日本語学校の教務主任になってほしい歴史上の人物はこの人を置いて他にないありがとうの基準

2021年05月14日

説明の能力そのものよりも重要なスキル

先日、こんなニュースがありました。


 
これ、どう思いますか?

保健センターの開設者が医療従事者に該当するかどうかはさておき、下手うちはったなって私は思いました。

首長が倒れてしまっては行政が混乱するので、町長が先駆けてワクチンを打ってもらうのはまあ必要でしょう。

でも、それなのになぜこんなに注目されたり批判されたりするのでしょう?

それは、

説明すべき時に必要な説明をしていなかった

から。

この事案では、明らかになった後で釈明する形で説明していて、事前に住民に必要な説明を怠っていたってことなんですよね。

もうお分かりですね。

私が説明の能力よりも重要だと考えているのは、

そのタイミングで説明が必要かどうか判断するスキル

です。

これ、日本語教師にも日本語学習者にも、ついでに日本語学校サイドにも必要だと私は考えています。


まずは日本語教師。

私は今まで色々な先生の授業を見学させてもらいましたが、時々学生が集中力を切らしているって授業もありました。

そういう授業に共通しているのが、教師の説明自体が下手ってケースもありましたが、

事前の動機付けとしての説明が無い

ことが多かった。 

特に読解で多かったかな。

いきなり解説を始めるパターン。

その文章を読む目的は何か?

などということに一切触れずに、最初から解説が始まるっていう。

その結果、学生も読む意義がよく分かんないまま授業が進んでいき、集中力がなくなっちゃう。

あるいは逆に、

説明する必要がないのに延々と説明が続く

ってパターンも。 

これは文法で多かった。

学生がもう理解してるのにずーっと教師が説明してる。

あたかも授業が学生の理解を促すというよりも、教師が準備して来たことを発表する場であるかのような授業。

例えば、下位の学生を指名して適切にアウトプットできていたら、全体が理解してるものとしてサクッと次に進めばいいのに。

個々の理解は宿題でチェックできるわけだし。


あと、教材を裁量で選べる専任講師であれば、担当講師に「この教材でお願いします。」って言うだけではなく、なぜその教材を選んだかや、どういう効果が期待できるのかなどの説明が必要であると判断できる能力も備えていてほしいですね。


そして、学生に多いのが次のパターン。

日本語教師勉強会を主催していた頃、参加予定の学生に最終確認としてLINEで出欠を聞いたら、「すみません。行けません。」って返事が。

うーん、欠席の理由くらいは説明してほしいんですけど、ってずっと思ってました。

彼らには、

何か会やイベントに不参加の時にはその理由を予め説明する必要があるって判断力

が欠けてるんですよね。

今具体的には思い出せませんが、学生と話していると「説明ないんかい!」ってツッコみたくなる場面が結構多かったです。


最後に、日本語学校。

日本語学校って、その運営にあまりにも不透明感を感じることが多かったです。

説明責任果たそうよ的な。

何らかの決定を行った時にも全く説明が無かったりしませんか?

例えば、先日のエントリ




にも書きましたが、非常に恣意的な講師配置でも、客観的に考えても優秀な講師の担当コマ数を減らす一方で経験が浅い授業準備に時間がかかる教師のコマ数を増やすっていう不可解な配置を行なっても、何の説明もなかったりします。具体的に書くと、優秀な教師の勤務希望日数が5日で経験の浅い教師の勤務希望日数が2日でも、前者が3日で後者が4日だったりってケース。

まあ学校サイドでは、人事関係で説明が無いケースが多いですね。

これは、学校サイドに説明の必要性の判断力が無いのに加えて、説明を避けようとする意図があることを意味します。


このように、

上手に説明できる能力

よりも、

そのタイミングで説明が必要かどうかを判断する能力

のほうが大切なんじゃないか、っていうのが私の見解。


これからの会話の授業は、こういうことも踏まえて組み立てていってもいいのでは?


ほな、さいなら!


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akky_san at 21:16│Comments(0)日本語教師 | スキル

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