進度がより重要ってことだったんですね。 

この観点で私自身の授業を振り返ってみると、できるだけ無駄を省こうと意識してることはしてるんですが、その通りできているかどうかはあまり自信がありません。

なぜなら、私は説明する時に「あのー」とか「えーっと」といった無駄なフィラーがまあまあ多いから。

これ、自分が喋ってる動画を見ていて気づいたことです。

こういうフィラーを極力使わずに授業内の無駄な時間を削ぎ落とせれば、生産性が高く進度も速い授業が実現できるのかなって思います。


☆☆☆☆☆☆☆


この章では、就学前の児童に教える何人かの先生の授業中の行動を見て、専門家がその授業の評価をしていきます。

その評価を通して、著者は「優れた教師に必要な能力」をスバリと書いています。

端的に書くと、それはウィズイットネス(withitness = いつも何かに気をつけて、知っている」というニュアンスを表す言葉)です。

さらに筆者は、より詳細にその能力を定義していて、

ウィズイットネスの能力とは、「生徒がそのとき何をしているのか」を知っていることを、あるいはいわゆる自分の頭の後ろに目がついていることを、教師自身の態度によって(「先生にはちゃんとわかっていますからね」と言葉で告げるのではなく態度で)クラス全体に伝える能力である。

ってことだそうです。

うーんこれもなかなか難しい能力かなと。

やっぱり授業オブザーブをしていてよくあるのが、教師が学生の方を向いたまま板書するのではなく、完全に学生側に背を向けて板書するっていうパターン。

そのため、その間学生が何をしているか全く把握できないって状況に。

それどころか、経験の浅い先生ほど板書に必死になりすぎて、学生が何をしているか気に留めることもできなくなってしまうってことも。

その結果、その時まで学生が集中していたとしても、先生が板書に移った瞬間集中が途切れるんですよね。

私がオブザーブに入っているときは学生は私に遠慮してるものの、先生が板書してる時って学生って色々やってますよ。

こう考えると、板書のたびに学生の集中が切れる状態って、教育効果を考えるととても勿体無いことなんじゃないかなと。

板書については、過去に書籍を紹介したエントリもあるので、載っけておきます。




またこのことは、板書だけに限りません。

例えばグループワークに突入した瞬間サボる学生が出るので、こういう学生にも目を光らせておく必要があります。


このように、少なくとも今まで私が思い込んでいた「優れた教師と劣った教師」像は間違いだったというかあくまでも一面にすぎなかったってことをマルコム・グラッドウェル著「犬は何を見たのか」は教えてくれ、目から鱗体験をすることができました。

ご興味ある人はこちらから。


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犬は何を見たのか THE NEW YORKER 傑作選
マルコム・グラッドウェル
講談社
2014-02-21




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前にも書きましたが、この著者は著書をKindle化しないですし、あまり日本人からの知名度が高くなく増刷も少ないので、書店などで紙の本を見つけたら購入するのをオススメします。

ちなみにこの本は、梅田の旭屋ジュンク堂書店にはもう在庫がありませんでした。


全く日本語教育とは畑違いのジャンルの本を読むのも、色々と知見が得られて良いのではないかなと思います。


ほな、さいなら!


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akky_san at 20:24│Comments(0)日本語教師 | スキル

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