2021年02月19日
安易に「この日本語は普段使いません」って言わない
私が日本語教師になって半年後、初めて中級クラスを担当した時のこと。
その時はいわゆる文型の授業を行うことになっていて、その教材に出て来たのがこちら。
(できよう)はずがない
「『できよう』かぁ〜どない説明しよ?ってかそもそも『できよう』って現代の日本社会で普段使うか?」
って思いました。
なので、近くにいたベテラン先輩教師にその旨を伝えたところ、「そうですか?」って含みを持たせた言い方をされちゃいました。
なんですが、私はその時実際に「この『できよう』って日本語は、普段会話では使いません。」って説明したんですよね。
そして、先日のこと。
私が好きな「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」の再放送の録画を見ていた時のことです。
その回は第13弾で 「新宿→新潟の萬代橋」でマドンナは田中律子さんでした。
赤羽に到着し、大宮方面のバスを探していた時に、どこかの警備員さんが大宮方面に向かうバスを教えてくれたのですが、途中で乗り換えが必要とのこと。
その時に彼が言った日本語は、
「どこかで乗り換えがあろうかと思います。」
だったんです。
冒頭と同じ文法。
めっちゃ普段使われてる!
この会話って、典型的な日常のタスク的会話。
この事実によって、キャリア初期の私は
嘘を教えてしまってた
ことになります。
そしてこのことから得られる教訓は、
外国人は日本人から「この日本語は普段使いません」って言葉が出て来たら疑え
ってことですかね。
ただ、さすがに上級の漢字教材に「御璽」って語彙が出て来た時には「これは普段使いません」とは言いましたけど。
☆☆☆☆☆☆☆
そもそも日本語教師が「普段使いません」っていう場合の「普段」って何なんでしょう?
おそらく買い物や病院での受け答え、荷物の配送の依頼など、日常的な活動場面を想定してると思われます。
が、外国人はそういうことをしに日本に来てるんじゃないんです。
あくまで彼らは進学、就職、技能実習のために(本音は違ったとしても)日本に来てるわけ。
例えば、経済学部に進学した人は「目論見」や「嫌気」って言葉を「目論見書」や「嫌気する」といった形で触れるはず。
まあだからといって日本語の授業でそれらを提示するかは、そのクラスメンバーにもよります。
また、ロボット関係の専門学校に進学した留学生は、日本人が普段使わないどころか日本人さえ知らない日本語にたくさん触れることに。
☆☆☆☆☆☆☆
私は特に日本語教師の「この日本語は使いません」ってコメントは以下の2点で問題があると考えてます。
1 冒頭のようにその説明自体が事実ではない可能性がある
2 将来その日本語学習者がどんな日本語に触れることになるか分からないにもかかわらずそういう説明をすると、学習者の日本語を学ぶせっかくの機会をみすみす逃すことになる
んです。
特に2については「この日本語は普段使いません。」の後に、
・だから知らなくていいです。
・だから覚えなくていいです。
と続くことがほとんど。
私は結構学生のアウトプットした日本語の許容が広いと言われるんですが、それと同様に、
あまり教師の方で取捨選択して制限し、その結果学習者が学んでる日本語の領域を狭めた結果、学習者の機会損失を生み出したくないから
って考えが根底にあります。
教師サイドで何もかも根拠なしに判断したくない、とも言えます。
☆☆☆☆☆☆☆
こういう状況に陥らないためには、2つ方法があると考えます。
1つ目は、色んなメディアに触れてみること。
例えば、こちらのエントリ。
それともう1つは、スタート側ではなくゴール側から日本語教育を考えるってこと。
先ほども書きましたが、学生が卒業後に入っていくジャンルの専門性を意識していれば、「普段使いません」って言葉は出て来にくくなります。
なので、教師側の思い込みっていう主観的な観点ではなく、将来を見据えて考えれば本当にその学習者にとってその日本語が必要かどうか適切に判断できるようになるのでは?
今回のエントリに絡んでくると思うのが、「話し言葉か書き言葉か?」の判断なんですけど、これについてもまた別エントリで書ければと思ってます。
ほな、さいなら!
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その時はいわゆる文型の授業を行うことになっていて、その教材に出て来たのがこちら。
(できよう)はずがない
「『できよう』かぁ〜どない説明しよ?ってかそもそも『できよう』って現代の日本社会で普段使うか?」
って思いました。
なので、近くにいたベテラン先輩教師にその旨を伝えたところ、「そうですか?」って含みを持たせた言い方をされちゃいました。
なんですが、私はその時実際に「この『できよう』って日本語は、普段会話では使いません。」って説明したんですよね。
そして、先日のこと。
私が好きな「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」の再放送の録画を見ていた時のことです。
その回は第13弾で 「新宿→新潟の萬代橋」でマドンナは田中律子さんでした。
赤羽に到着し、大宮方面のバスを探していた時に、どこかの警備員さんが大宮方面に向かうバスを教えてくれたのですが、途中で乗り換えが必要とのこと。
その時に彼が言った日本語は、
「どこかで乗り換えがあろうかと思います。」
だったんです。
冒頭と同じ文法。
めっちゃ普段使われてる!
この会話って、典型的な日常のタスク的会話。
この事実によって、キャリア初期の私は
嘘を教えてしまってた
ことになります。
そしてこのことから得られる教訓は、
外国人は日本人から「この日本語は普段使いません」って言葉が出て来たら疑え
ってことですかね。
ただ、さすがに上級の漢字教材に「御璽」って語彙が出て来た時には「これは普段使いません」とは言いましたけど。
☆☆☆☆☆☆☆
そもそも日本語教師が「普段使いません」っていう場合の「普段」って何なんでしょう?
おそらく買い物や病院での受け答え、荷物の配送の依頼など、日常的な活動場面を想定してると思われます。
が、外国人はそういうことをしに日本に来てるんじゃないんです。
あくまで彼らは進学、就職、技能実習のために(本音は違ったとしても)日本に来てるわけ。
例えば、経済学部に進学した人は「目論見」や「嫌気」って言葉を「目論見書」や「嫌気する」といった形で触れるはず。
まあだからといって日本語の授業でそれらを提示するかは、そのクラスメンバーにもよります。
また、ロボット関係の専門学校に進学した留学生は、日本人が普段使わないどころか日本人さえ知らない日本語にたくさん触れることに。
☆☆☆☆☆☆☆
私は特に日本語教師の「この日本語は使いません」ってコメントは以下の2点で問題があると考えてます。
1 冒頭のようにその説明自体が事実ではない可能性がある
2 将来その日本語学習者がどんな日本語に触れることになるか分からないにもかかわらずそういう説明をすると、学習者の日本語を学ぶせっかくの機会をみすみす逃すことになる
んです。
特に2については「この日本語は普段使いません。」の後に、
・だから知らなくていいです。
・だから覚えなくていいです。
と続くことがほとんど。
私は結構学生のアウトプットした日本語の許容が広いと言われるんですが、それと同様に、
あまり教師の方で取捨選択して制限し、その結果学習者が学んでる日本語の領域を狭めた結果、学習者の機会損失を生み出したくないから
って考えが根底にあります。
教師サイドで何もかも根拠なしに判断したくない、とも言えます。
☆☆☆☆☆☆☆
こういう状況に陥らないためには、2つ方法があると考えます。
1つ目は、色んなメディアに触れてみること。
例えば、こちらのエントリ。
それともう1つは、スタート側ではなくゴール側から日本語教育を考えるってこと。
先ほども書きましたが、学生が卒業後に入っていくジャンルの専門性を意識していれば、「普段使いません」って言葉は出て来にくくなります。
なので、教師側の思い込みっていう主観的な観点ではなく、将来を見据えて考えれば本当にその学習者にとってその日本語が必要かどうか適切に判断できるようになるのでは?
今回のエントリに絡んでくると思うのが、「話し言葉か書き言葉か?」の判断なんですけど、これについてもまた別エントリで書ければと思ってます。
ほな、さいなら!
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